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日本の漫画家・好角家・コメンテーター・エッセイスト ウィキペディアから
やく みつる(本名:畠山 秀樹〈はたやま ひでき〉[1]、1959年3月12日 - )は、日本の漫画家・好角家。日本昆虫協会の副会長。 現在はテレビ番組やラジオ番組のコメンテーター[2] 及びエッセイストとしても活動している。
「やくみつる」の芸名は、麻雀の「役満」を捩ったもの[3]。1981年のデビュー時は「はた山 ハッチ」を名乗っていた[2](「#来歴」参照)。
東京都世田谷区桜新町出身。両親は秋田県出身[4]。 桐蔭学園中学校、同校高等学校普通科、早稲田大学商学部卒業。学位は商学士[3]。在学中は、早稲田大学漫画研究会に所属。
1981年にはた山 ハッチ(はたやまハッチ、Hatch Hatayama)名義で、漫画家として『まんがタイム』誌でデビュー。「パロ野球ニュース」などプロ野球4コマ漫画を経て、『やくみつるのガタガタ言うゾ!』などの時事4コマ漫画をやくみつる名義で執筆するようになる。
代表作は1994年から『しんぶん赤旗』日曜版で連載している『やくみつるの小言・大言』[5]。
時事ネタを扱うようになってからは、テレビ番組のコメンテーターなどのタレント活動もしている。
妻はアシスタントの畠山利奈子(やく利奈子)。
大学生の頃に学費を稼ぐために漫画の執筆を開始する。ストーリー漫画の執筆はできないため、似顔絵描きや4コマ漫画で薄利多売をする方法で活動を続けた。自身の漫画業界における成功経験を重視し、漫画の持つ文化的な側面を軽視する傾向にある。少年漫画については「子どもに少年漫画は見せたくないというのが私の持論である。漫画なんて成人向け週刊誌の間に息抜き程度にはさまっているだけで十分な代物だと思う」と強く否定し[6]、ストーリー漫画家についても「それなりの原稿料をもらい、さらに、印税で巨万の富を得るのはムシのよすぎる話。やはり漫画家たるもの1枚ナンボの世界に身を置きたいもの。」と評した[7]。
4コマ漫画については1994年頃に「漫画家を志す者にとって、4コマというのは参入しやすいものに見えるらしい。」「ところが、いわゆる一般の週刊誌に描ける漫画家となると、ほんの一握りに過ぎない」と述べる一方、同人誌出身の漫画家については「漫画同人系から入ってきた連中は手に負えない。彼らは、仲間内で楽しめばいいという感覚をひきずったままプロになる。そのため、人に読んでもらうということに対しての自覚が皆無に等しい。ネタについてのとらえ方も、独善的で、あいまいだ。こういう輩が跋扈(ばっこ)する限り、業界はますますヒドくなっていくだろう。」と著し[8]た。やくは「漫画嫌い」を公言し、2015年10月19日放送の『情報ライブ ミヤネ屋』で、漫画は読むのも描くのも時間の無駄であると語った[9]。
荒唐無稽な要素が少なく、ヒーローインタビューや試合の経過などといった、実際に起こったことを取り上げて批判する作風である。また自身を頻繁に漫画に登場させて、登場人物と絡らませることも特徴になっている。
1981年に『まんがタイムオリジナル』でいしいひさいちの『がんばれ!!タブチくん!!』を模倣した『がんばれエガワくん』の連載が人気となり、1985年の『まんがスポーツ』にメイン作家として起用された経緯から、いしいひさいちに便乗した漫画家の筆頭とされる。ただし、やくは、題材とした江川と同じ部屋にもいたくないと公言するほど江川を嫌っており、タイトルも江川を主役にしようと決めたのも、芳文社の編集者主導によるものだった[10]。
自らの比較的現実的な作風を考慮せず、すぐにフィクションと区別がつかないような事を書くことも多かった。一例を挙げると、桑田真澄が目に沁みないように予め自分でビールをかけているところを取り上げ、「一人ビールかけで総スカン」などと書いたことがある(巨人が強行指名したという経緯もあり、いしいひさいちも桑田を悪人顔に書いていたが、荒唐無稽な話で笑わせていた)。また、衝突事故によって吉村禎章に重傷を負わせた栄村忠広を背番号66からダミアンと名付け、衝突事故を執拗にネタとして扱った。熱狂的な横浜ベイスターズファンながら、選手の好き嫌いが激しく、高木豊や佐々木主浩などには、辛辣なネタを描くことが多かった。例としてまだリリーフ分業制が確立していない時代に、佐々木が9回限定で登板していたことをネタにし、暴漢に襲われる女性が、自ら反撃しながら苦労して取り押さえたところで、やっと佐々木が助けに来るという話があった。
その後、キャリアとしては全盛期に『まんがパロ野球ニュース』(現『まんがくらぶオリジナル』竹書房)の看板作家の座を、同じく横浜ベイスターズを題材としていたみずしな孝之(荒唐無稽な要素と、日常的な要素を併用していた)に追われている。ほぼ正反対だった作風の『きまぐれMVP!』(たかみね駆)を名指しで批判したこともある[注 1]。
2011年に横浜ベイスターズがDeNAに買収されると、やくは長年の横浜ベイスターズファンであることを公言してきたが、DeNAが課金制の携帯電話向けゲームを運営する会社であることを「疫病神」などと罵倒し、ベイスターズファンを(親会社が代わるまで)やめると宣言した[11]。「はた山ハッチ」名義でもファン休止宣言を行った[12]。やくはDeNAに対して、自身が横浜ファンに戻る「チャンスを与える」として「DeNAも新業種に(大洋ホエールズと同じ)遠洋漁業を加えてみろ。」と要求している[13]。
しかし、親会社変更直後のシーズンである2012年の開幕(4月3日)から『神奈川新聞』にて『はた山ハッチの それでもガンバれ!!中畑ベイスターズ』[14] と改題して、シーズン中の1コマ漫画連載は継続。 後になって「横浜ベイスターズが横浜DeNAベイスターズとなってから、“決別宣言”をした僕ですが、ベイスターズのことはずっと応援しています」[15]と発言しており、休止宣言は実体の伴わない口先だけのものであった。
1994年から『しんぶん赤旗』日曜版で連載している『やくみつるの小言・大事』[5] を連載しているほか、民主党の『マンガ版よくわかる民主党政策』を執筆する[16] などがある。
プロ野球などについて物議をかもす発言を多く残しているが、テレビ番組で共演している水道橋博士によれば「茶番劇」の中で悪役を演じているだけだという[17]。
フィギュアスケートを「ナルシストのスポーツ」と呼び、ソチ五輪で金メダルを受賞した羽生結弦選手に対しては「ナルシストの泣き虫」と評している[18]。
ボクシングで亀田三兄弟が大阪から世界を目指すとしてメディアに取り上げられたが、長男・興毅が相手選手に行う挑発的なパフォーマンスやそれを容認する父・史郎の姿勢を疑問視し、否定的な姿勢を見せていた。2006年8月2日に長男・興毅がWBAライトフライ級世界タイトル戦で判定勝利した後、疑惑の判定との声が多く寄せられたために史郎が同月7日放送のテレビ朝日系列の朝の情報番組『スーパーモーニング』に出演。ガッツ石松、やくとの公開討論を行い判定の批判への不満を露わにした。史郎はガッツとのやりとりの後、やくに「そんであの、おたく」と呼ぶとやくは「おたくじゃない、やくさんと言いな。俺には名前があるんだ」と言うと(史郎の息子らに対する躾がなっていないとして)「これでカメをしばっとき」と、凧糸を渡した。凧糸を渡された史郎は床に捨てると、やくは「人の土産それはないよな」「これ腹立つやろ、腹立つやろ。あんたの倅はこれと同じことやっとるんや」と長男・興毅の試合前に行っている対戦相手へのパフォーマンスを批判する。その後「オッサンの教育のためにやってきた」「まずは口の利き方を教えてやった方がいい」「安っぽいドラマを見せないでほしい」「あんな1時間半にも渡ってダラダラダラダラパフォーマンスを見せらるのが嫌じゃ」などの挑発を繰り返した[19]。
この際、やくはサングラスをかけて、服も不良が着るような派手な服装で、数珠のようなネックレスを付けて討論に臨んだ。この姿も「おたくの倅がそういう態度で他人に接している」ということをわからせるためにやったと発言した。だが史郎は「ここは話し合いの場であって興毅は闘いの場でやってる。ここでやるのはおかしい」と不快感を露わにした。同席していたガッツも「これは試合の時のためのパフォーマンスだから、この場で亀田の親父さんにやっちゃダメだ」と苦言を呈した。やくは「この親父さんには普通に言ったのでは意味がないから敢えて同じ行動を取ってどれだけ失礼な行為かをわからせたかった」と説明した(討論の途中から、やくはサングラスから普通の眼鏡に掛け直した)。結局、話し合いは解決に至ることはなかった。これ以降、やくと史郎及び亀田三兄弟の共演はなかった。そして翌年2007年10月11日に次男・大毅と内藤大助との試合で大毅は反則行為を繰り返し、亀田家として初めて黒星を喫すると亀田一家に日本中から批判を受けることになった。奇しくも前述の『スーパーモーニング』でやくは史郎の「悪いことしても世間に迷惑かけなきゃええやないか」との発言に「悪いこと肯定できないよ。迷惑かけなきゃコンビニも前に座っていいだろとか、落書きしてもいいとか己のスタイルを貫いてもいいっていう風潮が世の中に蔓延しているのが嫌だと言っている」と苦言を呈していたが、史郎はやくの最初の会話で皮肉めいた挑発に激怒していたため忠告に耳を傾けず、興毅を中心に一連のスタイルを貫きすぎた結果、前述の反則行為で対戦相手の内藤とその陣営や観客や全国のボクシングファンや関係者に迷惑をかける形になり、やくの忠告を無視したことで亀田家は日本中から怒りを買いバッシングを受ける結果となった。
その後亀田家がメディアに取り上げられる機会が減ると痛烈な批判をしなくなったが、インターネットTV「AbemaTV」の1周年記念企画『亀田興毅に勝ったら1000万円』については「どうせ、また弱いやつに相手に勝ったんじゃないですか」と発言し、付け足して「なんて言うと炎上するんですよね。“かっこ笑い”ですからね」とかつて現役時代に強敵選手の対戦要求を拒んで試合を避け続けた亀田一家の行動を揶揄する発言をするなど批判的な発言はなかったものの好印象とまではならなかった[20]。
朝青龍明徳については前述の江川ほどの厳しい批判をしていなかったが、2007年夏の休業中にモンゴルでサッカーをした騒動を期に徹底的な批判に転じる。これについて本人は「即刻クビだと思った」と発言している[21]。朝青龍が3場所連続休場後に出場した2009年初場所では、場所前に「朝青龍は、相撲そのものに執着がないから、1勝2敗で3日目に引退する」と予測していた[22] が、朝青龍は14勝1敗で優勝した。
白鵬翔が2014年の九州場所で32度目の優勝を果たし、大鵬の史上最多優勝記録に並ぶと土俵上の態度を理由に「日本人が期待する横綱像とは悲しいかな離れてきている。立派な横綱だと尊敬されるためには、改めるべきはこれを機に改めていただきたい」と批判した。スポーツジャーナリストの菅谷齊は、「八百長騒動で人気がガタ落ちした大相撲を復活させたのは白鵬人気であり、横綱になってから一度も休場がないというのも特筆すべきことで、角界を支えてきた英雄」として、やくの批判は言いがかりではないかと述べている[23]。
貴乃花光司については、2018年2月6日放送の『バイキング』で相撲協会の八角体制が盤石であったことから「貴乃花親方は現在45歳。すると10年後は55歳になり、相当勉強されて、支持されてくるんじゃないかと思う」と今後の展望に期待するコメントをしていた[24]。しかし2018年12月に弟子の貴ノ岩が付け人暴行で引責引退した件では「今回の貴ノ岩事件では、加害者も被害者も貴乃花部屋出身の力士です。とくに貴ノ岩の手の早さは角界でも有名だった。貴乃花親方の指導が徹底していれば、事件は起きなかったでしょう。力士が望まぬ指導を受ければ不満が溜まり、暴力という負の連鎖になって後輩に被害が及ぶ。先日、テレビのインタビューで親方は『貴ノ岩には今後10年間会わない』と語っていましたが、元師匠としての責任を放棄しているとしか思えません」と元師匠であった貴乃花の責任を厳しく指摘している[25]。
2020年3月場所は新型コロナウイルスの影響で「無観客場所」となったが、初日をテレビ観戦した感想として「良かったのは神聖な面が出たところ。横綱土俵入りで、初めて四股を踏む音、すり足の動作の音、化粧まわしと土俵の摩擦音、呼吸音まで聞こえた」と語り「相撲が神事であると見つめ直す機会になった」と述べた。その一方で「良くなかったのは淡々と進んでしまうところ。お客さんの声は、今や熱戦の必要条件になっている」と残念がった[26]。
2020年7月場所前の中川部屋閉鎖騒動の際、部屋閉鎖処分の原因となった中川親方の暴言を弟子が録音していたことに対して「弟子たちがちゃんと録音しているものを残しているという。時代は変わってきつつあるな。なかなかご指導も大変だろうと思いますけど、ちょっとビックリしました」と弟子の対応に驚きを隠せなかった[27]。
カツラを愛用していることを公言しており、当初は着脱式のものを使用していたが、映画『かずら』の「着脱式のカツラをつけた男性が空港の金属探知機に引っかかる」というオープニングシーンに衝撃を受けたことをきっかけに、現在は松木安太郎の紹介によるスヴェンソンの編み込み式増毛法とふりかけ式を併用している[28][29]。
有名人のたばこの吸殻や使用済みのストロー、世界各国のトイレットペーパー等のいわゆる珍品を多数収集していることで知られ、それらに関する本も出している[30]。横浜ベイスターズが1998年の日本シリーズで優勝した時の祝勝会で使われた酒樽(使用後で空の状態)も持っている。やくは実際にこの祝勝会に参加しており、球団にも空になった酒樽をもらいたいと申し出てOKをもらったが、選手や関係者が持ち帰るようなことがあったら勘弁して下さいと言われたことで、誰にも持って行かれないようにずっと酒樽の横に居た。『週刊ベースボール』編集部員が酒樽をやくの事務所まで運ぶのに協力している[31]。
上記のように、やくは自分の作品掲載以外でもコメンテーターなどとして積極的にマスメディアに出演・寄稿し、「珍品コレクション」の収集という趣味もあるため、有名人との交友を幅広く持っている。その中の一人に、昆虫採集、特にチョウの採集という共通の趣味がある鳩山邦夫がいて、やくは自分の作品の中で鳩山を登場させた事もある。鳩山が日本郵政の西川善文社長の更迭を求めた問題で麻生内閣での総務大臣辞任に追い込まれた際には、「一企業の社長人事で大臣が辞任に追い込まれるのは奇異に思う」などとしてその決定を批判した[32]。また、好角家という関係から親交を持ったデーモン閣下とは『Qさま!』や『大相撲この一年』などで共演している。
出身地に住み続けているため、小学校の同級生と現在も頻繁に酒食を共にする。子供時代は、肉の脂身など苦手な食べ物が多く学校給食を完食するまで居残りさせられていたが、大人になると偏食はなくなったという[2]。
やくは「はた山ハッチ」という別のペンネームも持ち、仕事の性格等に応じて両者を使い分けていた。なお連載作品名に「やくみつるの」と付く場合は、これを省略して表記する。デビュー当初は「はた山ハッチ」名義で執筆していたが、途中から「やくみつる」名義でも執筆するようになる。今ではほとんどの作品においてやくみつる名義で執筆している。
その他バラエティ番組、週刊誌での4コママンガ、イラスト等多数。
●印は「はた山ハッチ」名義。
※レギュラー
※不定期
※テレビドラマ
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