アメリカグランプリ

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アメリカグランプリ

アメリカグランプリ(アメリカGP, : United States Grand Prix)は、アメリカ合衆国1959年から断続的に行われているF1世界選手権レースのひとつ。その他、アメリカ国内で開催された、アメリカグランプリ以外のF1選手権レースについても本項目で記述する。

概要 レース情報, 周回 ...
United States Grand Prix
サーキット・オブ・ジ・アメリカズ
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レース情報
周回 56[1]
コース長 5.513[1] km (3.426 mi)
レース長 308.405[1] km (191.634 mi)
開催回数 45[2][注 1]
初回 1908年
最多勝利
(ドライバー)
ルイス・ハミルトン (6)[3][注 1]
最多勝利
(コンストラクター)
フェラーリ (11)[4][注 1]
最新開催(2024年):
ポールポジション ランド・ノリス
マクラーレン-メルセデス
1:32.330
決勝順位 1. シャルル・ルクレール
フェラーリ
1:35:09.639
2. カルロス・サインツ
フェラーリ
+8.562s
3. マックス・フェルスタッペン
レッドブル-ホンダRBPT
+19.412s
ファステストラップ エステバン・オコン
アルピーヌ-ルノー
1:37.330
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歴史

要約
視点

前史

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1912年のアメリカン・グランド・プライズ

19世紀末の自動車の発明以来、アメリカでは草競馬場のコースを利用したオーバルレースが人気となり、インディ5001908年-)を含む全米選手権の発足に至る。その一方、ヨーロッパタイプの公道サーキットでレースを行おうとする者も現れ、1904年には欧米交流戦のヴァンダービルト杯が始まり、1908年には欧州のグランプリ規定に則ったアメリカン・グランド・プライズ (American Grand Prize) が創設された。アメリカン・グランド・プライズはジョージア州サバンナウィスコンシン州ミルウォーキーカリフォルニア州サンタモニカ、カリフォルニア州サンフランシスコといった場所で1916年までに7回開催された(1911年以降はヴァンダービルト杯との同時開催)。1914年の大会を制したマーサー (Mercer) を除けば、いずれも優勝したのは欧州車であった。第一次世界大戦によりヨーロッパのレース界との交流が絶たれると、この種のイベントは開催されなくなった。

1950年にF1世界選手権が創設されると、インディ500も選手権の1戦に組み込まれたが、ヨーロッパからの参戦者も少なかったため、1960年限りでF1のカレンダーから姿を消した。

アメリカグランプリの成功と衰退(1958年-1991年)

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フェニックス市街地コースで行われた1991年アメリカGP

1958年にカリフォルニア州リバーサイド・インターナショナル・レースウェイにて開催されたUSACスポーツカー選手権 (USAC Road Racing Championship) の1戦に「アメリカグランプリ (United States Grand Prix) 」の名が冠せられた。そして翌1959年に、フロリダ州の飛行場跡地に出来たサーキット、セブリング・インターナショナル・レースウェイでF1世界選手権のアメリカGPが初開催された。1960年にリバーサイドで開催されたあと、翌1961年から1980年まではニューヨーク州ワトキンズグレン・インターナショナル・レースウェイで行われた。「グレン」ことワトキンズグレンでは紅葉の美しい季節に開催され、シーズン終盤の名物レースとなった。

当地では徐々にF1が浸透し、商業的観点からモータースポーツが重視されるようになっていくと、1976年から1984年までは年2回開催されるようになった(1982年は年3回)。この期間はアメリカGPの他に「アメリカ西グランプリ」「シーザーズ・パレスグランプリ」「デトロイトグランプリ」「ダラスグランプリ」といった名称も使用された(詳細は後述のアメリカグランプリ以外の名称で行われたF1レースを参照)。

しかし、サーキットは市街地の仮設コースばかりで、レースが行われる際の安全性確保や興行的問題、さらにCART(後のチャンプカー)人気上昇等の問題から、開催数は次第に減少していった。そして1991年にアリゾナ州フェニックス市街地コースで行われたアメリカGPを最後に、一旦は米国内でF1が開催されなくなる。

インディアナポリスでの復活(2000年-2007年)

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インディアナポリスのコースレイアウト。F1ではオーバルトラックを逆走し、インフィールドのロードコースも使用する。

F1は「世界選手権」の名を掲げているが、アメリカ国内においてはNASCARインディカーなどの人気が高く、F1は人気が定着しきれないでいた。こうした事態を打破するため、インディ500ブリックヤード400が行われているアメリカンモータースポーツ界の聖地、インディアナポリス・モーター・スピードウェイを舞台にして、2000年よりアメリカGPが復活することとなった。初開催の決勝日には巨大なスタンドを埋める20万人もの観客を集め、当地における潜在的なF1人気を実証することになった。

2003年まではシーズン終盤のレースとして9月末に開催されてきたが、2004年以降は参戦チームの遠征費用効率化を目的とし、6月にカナダGPとの連戦で開催されるようになった。

2005年はミシュランタイヤのトラブルに端を発し、ミシュランタイヤ装着全7チーム14台がフォーメーションラップのみで自主リタイア。ブリヂストンタイヤを装着する3チーム6台のみでレースが行われるという異常事態が発生した(詳細は2005年アメリカGPを参照)。この事件はミシュランと国際自動車連盟 (FIA) の間に大きな亀裂を生む事となり、2006年のミシュランF1撤退に少なからぬ影響を及ぼした。加えて退屈なレースに観客からの不満が爆発し、主催者はチケットの返金などの対応に追われる事になった。

こうした経緯から主催者とFIAの関係も悪化の一途を辿り、2008年のF1アメリカグランプリ開催を断念する共同声明を発表するに至った。

オースティンでの開催(2012年-)

F1に参戦するチーム・自動車メーカー・スポンサーからは「大消費地であるアメリカでF1が開催されないことは、宣伝媒体としてのF1の価値を低下させる」としてアメリカでの開催を復活させるよう根強い要望があった。F1の興行権を持つフォーミュラ・ワン・マネジメント(FOM)が米国内の様々なサーキットと交渉を行った結果、2012年より新たにテキサス州オースティンにサーキットを建設してアメリカグランプリを復活させることが決定した[5]

2010年9月にはヘルマン・ティルケ率いるティルケデザインの設計による新サーキットのコースレイアウトが公表された[6]。サーキットの建設は同年12月に開始され、建設費用は約2億ドル[7]。サーキット建設に当たっては、NFLミネソタ・バイキングスNBAサンアントニオ・スパーズなどのオーナーを務めたこともある投資家のレッド・マコームズ、元ロードレース世界選手権(WGP)・GP500クラスチャンピオンのケビン・シュワンツなどの支援を受けている[8]。後にこのサーキットはサーキット・オブ・ジ・アメリカズと名づけられた。

メディアの中にはサーキットの建設費用などの調達ができず開催が流れる危険性を憂慮するものもあり[9]、実際プロモーター側でも、場合によっては同地でのグランプリ初開催が1年延期され2013年にずれ込む可能性を認めていたが[10]、予定通り2012年11月にレースが開催された。

2022年2月、オースティンとの開催契約が2026年まで延長された[11]

主な出来事

過去の結果と開催サーキット

要約
視点
  • ピンク地はF1世界選手権以外で開催された年。

アメリカン・グランド・プライズ (1908年 - 1916年)

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決勝日開催地優勝者コンストラクター結果
1908英語版 11月26日サバンナフランスの旗 ルイ・ワグナー英語版フィアット詳細英語版
1909 開催されず
1910英語版 11月12日サバンナアメリカ合衆国の旗 デビッド・ブルース=ブラウン英語版ベンツ詳細英語版
1911英語版 11月30日サバンナアメリカ合衆国の旗 デビッド・ブルース=ブラウンフィアット詳細英語版
1912英語版 10月05日ミルウォーキーアメリカ合衆国の旗 ケイレブ・ブラッグ英語版フィアット詳細英語版
1913 開催されず
1914英語版 02月28日サンタモニカアメリカ合衆国の旗 エディ・プーレン英語版マーサー英語版詳細英語版
1915英語版 02月27日サンフランシスコアメリカ合衆国の旗 ダリオ・レスタ英語版プジョー詳細英語版
1916英語版 11月18日サンタモニカアメリカ合衆国の旗 ハウディ・ウィルコックス英語版
アメリカ合衆国の旗 ジョニー・エイトケン英語版
プジョー詳細英語版
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アメリカグランプリ (1958年 -)

1958年のみ国内スポーツカー選手権「USACロードレーシング・チャンピオンシップ英語版」の一戦として開催。ラウンドの数字は同選手権のもの。

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決勝日ラウンドサーキット優勝者コンストラクター
(括弧内はノンワークスチーム)
結果
1958 10月12日4リバーサイドアメリカ合衆国の旗 チャック・デイ英語版スカラブ英語版-シボレー詳細
1959 12月12日9セブリングニュージーランドの旗 ブルース・マクラーレンクーパー-クライマックス詳細
1960 11月20日10リバーサイドイギリスの旗 スターリング・モスロータス-クライマックス
ロブ・ウォーカー
詳細
1961 10月08日8ワトキンズ・グレンイギリスの旗 イネス・アイルランドロータス-クライマックス詳細
1962 10月07日8ワトキンズ・グレンイギリスの旗 ジム・クラークロータス-クライマックス詳細
1963 10月06日8ワトキンズ・グレンイギリスの旗 グラハム・ヒルBRM詳細
1964 10月04日9ワトキンズ・グレンイギリスの旗 グラハム・ヒルBRM詳細
1965 10月03日9ワトキンズ・グレンイギリスの旗 グラハム・ヒルBRM詳細
1966 10月02日8ワトキンズ・グレンイギリスの旗 ジム・クラークロータス-BRM詳細
1967 10月01日10ワトキンズ・グレンイギリスの旗 ジム・クラークロータス-フォード詳細
1968 10月06日11ワトキンズ・グレンイギリスの旗 ジャッキー・スチュワートマトラ-フォード
マトラ・インターナショナル
詳細
1969 10月05日10ワトキンズ・グレンオーストリアの旗 ヨッヘン・リントロータス-フォード詳細
1970 10月04日12ワトキンズ・グレンブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディロータス-フォード詳細
1971 10月03日11ワトキンズ・グレンフランスの旗 フランソワ・セベールティレル-フォード詳細
1972 10月08日12ワトキンズ・グレンイギリスの旗 ジャッキー・スチュワートティレル-フォード詳細
1973 10月07日15ワトキンズ・グレンスウェーデンの旗 ロニー・ピーターソンロータス-フォード詳細
1974 10月06日15ワトキンズ・グレンアルゼンチンの旗 カルロス・ロイテマンブラバム-フォード詳細
1975 10月05日14ワトキンズ・グレンオーストリアの旗 ニキ・ラウダフェラーリ詳細
1976 10月10日15ワトキンズ・グレンイギリスの旗 ジェームス・ハントマクラーレン-フォード詳細
1977 10月02日15ワトキンズ・グレンイギリスの旗 ジェームス・ハントマクラーレン-フォード詳細
1978 10月01日15ワトキンズ・グレンアルゼンチンの旗 カルロス・ロイテマンフェラーリ詳細
1979 10月07日15ワトキンズ・グレンカナダの旗 ジル・ヴィルヌーヴフェラーリ詳細
1980 10月05日14ワトキンズ・グレンオーストラリアの旗 アラン・ジョーンズウィリアムズ-フォード詳細
1981
-
1988
開催されず
1989 06月04日5フェニックスフランスの旗 アラン・プロストマクラーレン-ホンダ詳細
1990 03月11日1フェニックスブラジルの旗 アイルトン・セナマクラーレン-ホンダ詳細
1991 03月10日1フェニックスブラジルの旗 アイルトン・セナマクラーレン-ホンダ詳細
1992
-
1999
開催されず
2000 09月24日15インディアナポリスドイツの旗 ミハエル・シューマッハフェラーリ詳細
2001 09月30日16インディアナポリスフィンランドの旗 ミカ・ハッキネンマクラーレン-メルセデス詳細
2002 09月29日16インディアナポリスブラジルの旗 ルーベンス・バリチェロフェラーリ詳細
2003 09月28日15インディアナポリスドイツの旗 ミハエル・シューマッハフェラーリ詳細
2004 06月20日9インディアナポリスドイツの旗 ミハエル・シューマッハフェラーリ詳細
2005 06月19日9インディアナポリスドイツの旗 ミハエル・シューマッハフェラーリ詳細
2006 07月02日10インディアナポリスドイツの旗 ミハエル・シューマッハフェラーリ詳細
2007 06月17日7インディアナポリスイギリスの旗 ルイス・ハミルトンマクラーレン-メルセデス詳細
2008
-
2011
開催されず
2012 11月18日19オースティンイギリスの旗 ルイス・ハミルトンマクラーレン-メルセデス詳細
2013 11月17日18オースティンドイツの旗 セバスチャン・ベッテルレッドブル-ルノー詳細
2014 11月02日17オースティンイギリスの旗 ルイス・ハミルトンメルセデス詳細
2015 10月25日16オースティンイギリスの旗 ルイス・ハミルトンメルセデス詳細
2016 10月23日18オースティンイギリスの旗 ルイス・ハミルトンメルセデス詳細
2017 10月22日17オースティンイギリスの旗 ルイス・ハミルトンメルセデス詳細
2018 10月21日18オースティンフィンランドの旗 キミ・ライコネンフェラーリ詳細
2019 11月03日19オースティンフィンランドの旗 バルテリ・ボッタスメルセデス詳細
2020 新型コロナウイルス感染症の世界的流行により中止
2021 10月24日17オースティンオランダの旗 マックス・フェルスタッペンレッドブル-ホンダ詳細
2022 10月23日19オースティンオランダの旗 マックス・フェルスタッペンレッドブル-RBPT詳細
2023 10月22日19オースティンオランダの旗 マックス・フェルスタッペンレッドブル-ホンダ・RBPT詳細
2024 10月20日19オースティンモナコの旗 シャルル・ルクレールフェラーリ詳細
出典: [16]
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過去の開催サーキット

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アメリカ国内におけるグランプリ開催地。前身のアメリカン・グランド・プライズやアメリカGP以外のレースも含まれる。


優勝回数

要約
視点

F1世界選手権として開催されたレースで複数回勝利を挙げた者を対象とする。

ドライバー

コンストラクター

さらに見る 回数, コンストラクター ...
回数 コンストラクター 優勝年
11 イタリアの旗 フェラーリ 1975, 1978, 1979, 2000, 2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2018, 2024
8 イギリスの旗 ロータス 1960, 1961, 1962, 1966, 1967, 1969, 1970, 1973
イギリスの旗 マクラーレン 1976, 1977, 1989, 1990, 1991, 2001, 2007, 2012
5 ドイツの旗 メルセデス[注 3] 2014, 2015, 2016, 2017, 2019
4 オーストリアの旗 レッドブル 2013, 2021, 2022, 2023
3 イギリスの旗 BRM 1963, 1964, 1965
2 イギリスの旗 ティレル 1971, 1972
出典: [4]
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エンジン

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  1. 2001年はイルモアが製造。
  2. ホンダ・レーシング(HRC)が製造するRBPT及びホンダ・RBPTと記録は別扱い。

アメリカグランプリ以外の名称で行われたF1レース

要約
視点

米国内で実施されながら、複数回の開催のためにアメリカグランプリ以外の名前で行われたレースがある。1982年及び2023年以降は米国内で実に3回ものグランプリが開催されている。また、1950年から1960年はインディ500もF1選手権に組み込まれていた。

アメリカ西グランプリ

1976年から1983年までロングビーチ市街地コースを使用して開催された。カリフォルニア州ロングビーチ市街をサーキットとして使用した。1周3.251kmを初め多彩なレイアウトがある。

シーザーズ・パレスグランプリ

1981年1982年ネバダ州ラスベガス郊外のラスベガス・ストリップにあるシーザーズ・パレスホテルの巨大駐車場に特設されたシーザーズ・パレス・グランプリ・サーキットで開催された。2023年からシーザーズ・パレスホテルの真横を通るラスベガス・ストリップ・サーキットで開催れている「ラスベガスグランプリ」については当該項目を参照。

デトロイトグランプリ

1982年から1988年までデトロイト市街地コースで開催された。開催開始当初はアメリカで複数のレースが開催されていたが、1985年以降はデトロイトのみとなった。

ダラスグランプリ

概要 レース情報, 周回 ...
Dallas Grand Prix
ダラス・グランプリ・サーキット
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レース情報
周回 67
コース長 3.901 km (2.424 mi)
レース長 261.367 km (162.406 mi)
開催回数 1[注 1]
初回 1984年
最終開催 1984年
最新開催(1984年):
ポールポジション ナイジェル・マンセル
ロータス-ルノー
1:37.041
決勝順位 1. ケケ・ロズベルグ
ウィリアムズ-ホンダ
2:01:22.617
2. ルネ・アルヌー
フェラーリ
+22.464s
3. エリオ・デ・アンジェリス
ロータス-ルノー
+1 lap
ファステストラップ ニキ・ラウダ
マクラーレン-TAG
1:45.353
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1984年ダラスフェア・パークにある道路を使用した急造コース「ダラス・グランプリ・サーキット」で開催。真夏の猛暑に見舞われたサバイバルレース[18]ウィリアムズケケ・ロズベルグが優勝し、ホンダの第2期活動(ターボエンジン供給)での初優勝を印した。

ダラスGPの結果

さらに見る 年, 決勝日 ...
決勝日ラウンドサーキット優勝者コンストラクター結果
1984 7月8日9ダラスフィンランドの旗 ケケ・ロズベルグウィリアムズ-ホンダ詳細
出典: [19]
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マイアミグランプリ

2022年からフロリダ州マイアミ郊外のマイアミガーデンズにあるマイアミ・インターナショナル・オートドロームで開催されている。

ラスベガスグランプリ

2023年からネバダ州ラスベガス郊外のラスベガス・ストリップに新設されたラスベガス・ストリップ・サーキットで開催されている。

インディ500

F1世界選手権初年度の1950年から選手権レースの一戦に組み込まれたが、「世界選手権」を名乗るためにはヨーロッパ以外のレースを入れたいというFIAの思惑があったためであり、形式的なものに過ぎなかった。当時のインディ500のエンジン排気量は最大4.5LとF1の自然吸気エンジンと同じ[注 4]で、選手権ポイントも他のGP同様与えられたが、インディ500と他のF1GPに参戦するドライバーはほとんどなく[注 5]1959年からアメリカGPが選手権レースの一戦となったことから、1960年をもって選手権レースから除外された[20][21]

ニュージャージーグランプリ(開催構想)

2012年からオースティンでアメリカGPが再開された一方、2013年からはニュージャージー州でもう1つのグランプリが開催される予定とされ、2011年10月25日に同州知事が開催を発表した。ハドソン川を挟んでニューヨークマンハッタンの対岸に位置するウィーホーケンウェストニューヨークにまたがる市街地を使用する[22]としていたが、サーキット建設の認可手続きが間に合わず、実際の開催は2016年からにずれ込む見込みとされていた[23]ものの、2016年度はまたしても開催が見送られた。名称はニュージャージーグランプリとなる予定らしいが、2015年度のアメリカグランプリの開催料金の延滞が報道されるなど、ポート・インペリアル市街地コースへの移転は遅々として進んでいない[注 6]

脚注

関連項目

外部リンク

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