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アメリカグランプリ(アメリカGP, 米: United States Grand Prix)は、アメリカ合衆国で1959年から断続的に行われているF1世界選手権レースのひとつ。その他、アメリカ国内で開催された、アメリカグランプリ以外のF1選手権レースについても本項目で記述する。
サーキット・オブ・ジ・アメリカズ | |
レース情報 | |
---|---|
周回 | 56[1] |
コース長 | 5.513[1] km (3.426 mi) |
レース長 | 308.405[1] km (191.634 mi) |
開催回数 | 45[2][注 1] |
初回 | 1908年 |
最多勝利 (ドライバー) | ルイス・ハミルトン (6)[3][注 1] |
最多勝利 (コンストラクター) | フェラーリ (11)[4][注 1] |
最新開催(2024年): | |
ポールポジション |
ランド・ノリス マクラーレン-メルセデス 1:32.330 |
決勝順位 |
1. シャルル・ルクレール フェラーリ 1:35:09.639 2. カルロス・サインツ フェラーリ +8.562s 3. マックス・フェルスタッペン レッドブル-ホンダ・RBPT +19.412s |
ファステストラップ |
エステバン・オコン アルピーヌ-ルノー 1:37.330 |
19世紀末の自動車の発明以来、アメリカでは草競馬場のコースを利用したオーバルレースが人気となり、インディ500(1908年-)を含む全米選手権の発足に至る。その一方、ヨーロッパタイプの公道サーキットでレースを行おうとする者も現れ、1904年には欧米交流戦のヴァンダービルト杯が始まり、1908年には欧州のグランプリ規定に則ったアメリカン・グランド・プライズ (American Grand Prize) が創設された。アメリカン・グランド・プライズはジョージア州サバンナ、ウィスコンシン州ミルウォーキー、カリフォルニア州サンタモニカ、カリフォルニア州サンフランシスコといった場所で1916年までに7回開催された(1911年以降はヴァンダービルト杯との同時開催)。1914年の大会を制したマーサー (Mercer) を除けば、いずれも優勝したのは欧州車であった。第一次世界大戦によりヨーロッパのレース界との交流が絶たれると、この種のイベントは開催されなくなった。
1950年にF1世界選手権が創設されると、インディ500も選手権の1戦に組み込まれたが、ヨーロッパからの参戦者も少なかったため、1960年限りでF1のカレンダーから姿を消した。
1958年にカリフォルニア州のリバーサイド・インターナショナル・レースウェイにて開催されたUSACスポーツカー選手権 (USAC Road Racing Championship) の1戦に「アメリカグランプリ (United States Grand Prix) 」の名が冠せられた。そして翌1959年に、フロリダ州の飛行場跡地に出来たサーキット、セブリング・インターナショナル・レースウェイでF1世界選手権のアメリカGPが初開催された。1960年にリバーサイドで開催されたあと、翌1961年から1980年まではニューヨーク州のワトキンズグレン・インターナショナル・レースウェイで行われた。「グレン」ことワトキンズグレンでは紅葉の美しい季節に開催され、シーズン終盤の名物レースとなった。
当地では徐々にF1が浸透し、商業的観点からモータースポーツが重視されるようになっていくと、1976年から1984年までは年2回開催されるようになった(1982年は年3回)。この期間はアメリカGPの他に「アメリカ西グランプリ」「シーザーズ・パレスグランプリ」「デトロイトグランプリ」「ダラスグランプリ」といった名称も使用された(詳細は後述のアメリカグランプリ以外の名称で行われたF1レースを参照)。
しかし、サーキットは市街地の仮設コースばかりで、レースが行われる際の安全性確保や興行的問題、さらにCART(後のチャンプカー)人気上昇等の問題から、開催数は次第に減少していった。そして1991年にアリゾナ州のフェニックス市街地コースで行われたアメリカGPを最後に、一旦は米国内でF1が開催されなくなる。
F1は「世界選手権」の名を掲げているが、アメリカ国内においてはNASCARやインディカーなどの人気が高く、F1は人気が定着しきれないでいた。こうした事態を打破するため、インディ500やブリックヤード400が行われているアメリカンモータースポーツ界の聖地、インディアナポリス・モーター・スピードウェイを舞台にして、2000年よりアメリカGPが復活することとなった。初開催の決勝日には巨大なスタンドを埋める20万人もの観客を集め、当地における潜在的なF1人気を実証することになった。
2003年まではシーズン終盤のレースとして9月末に開催されてきたが、2004年以降は参戦チームの遠征費用効率化を目的とし、6月にカナダGPとの連戦で開催されるようになった。
2005年はミシュランタイヤのトラブルに端を発し、ミシュランタイヤ装着全7チーム14台がフォーメーションラップのみで自主リタイア。ブリヂストンタイヤを装着する3チーム6台のみでレースが行われるという異常事態が発生した(詳細は2005年アメリカGPを参照)。この事件はミシュランと国際自動車連盟 (FIA) の間に大きな亀裂を生む事となり、2006年のミシュランF1撤退に少なからぬ影響を及ぼした。加えて退屈なレースに観客からの不満が爆発し、主催者はチケットの返金などの対応に追われる事になった。
こうした経緯から主催者とFIAの関係も悪化の一途を辿り、2008年のF1アメリカグランプリ開催を断念する共同声明を発表するに至った。
F1に参戦するチーム・自動車メーカー・スポンサーからは「大消費地であるアメリカでF1が開催されないことは、宣伝媒体としてのF1の価値を低下させる」としてアメリカでの開催を復活させるよう根強い要望があった。F1の興行権を持つフォーミュラ・ワン・マネジメント(FOM)が米国内の様々なサーキットと交渉を行った結果、2012年より新たにテキサス州オースティンにサーキットを建設してアメリカグランプリを復活させることが決定した[5]。
2010年9月にはヘルマン・ティルケ率いるティルケデザインの設計による新サーキットのコースレイアウトが公表された[6]。サーキットの建設は同年12月に開始され、建設費用は約2億ドル[7]。サーキット建設に当たっては、NFLのミネソタ・バイキングスやNBAのサンアントニオ・スパーズなどのオーナーを務めたこともある投資家のレッド・マコームズ、元ロードレース世界選手権(WGP)・GP500クラスチャンピオンのケビン・シュワンツなどの支援を受けている[8]。後にこのサーキットはサーキット・オブ・ジ・アメリカズと名づけられた。
メディアの中にはサーキットの建設費用などの調達ができず開催が流れる危険性を憂慮するものもあり[9]、実際プロモーター側でも、場合によっては同地でのグランプリ初開催が1年延期され2013年にずれ込む可能性を認めていたが[10]、予定通り2012年11月にレースが開催された。
1958年のみ国内スポーツカー選手権「USACロードレーシング・チャンピオンシップ」の一戦として開催。ラウンドの数字は同選手権のもの。
年 | 決勝日 | ラウンド | サーキット | 優勝者 | コンストラクター (括弧内はノンワークスチーム) | 結果 |
---|---|---|---|---|---|---|
1958 | 10月12日 | 4 | リバーサイド | チャック・デイ | スカラブ-シボレー | 詳細 |
1959 | 12月12日 | 9 | セブリング | ブルース・マクラーレン | クーパー-クライマックス | 詳細 |
1960 | 11月20日 | 10 | リバーサイド | スターリング・モス | ロータス-クライマックス (ロブ・ウォーカー) | 詳細 |
1961 | 10月 | 8日8 | ワトキンズ・グレン | イネス・アイルランド | ロータス-クライマックス | 詳細 |
1962 | 10月 | 7日8 | ワトキンズ・グレン | ジム・クラーク | ロータス-クライマックス | 詳細 |
1963 | 10月 | 6日8 | ワトキンズ・グレン | グラハム・ヒル | BRM | 詳細 |
1964 | 10月 | 4日9 | ワトキンズ・グレン | グラハム・ヒル | BRM | 詳細 |
1965 | 10月 | 3日9 | ワトキンズ・グレン | グラハム・ヒル | BRM | 詳細 |
1966 | 10月 | 2日8 | ワトキンズ・グレン | ジム・クラーク | ロータス-BRM | 詳細 |
1967 | 10月 | 1日10 | ワトキンズ・グレン | ジム・クラーク | ロータス-フォード | 詳細 |
1968 | 10月 | 6日11 | ワトキンズ・グレン | ジャッキー・スチュワート | マトラ-フォード (マトラ・インターナショナル) | 詳細 |
1969 | 10月 | 5日10 | ワトキンズ・グレン | ヨッヘン・リント | ロータス-フォード | 詳細 |
1970 | 10月 | 4日12 | ワトキンズ・グレン | エマーソン・フィッティパルディ | ロータス-フォード | 詳細 |
1971 | 10月 | 3日11 | ワトキンズ・グレン | フランソワ・セベール | ティレル-フォード | 詳細 |
1972 | 10月 | 8日12 | ワトキンズ・グレン | ジャッキー・スチュワート | ティレル-フォード | 詳細 |
1973 | 10月 | 7日15 | ワトキンズ・グレン | ロニー・ピーターソン | ロータス-フォード | 詳細 |
1974 | 10月 | 6日15 | ワトキンズ・グレン | カルロス・ロイテマン | ブラバム-フォード | 詳細 |
1975 | 10月 | 5日14 | ワトキンズ・グレン | ニキ・ラウダ | フェラーリ | 詳細 |
1976 | 10月10日 | 15 | ワトキンズ・グレン | ジェームス・ハント | マクラーレン-フォード | 詳細 |
1977 | 10月 | 2日15 | ワトキンズ・グレン | ジェームス・ハント | マクラーレン-フォード | 詳細 |
1978 | 10月 | 1日15 | ワトキンズ・グレン | カルロス・ロイテマン | フェラーリ | 詳細 |
1979 | 10月 | 7日15 | ワトキンズ・グレン | ジル・ヴィルヌーヴ | フェラーリ | 詳細 |
1980 | 10月 | 5日14 | ワトキンズ・グレン | アラン・ジョーンズ | ウィリアムズ-フォード | 詳細 |
1981 - 1988 |
1976年-1983年にロングビーチで開催されたレースはアメリカ西グランプリ、 1982年-1988年にデトロイトで開催されたレースはデトロイトグランプリ、 1981年-1982年にシーザーズ・パレスで開催されたレースはシーザーズ・パレスグランプリ、 1984年にダラスで開催されたレースはダラスグランプリの各節を参照。 | |||||
1989 | 6月 4日 | 5 | フェニックス | アラン・プロスト | マクラーレン-ホンダ | 詳細 |
1990 | 3月11日 | 1 | フェニックス | アイルトン・セナ | マクラーレン-ホンダ | 詳細 |
1991 | 3月10日 | 1 | フェニックス | アイルトン・セナ | マクラーレン-ホンダ | 詳細 |
1992 - 1999 |
開催されず | |||||
2000 | 9月24日 | 15 | インディアナポリス | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 詳細 |
2001 | 9月30日 | 16 | インディアナポリス | ミカ・ハッキネン | マクラーレン-メルセデス | 詳細 |
2002 | 9月29日 | 16 | インディアナポリス | ルーベンス・バリチェロ | フェラーリ | 詳細 |
2003 | 9月28日 | 15 | インディアナポリス | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 詳細 |
2004 | 6月20日 | 9 | インディアナポリス | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 詳細 |
2005 | 6月19日 | 9 | インディアナポリス | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 詳細 |
2006 | 7月 2日 | 10 | インディアナポリス | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 詳細 |
2007 | 6月17日 | 7 | インディアナポリス | ルイス・ハミルトン | マクラーレン-メルセデス | 詳細 |
2008 - 2011 |
開催されず | |||||
2012 | 11月18日 | 19 | オースティン | ルイス・ハミルトン | マクラーレン-メルセデス | 詳細 |
2013 | 11月17日 | 18 | オースティン | セバスチャン・ベッテル | レッドブル-ルノー | 詳細 |
2014 | 11月 | 2日17 | オースティン | ルイス・ハミルトン | メルセデス | 詳細 |
2015 | 10月25日 | 16 | オースティン | ルイス・ハミルトン | メルセデス | 詳細 |
2016 | 10月23日 | 18 | オースティン | ルイス・ハミルトン | メルセデス | 詳細 |
2017 | 10月22日 | 17 | オースティン | ルイス・ハミルトン | メルセデス | 詳細 |
2018 | 10月21日 | 18 | オースティン | キミ・ライコネン | フェラーリ | 詳細 |
2019 | 11月 | 3日19 | オースティン | バルテリ・ボッタス | メルセデス | 詳細 |
2020 | 新型コロナウイルス感染症の世界的流行により中止 | |||||
2021 | 10月24日 | 17 | オースティン | マックス・フェルスタッペン | レッドブル-ホンダ | 詳細 |
2022 | 10月23日 | 19 | オースティン | マックス・フェルスタッペン | レッドブル-RBPT | 詳細 |
2023 | 10月22日 | 19 | オースティン | マックス・フェルスタッペン | レッドブル-ホンダ・RBPT | 詳細 |
2024 | 10月20日 | 19 | オースティン | シャルル・ルクレール | フェラーリ | 詳細 |
出典: [16] |
F1世界選手権として開催されたレースを対象とする。
(2勝以上)
(2勝以上)
回数 | コンストラクター | 優勝年 |
---|---|---|
11 | フェラーリ | 1975, 1978, 1979, 2000, 2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2018, 2024 |
8 | ロータス | 1960, 1961, 1962, 1966, 1967, 1969, 1970, 1973 |
マクラーレン | 1976, 1977, 1989, 1990, 1991, 2001, 2007, 2012 | |
5 | メルセデス[注 3] | 2014, 2015, 2016, 2017, 2019 |
4 | レッドブル | 2013, 2021, 2022, 2023 |
3 | BRM | 1963, 1964, 1965 |
2 | ティレル | 1971, 1972 |
出典: [4] |
(2勝以上)
回数 | メーカー | 優勝年 |
---|---|---|
11 | フォード * | 1967, 1968, 1969, 1970, 1971, 1972, 1973, 1974, 1976, 1977, 1980 |
フェラーリ | 1975, 1978, 1979, 2000, 2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2018, 2024 | |
8 | メルセデス[注 3] ** | 2001, 2007, 2012, 2014, 2015, 2016, 2017, 2019 |
4 | クライマックス | 1959, 1960, 1961, 1962 |
BRM | 1963, 1964, 1965, 1966 | |
ホンダ *** | 1989, 1990, 1991, 2021 | |
2 | ルノー | 1986, 2013 |
RBPT / ホンダ・RBPT *** | 2022, 2023 | |
出典: [17] |
米国内で実施されながら、複数回の開催のためにアメリカグランプリ以外の名前で行われたレースがある。1982年及び2023年以降は米国内で実に3回ものグランプリが開催されている。また、1950年から1960年はインディ500もF1選手権に組み込まれていた。
ロングビーチ市街地コース (1983) | |
レース情報 | |
---|---|
周回 | 75 |
コース長 | 3.275 km (2.035 mi) |
レース長 | 245.625 km (152.620 mi) |
開催回数 | 8[18] |
初回 | 1976年 |
最終開催 | 1983年 |
最多勝利 (ドライバー) | 複数回優勝者なし[19] |
最多勝利 (コンストラクター) | フェラーリ (3)[20] |
最新開催(1983年): | |
ポールポジション |
パトリック・タンベイ フェラーリ 1:26.117 |
決勝順位 |
1. ジョン・ワトソン マクラーレン-フォード 1:53:34.889 2. ニキ・ラウダ マクラーレン-フォード +27.993s 3. ルネ・アルヌー フェラーリ +73.638s |
ファステストラップ |
ニキ・ラウダ マクラーレン-フォード 1:28.330 |
1976年から1983年までロングビーチ市街地コースを使用して開催された。カリフォルニア州のロングビーチ市街をサーキットとして使用した。1周3.251kmを初め多彩なレイアウトがある。
年 | 決勝日 | ラウンド | サーキット | 優勝者 | コンストラクター | 結果 |
---|---|---|---|---|---|---|
1976 | 3月28日 | 3 | ロングビーチ | クレイ・レガツォーニ | フェラーリ | 詳細 |
1977 | 4月 | 3日4 | ロングビーチ | マリオ・アンドレッティ | ロータス-フォード | 詳細 |
1978 | 4月 | 2日4 | ロングビーチ | カルロス・ロイテマン | フェラーリ | 詳細 |
1979 | 4月 | 8日4 | ロングビーチ | ジル・ヴィルヌーヴ | フェラーリ | 詳細 |
1980 | 3月30日 | 4 | ロングビーチ | ネルソン・ピケ | ブラバム-フォード | 詳細 |
1981 | 3月15日 | 1 | ロングビーチ | アラン・ジョーンズ | ウィリアムズ-フォード | 詳細 |
1982 | 4月 | 4日3 | ロングビーチ | ニキ・ラウダ | マクラーレン-フォード | 詳細 |
1983 | 3月27日 | 2 | ロングビーチ | ジョン・ワトソン | マクラーレン-フォード | 詳細 |
出典: [21] |
デトロイト市街地コース (1983-1988) | |
レース情報 | |
---|---|
周回 | 63 |
コース長 | 4.023 km (2.500 mi) |
レース長 | 253.449 km (157.500 mi) |
開催回数 | 7[22] |
初回 | 1982年 |
最終開催 | 1988年 |
最多勝利 (ドライバー) | アイルトン・セナ (3)[23] |
最多勝利 (コンストラクター) |
ロータス (2) マクラーレン (2)[24] |
最新開催(1988年): | |
ポールポジション |
アイルトン・セナ マクラーレン-ホンダ 1:37.041 |
決勝順位 |
1. アイルトン・セナ マクラーレン-ホンダ 1:54:56.035 2. アラン・プロスト マクラーレン-ホンダ +38.713s 3. ティエリー・ブーツェン ベネトン-フォード +1 lap |
ファステストラップ |
アラン・プロスト マクラーレン-ホンダ 1:44.836 |
1982年から1988年までデトロイト市街地コースで開催された。開催開始当初はアメリカで複数のレースが開催されていたが、1985年以降はデトロイトのみとなった。
シーザーズ・パレス・グランプリサーキット | |
レース情報 | |
---|---|
周回 | 75 |
コース長 | 3,650 km (2,270 mi) |
レース長 | 273.750 km (170.250 mi) |
開催回数 | 2[注 1] |
初回 | 1981年 |
最終開催 | 1982年 |
最新開催(1982年): | |
ポールポジション |
アラン・プロスト ルノー 1:16.356 |
決勝順位 |
1. ミケーレ・アルボレート ティレル-フォード 1:41:56.888 2. ジョン・ワトソン マクラーレン-フォード +27.290s 3. エディー・チーバー リジェ-マトラ +56.450s |
ファステストラップ |
ミケーレ・アルボレート ティレル-フォード 1:19.639 |
1981年と1982年にラスベガスのホテル、シーザーズ・パレスの巨大駐車場にコンクリートウォールを設置、1周3.650kmのシーザーズ・パレス・グランプリサーキットを急造して開催された。1981年はウィリアムズのアラン・ジョーンズが、1982年はティレルのミケーレ・アルボレートがそれぞれ勝利したが、観客動員の伸び悩みによりF1での開催は2年で打ち切られた[26][注 4]。
F1開催終了から41年後の2023年からラスベガス・ストリップ・サーキットで開催されている「ラスベガスグランプリ」については後述の「ラスベガスグランプリ」の節を参照。
ダラス・グランプリ・サーキット | |
レース情報 | |
---|---|
周回 | 67 |
コース長 | 3.901 km (2.424 mi) |
レース長 | 261.367 km (162.406 mi) |
開催回数 | 1[注 1] |
初回 | 1984年 |
最終開催 | 1984年 |
最新開催(1984年): | |
ポールポジション |
ナイジェル・マンセル ロータス-ルノー 1:37.041 |
決勝順位 |
1. ケケ・ロズベルグ ウィリアムズ-ホンダ 2:01:22.617 2. ルネ・アルヌー フェラーリ +22.464s 3. エリオ・デ・アンジェリス ロータス-ルノー +1 lap |
ファステストラップ |
ニキ・ラウダ マクラーレン-TAG 1:45.353 |
1984年にダラスのフェア・パークにある道路を使用した急造コース「ダラス・グランプリ・サーキット」で開催。真夏の猛暑に見舞われたサバイバルレース[28]はウィリアムズのケケ・ロズベルグが優勝し、ホンダの第2期活動(ターボエンジン供給)での初優勝を印した。
マイアミ・インターナショナル・オートドローム | |
レース情報 | |
---|---|
周回 | 57[30] |
コース長 | 5.412[30] km (3.363 mi) |
レース長 | 308.326[30] km (191.585 mi) |
開催回数 | 3 |
初回 | 2022年 |
最多勝利 (ドライバー) | マックス・フェルスタッペン (2) |
最多勝利 (コンストラクター) | レッドブル (2) |
最新開催(2024年): | |
ポールポジション |
マックス・フェルスタッペン レッドブル-ホンダ・RBPT 1:27.241 |
決勝順位 |
1. ランド・ノリス マクラーレン-メルセデス 1:30:49:876 2. マックス・フェルスタッペン レッドブル-ホンダ・RBPT +7.612s 3. シャルル・ルクレール フェラーリ +9.920s |
ファステストラップ |
オスカー・ピアストリ マクラーレン-メルセデス 1:30.634 |
フロリダ州マイアミにあるマイアミ・インターナショナル・オートドロームで2022年から開催されている。
2016年にフォーミュラワン・グループを買収しF1の興行権を持つことになったリバティメディアは、テキサス州オースティンのサーキット・オブ・ジ・アメリカズで開催されているアメリカグランプリに続くアメリカ国内での2レース目の開催に積極的な姿勢を見せ、翌2017年末にマイアミがその最有力候補として浮上した。アメリカン・エアラインズ・センター(現:カセヤ・センター)周辺とビスケーン大通りを下るダウンタウンでの市街地コースで早ければ2019年に開催する計画が立てられたが[31]、地元からの反対意見もあって難航し[32]、2019年にこの計画は断念された[33]。
代わってNFLマイアミ・ドルフィンズの本拠地ハードロック・スタジアム周辺での開催案が浮上し[33]、同チームのオーナーを務めるスティーブン・ロスが率いるコンソーシアムとリバティメディアとの交渉が進み、政治的支援やマイアミ市議会の承認が必要ではあるが、2021年からの開催に原則合意した[34]。ところが、新型コロナウイルス感染症の世界的流行によってこの計画の破棄はされていないもの、感染症の解決のめどが立つまで計画は凍結することが決定した[35]。
2021年4月18日、2022年シーズンからマイアミグランプリを開催すると正式発表した[36]。これにより、1984年以来38年ぶりにアメリカ国内での複数レース開催が復活することになった。契約期間は2031年までの10年間[37]。
ラスベガス・ストリップ・サーキット (2023-) | |
レース情報 | |
---|---|
周回 | 50[42] |
コース長 | 6.201[42] km (3.853 mi) |
レース長 | 310.050[42] km (192.656 mi) |
開催回数 | 2 |
初回 | 2023年 |
最新開催(2024年): | |
ポールポジション |
ジョージ・ラッセル メルセデス 1:32.312 |
決勝順位 |
1. ジョージ・ラッセル メルセデス 1:22:05.969 2. ルイス・ハミルトン メルセデス +7.313s 3. カルロス・サインツ フェラーリ +11.906s |
ファステストラップ |
ランド・ノリス マクラーレン-メルセデス 1:34.876 |
2023年からネバダ州ラスベガスに新設されたラスベガス・ストリップ・サーキットで開催されている。
2021年よりF1の関係者がラスベガスを訪問し、2023年の初開催を前提に交渉。2022年3月31日、2023年からの開催決定がアナウンスされた。コースはラスベガスのカジノ街を貫く「ストリップ」を含む公道コース、ラスベガス・ストリップ・サーキットを使用する。決勝レースは土曜日の22時スタートという極めて異例の形態となる。これにより、オースティン(アメリカGP)とマイアミ(マイアミGP)に続き、アメリカ国内で3レースが開催されることになった[43]。
F1世界選手権初年度の1950年から選手権レースの一戦に組み込まれたが、「世界選手権」を名乗るためにはヨーロッパ以外のレースを入れたいというFIAの思惑があったためであり、形式的なものに過ぎなかった。当時のインディ500のエンジン排気量は最大4.5LとF1の自然吸気エンジンと同じ[注 5]で、選手権ポイントも他のGP同様与えられたが、インディ500と他のF1GPに参戦するドライバーはほとんどなく[注 6]、1959年からアメリカGPが選手権レースの一戦となったことから、1960年をもって選手権レースから除外された[47][48]。
2012年からオースティンでアメリカGPが再開された一方、2013年からはニュージャージー州でもう1つのグランプリが開催される予定とされ、2011年10月25日に同州知事が開催を発表した。ハドソン川を挟んでニューヨーク・マンハッタンの対岸に位置するウィーホーケンとウェストニューヨークにまたがる市街地を使用する[49]としていたが、サーキット建設の認可手続きが間に合わず、実際の開催は2016年からにずれ込む見込みとされていた[50]ものの、2016年度はまたしても開催が見送られた。名称はニュージャージーグランプリとなる予定らしいが、2015年度のアメリカグランプリの開催料金の延滞が報道されるなど、ポート・インペリアル市街地コースへの移転は遅々として進んでいない[注 7]。
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