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日本の漫画家 (1960-) ウィキペディアから
高橋 陽一(たかはし よういち、1960年7月28日[1] - )は、日本の漫画家[2]・経営者。男性。東京都葛飾区四つ木出身。東京都立南葛飾高等学校卒業[3]。元妻は声優の日比野朱里(旧名:小粥よう子)[3]。血液型はA型。
1980年、『週刊少年ジャンプ』において読み切り作品『キャプテン翼』でデビュー。翌年、同作品で連載開始。同作品は人気を博し、1983年にテレビ東京系でアニメ化された。『キャプテン翼』の最初のアニメ化で翼役を演じた小粥よう子(現・日比野朱里)と結婚したが、2014年頃に離婚[4][信頼性要検証]。
現在のサッカー選手には『キャプテン翼』に影響された少年たちも多い。
スフィアリーグに参加する芸能人女子フットサルチーム「南葛シューターズ」の監督や葛飾区のサッカークラブチーム「南葛SC」の後援会会長も務め、南葛SCのJリーグ加盟に必要な運営法人の代表取締役[5]も務めている。また、『Road to 2002』では翼がFCバルセロナで入団し活躍することから、2004年2月16日にFCバルセロナ会長から直々に招待され、VIP席で試合を観戦したこともある。また、FCバルセロナのライバルであるレアル・マドリードの会長(当時)からは「なぜツバサをうちのチームに入れてくれなかったんだ」というコメントを受けている[6]。
さらに作中で翼がバルセロナに入団した際、バルセロナのスポンサーであるナイキ社から「翼のスパイクをアディダス社からナイキ社に変更してほしい」という要望を受けたがこれを固辞している。これに関して高橋は、『週刊ヤングジャンプ』誌の取材で「僕はアディダスのファンなので」と語っている。
2006年には漫画家として異例のCM出演に留まらず、翼との共演を果たした。
サッカー以外にもスポーツ全般を好み中学生時代は卓球部に、高校時代は軟式野球部に所属[1]、『エース!』連載中も草野球チームやソフトボールのチームをいくつか掛け持っており、北海道移転前からの北海道日本ハムファイターズのファンでもある[7]。
また、漫画以外でもフランスのプロサッカークラブ、グルノーブル・フット38のイメージキャラクターも手がけている[8]。さらに、イラク復旧活動の際には自衛隊側からの依頼で「イラクの子供に喜んで受け入れてもらうため」に、自衛隊の車両に『キャプテン翼』のキャラクターを描くなど、執筆活動以外の活動も行っている。2009年には、オリンピックの東京招致活動の一環であるメッセージフラッグに、「大空翼」と「若林源三」のイラストとメッセージを書き込んだ。
2008年6月18日J2第18節横浜FC対徳島ヴォルティス戦より、横浜FCマッチデープログラム内に『はばたけ蹴太』を全13回計26ページにて連載、雑誌以外の連載物は初となった。
2011年には女子W杯に出場した日本女子代表の激励のため開催国ドイツに赴く。その際、翼と澤穂希をモデルにした応援キャラクターの『楓ちゃん』を書き込んだ日の丸をチームに寄贈した[9]。その後日本が女子W杯初優勝を果たした際、澤もこの日の丸を身にまとってウイニングランを行っている。
2015年2月、一般社団法人日本フットゴルフ協会アンバサダーに就任。2018年12月27日、葛飾区名誉区民として顕彰された[10]。
2023年6月、日本サッカー殿堂を受賞した[11]。授賞理由として、上記「キャプテン翼」を通して多くの少年・少女らにサッカーを普及させ、またこの作品を通してプロのサッカー選手になった選手も多く、日本サッカーの普及に貢献するだけでなく、全世界でもコミックスが全9,000万部以上を発行。テレビアニメも全世界で放映されており、世界的なサッカー選手を輩出するきっかけを作り、影響を与えたことが評価された。
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