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アメリカ合衆国のロックバンド ウィキペディアから
TOTO(トト)は、アメリカ合衆国出身のロックバンド。1976年に結成。デビュー作から全米チャート上位にランクインするなど成功を収め、特に4枚目のアルバム『TOTO IV〜聖なる剣〜』が1200万枚以上のセールスを記録し[6]、グラミー賞で6冠に輝いた。
ロサンゼルスでスタジオ・ミュージシャンをしていたデヴィッド・ペイチとジェフ・ポーカロを中心に、1976年に活動を開始した。
2008年1月にスティーヴ・ルカサーは、3月のボズ・スキャッグスとの訪日公演を最後に活動を無期限に休止することを発表し[7]、同年7月に自身の公式ウェブサイトで解散を正式に公表した[8]。
その後ALSを患ったマイク・ポーカロの救済目的で、2010年7月にヨーロッパ各地で期間限定としてツアーを行った。翌2011年9月には日本でもツアーが実現し[9]、以降は多くの来日公演を重ねた[10][11]。2015年には9年ぶりのオリジナル・アルバムを発売するなど[12]、事実上恒久的な活動を再開している。
2019年10月、スティーヴ・ルカサーがアレンタウンの新聞"The Morning Call"の電話インタビューで、10月20日にフィラデルフィアで行われるTOTOデビュー40周年ツアー「40 TRIPS AROUND THE SUN」最終公演をもって、現在のラインナップでの活動を休止する事を明らかにした[13]。
2020年10月19日、オフィシャルサイトでスティーヴ・ルカサー、ジョセフ・ウイリアムズの2人にサポートメンバーを加えた新ラインナップを発表し、同年11月21日に行われる配信ライブより活動を再開することを明らかにした。また、2021年夏にも新ラインナップによるワールドツアー「Dogz Of Oz」の開催を計画していたが[14]、2021年4月12日、告知済であったワールドツアーの全日程を2022年に延期するとともに、追加日程についても合わせて発表された[15]。
2023年7月10日から21日まで、4年ぶりとなる来日公演「TOTO JAPAN TOUR」を全国8都市8会場で開催。参加メンバーは、スティーヴ・ルカサー(ギター、ボーカル)、ジョセフ・ウィリアムス(ボーカル)に加え、ジョン・ピアース(ベース)、ロバート“スパット”シーライト(ドラム)、ドミニク“エグゼヴィア”タプリン(キーボード)、スティーヴ・マッジオラ(キーボード)の計6名。当初はウォーレン・ハム(サックス ほか)も参加予定だったが、健康上の理由により不参加となった[16][17][18]。
メンバーによって、またその時によって説明が異なっているため、正確には不明であるが、元メンバー、ボビー・キンボールの本名「ロバート・トトース(Robert Toteaux)」をもじったもの、「全てを含む」を意味するラテン語を英語風に変えたもの、日本の陶器メーカーTOTOからとった[19](来日の際、TOTOの便器を欲しがったと言われる)など、複数の説、及びメンバーの説明がある。ただし、陶器メーカーのTOTOからとったという説明については、デビュー当時は日本での人気が先行していたため、日本のファンへのリップサービスがてらのジョークとして音楽雑誌『ミュージック・ライフ』のインタビューで語ったものである。また、キンボールの本名説に関しても、実際の本名はトトースではない。これもメンバーによるジョークであると考えられている。
なお、2012年まで公式ウェブサイト内のバンドヒストリーでは次のような説明がなされていた。
2014年現在はこの記述は削除されているが、オズの魔法使いの部分を除き同様の回答をしているインタビュー映像がDVD作品、『グレイテスト・ヒッツ・ライヴ・アンド・モア』に収録されている。
解散直前のインタビューで、スティーヴ・ルカサーが語るところによると「今はもうバンド名がブランドになっちゃってるから変えられないけど、俺はこのバンド名が好きじゃないんだ。俺が名付けた訳じゃないし、気がついたらそういう名前になってたんだけど。イヤんなっちゃうよ、世界的に有名なトイレメーカーと同じ名前なんだぜ。皮肉っぽくてギャグとしちゃ面白いとは思うけどね」と語っている。同時に、ルカサー自身は「バット・ホール・サーファー(Butt hole surfer)の方が良かったが、もっとマジメにやれと拒否された」とも語っている[20]。
なお、本国米国をはじめとするラテン文字圏では、見出し等特別な場合を除き通常「Toto」と一般的なバンド名同様先頭のみ大文字にして表記がなされるが[注釈 1]、日本では「TOTO」というアルファベットかつ全て大文字の表記をレコード会社が公式に採用しており、「トト」「Toto」といった表記が見られるのは稀である。本稿もこれに倣いバンド名を原則「TOTO」としている。
一般的には、典型的なAORサウンド[21] と評される。1978年のデビュー当時がちょうど、シンセサイザー・サウンドや、ディスコ、フュージョン、アダルト・コンテンポラリーといった音楽の全盛期であり、商業的な成功と聴きやすいサウンドを有していることから、同時代に人気が出たボストン、ジャーニー、スティクス、フォリナーと並んで、「産業ロック(コーポレート・ロック)」と揶揄される事もあり、そういった趣が色濃い曲も数多くヒット曲が多かった。アルバム全体ではハードロックからプログレッシブ・ロック、ジャズ、フュージョンといった多くのジャンルの曲を録音している。
彼らのサウンドは、この後1980年代のアメリカン・ロック・サウンドの原型の一つとなった。全体のエフェクトにリバーブやゲート・リバーブ、エレクトリック・ギターには、改造を施したマーシャルやメサブギーなどのハイゲインなギターアンプをメインに、コーラスやディレイなどのエフェクトを、アンプのセンドリターンに接続することで多用したギターサウンド[注釈 2]、ペイチのフュージョン的なピアノやオルガン、エレクトリックピアノ、スティーヴ・ポーカロのシンセサイザーは、1970年代後半から1980年代のサウンドの典型と言える。音楽評論家の渋谷陽一は、松任谷正隆がデビュー当時のTOTOについて「こういうサウンドを出したい」と発言したことを紹介している。
ヒットを連発していた時期のTOTOにおいて、バンドの中心人物で、ドラマーのジェフ・ポーカロのリズムは重要だった。ポーカロは、リズム・ヘリテッジの「スワットのテーマ(反逆のテーマ)」(1976年)にも参加した技巧派のドラマーだった。通常の8ビートや16ビートでも巧みに適応した。「ロザーナ」に代表されるヒット曲は、音楽の趣味の悪い人々にも受け入れられた。レッド・ツェッペリンのジョン・ボーナムや、バーナード・パーディらからも影響を受け、独自にアレンジしたというこれらのリズムは、ドラマーに影響を与えた。ジェフ自身は、スティーリー・ダンので演奏経験がある。
専任のボーカリストがいるにもかかわらず、ギタリストのスティーヴ・ルカサーやキーボーディストのデヴィッド・ペイチがリード・ボーカルをとることが多い。実際、TOTO最大のヒット曲「Africa」[22] はペイチのボーカルである。また、スティーヴ・ポーカロも、リード・ボーカルをとる曲が存在し、2005年加入のグレッグ・フィリンゲインズも、キーボーディスト兼リード・ボーカルとしての加入で、『フォーリング・イン・ビトゥイーン』では、彼のリード・ボーカル曲も多くフィーチャーされ、ステージでは、休止中のペイチのボーカル曲を代行した。
全員が、マイケル・ジャクソンなどの有名・無名のアーティストから依頼の多いスタジオ・ミュージシャンであり、TOTOの成功にもかかわらず、スタジオ・ワークを縮小せず、精力的だったこともあり、1980年代には、ジャンル問わず、彼らの関わった作品では良くも悪くもTOTOのようなサウンドが量産されていった。
結成時メンバーの内キンボールとハンゲイトを除く全員が少年期からの旧知の仲であり、高校時代にはすでにバンドを組んでいた。時が経って1975年、ボズ・スキャッグスのアルバム『シルク・ディグリーズ』の制作時に再び集まったのがきっかけで、TOTOは結成された。メンバーチェンジが頻繁に繰り返され、時代ごとにラインナップが異なる[23]。
サポートでの参加者はあまりにも多いため、ここでは特に参加していたことが有名な者や、後期の者に特化する。
年 | ボーカル | ギター | キーボード | ドラムス | ベース |
---|---|---|---|---|---|
1977年–1982年 TOTO〜宇宙の騎士〜/Hydra/ Turn Back/TOTO IV〜聖なる剣〜 |
ボビー・キンボール スティーヴ・ルカサー デヴィッド・ペイチ スティーヴ・ポーカロ |
スティーヴ・ルカサー | デヴィッド・ペイチ スティーヴ・ポーカロ |
ジェフ・ポーカロ | デヴィッド・ハンゲイト |
1982年–1983年 TOTO IV〜聖なる剣〜完成直後から Isolation制作途中まで |
マイク・ポーカロ | ||||
1983年–1986年 Isolation |
ファーギー・フレデリクセン スティーヴ・ルカサー デヴィッド・ペイチ スティーヴ・ポーカロ | ||||
1986年–1988年 FAHRENHEIT |
ジョセフ・ウィリアムズ スティーヴ・ルカサー デヴィッド・ペイチ スティーヴ・ポーカロ | ||||
1988年–1990年 The Seventh One〜第七の剣〜 |
ジョセフ・ウィリアムズ スティーヴ・ルカサー デヴィッド・ペイチ |
デヴィッド・ペイチ | |||
1990年 Past to Present 1977 - 1990グレイテスト・ヒッツ |
ジャン・ミシェル・バイロン スティーヴ・ルカサー デヴィッド・ペイチ | ||||
1990年–1992年 Kingdom of Desire |
スティーヴ・ルカサー デヴィッド・ペイチ ジョン・ジェームズ ジェニー・ダグラス | ||||
1992年–1999年 Absolutery Live/Tambu |
サイモン・フィリップス | ||||
1999年–2005年 Mind Fields/Through The Looking Glass |
ボビー・キンボール スティーヴ・ルカサー デヴィッド・ペイチ | ||||
2005年–2008年 Falling in Between |
ボビー・キンボール スティーヴ・ルカサー デヴィッド・ペイチ グレッグ・フィリンゲインズ トニー・スピナー |
スティーヴ・ルカサー トニー・スピナー |
デヴィッド・ペイチ グレッグ・フィリンゲインズ |
マイク・ポーカロ リーランド・スカラー(代役) | |
2008年–2010年 | 解散中 | ||||
2010年–2013年 再結成 In The Blink Of An Eye 1977-2011 35th Anniversary Tour |
ジョセフ・ウィリアムズ スティーヴ・ルカサー デヴィッド・ペイチ |
スティーヴ・ルカサー | デヴィッド・ペイチ スティーヴ・ポーカロ |
サイモン・フィリップス | ネイザン・イースト |
2014年 35th Anniversary Tour日本ツアーまで |
ジョセフ・ウィリアムズ スティーヴ・ルカサー デヴィッド・ペイチ スティーヴ・ポーカロ マヴート・カーペンター |
キース・カーロック | |||
2014年–2015年 35th Anniversary Tour夏のツアーより TOTO XIV~聖剣の絆~ |
キース・カーロック シャノン・フォレスト |
デヴィッド・ハンゲイト | |||
2016年–2018年 XIV Tour 2016 |
リーランド・スカラー | ||||
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