トム・ブラウニング

アメリカの野球選手 (1960 - 2022) ウィキペディアから

トーマス・レオ・ブラウニングThomas Leo Browning , 1960年4月28日 - 2022年12月19日)は、アメリカ合衆国ワイオミング州キャスパー出身の元プロ野球選手投手)。左投左打。

概要 基本情報, 国籍 ...
トム・ブラウニング
Tom Browning
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 ワイオミング州キャスパー
生年月日 (1960-04-28) 1960年4月28日
没年月日 (2022-12-19) 2022年12月19日(62歳没)
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1982年 ドラフト9巡目
初出場 1984年9月9日
最終出場 1995年5月19日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
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経歴

要約
視点

現役時代

1982年6月のドラフトでシンシナティ・レッズから9巡目(全体233位)で指名され、入団。

1984年9月9日にメジャー初登板(初先発)を果たす。

ルーキーイヤーの1985年には、38試合に登板し、20勝9敗、防御率3.55の素晴らしい成績を挙げた。新人王に選ばれてもおかしくない成績であったが、110盗塁したビンス・コールマンカージナルス)が選出された。また、同年9月11日ピート・ローズタイ・カッブの史上最多安打記録を破った試合の先発投手であった。

当時のレッズは4人の投手で先発ローテーションを回しており、大きな故障もなくコンスタントに投げた1991年までの7年間、毎年2桁勝利を記録し、先発登板数、投球回数等の記録はリーグトップクラスであった。

1988年9月16日、本拠地リバーフロント・スタジアムでのロサンゼルス・ドジャース戦で、完全試合を達成。102球中72球がストライクで、3ボールまでいった打者は1人もいなかった。この年は18勝5敗の好成績を挙げた。

1989年7月4日アメリカ独立記念日)のフィラデルフィア・フィリーズ戦でも8回まで完全試合。9回にディッキー・ソンにヒットを許し、MLB史上初の「完全試合2回達成」はならなかった。オーナーのマージ・ショットは1988年の完全試合の後のオフシーズンに、「もう一度完全試合を達成したら、ブラウニングの夫人に30万ドルのボーナスを与える」という契約条項を付け加えようとしたところ、リーグ事務局がこれを拒否していた。またこの歳、先発した試合の1回裏に2度打席に立つ珍記録を作っており、2022年4月21日に大谷が1回表に1球も投げずに2回打席に立つまで、唯一の記録であった[1]

1990年には15勝を記録し、チームのリーグ優勝に貢献。自身唯一となるポストシーズン進出を果たす。ピッツバーグ・パイレーツとのナ・リーグチャンピオンシップシリーズでは第2戦に先発、オークランド・アスレチックスとのワールドシリーズでは第3戦に先発して、それぞれ勝利投手となり、チームのワールドチャンピオンに貢献した。

1991年は前半10勝4敗の好成績で初のオールスター出場を果たすが、後半は負けが込み14勝14敗に終わる。

1992年以後は故障との戦いとなる。1993年7月7日シカゴ・カブス戦(リグレー・フィールド)の試合中に、ユニフォーム姿でシェフィールド・アベニュー・ルーフトップ(スタンドの一角)に現れ、監督デーブ・ジョンソンから500ドルの罰金を科せられた。

1994年5月9日サンディエゴ・パドレス戦の試合中に腕を骨折。骨が折れる音がテレビや観客席にも聞こえるほどの大怪我で、以後シーズンを棒に振り、この年限りでレッズを解雇された。

1995年にはカンザスシティ・ロイヤルズと契約したが、2試合に先発していずれも敗れ、シーズン途中で現役を引退した。

現役引退後

現役引退後は、レッズの傘下マイナーで投手コーチやインストラクターを歴任した[2]

2006年レッズ野球殿堂入りを果たした[2]

2022年12月19日、ケンタッキー州の自宅で死去[2]

人物

縁起を担いで、先発した日から次の先発までの間はひげを剃らなかった。また、登板日には赤い下着を身に付けていた。

詳細情報

年度別投手成績

さらに見る 年 度, 球団 ...




















































W
H
I
P
1984 CIN 33000100--1.0009523.12705001410441.541.37
1985 38386432090--.6901083261.1242297383155201111033.551.21
1986 393942114130--.5191016243.1225267061147301231033.811.21
1987 323120010130--.435791183.0201276175117241071025.021.43
1988 36365211850--.7831001250.22053664371242498953.411.07
1989 373792115120--.5561031249.2241316410311821109943.391.22
1990 35352101590--.625957227.22352452135995198963.801.26
1991 363610014140--.500983230.1241325644115311241074.181.29
1992 1616000650--.54538687.0108656441153149495.071.56
1993 2120000770--.500505114.0159152021531161604.741.57
1994 77210310--.75016940.23481311221020194.201.16
1995 KC 22000020--.0004910.0132500300998.101.80
MLB:12年 30230031126123900--.57780661921.019312365116132100025139138413.941.27
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  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 「-」は記録なし

受賞歴・記録

脚注

関連項目

外部リンク

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