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日本のアナウンサー (1979-) ウィキペディアから
鈴木 芳彦(すずき よしひこ、1979年4月30日 - )は、日本のフリーアナウンサー。大沢事務所所属[1]。フリーアナウンサー。RIZIN専属アナウンサー[2]。元フジテレビ エグゼクティブアナウンサー。
すずき よしひこ 鈴木 芳彦 | |
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プロフィール | |
出身地 | 日本 東京都 |
生年月日 | 1979年4月30日(45歳) |
血液型 | A型 |
最終学歴 | 慶應義塾大学商学部 |
所属事務所 | 大沢事務所 |
職歴 |
ニッポン放送(2003年 - 2006年3月) フジテレビ(2006年4月 - 2022年9月)副部長 |
活動期間 | 2003年 - |
ジャンル | 実況・ナレーション・司会 |
公式サイト | プロフィール |
担当番組・活動 | |
出演中 |
『RIZIN関連イベント・配信番組』 『格闘技中継』 『スポーツ実況』 『RIZIN魂』(テレビ埼玉) 格闘 BUZZ NEWS(U-NEXT) 『超逆境クイズバトル!! 99人の壁』 『いいすぽ!』 |
出演経歴 |
『森永卓郎の朝はモリタク!もりだくSUN』 『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』 |
プロレスファンだった祖父の影響で3才の頃からプロレスや格闘技を見て育つ。高校生の頃に格闘技の実況をするためにアナウンサーを目指すことを決意[3]。
2003年4月、ニッポン放送に入社。制作部所属の新人男性アナウンサーは、1999年入社の吉田尚記以来4年ぶり。
同期は、鈴木と同じアナウンススクールであるテレビ朝日アスク(鈴木はアスク1期生)に通っていた、現フリーアナウンサーの新保友映[4]、元ディレクターで現SHOWROOM株式会社(出向)メディア開発グループシニアエグゼクティブプロデューサーの松岡敦司。
新人研修以後、編成局制作部アナウンサールームに本配属[5]。
2003年、新人アナウンサーとしての番組初登場は『B'zのオールナイトニッポン』で15周年を迎えていたB'zへの単独インタビューだった。
2005年、当時社会現象となった「NEET」に向け「オールナイトニッポンR」のパーソナリティを担当したり、同年下半期放送の『笑福亭鶴光 デジラジキングダム』では、絶叫キングへの道としてあらゆる絶叫を体験させられた。
2006年4月3日、ニッポン放送の再編が行われることとなり、その際にニッポン放送の常務に「今フジテレビに行けばPRIDEをやっているから、お前の夢が叶うぞ。まだ格闘技の実況をしたい想いはあるか?」と聞かれ、「はい、持っています。行きたいです」と答えたことでフジテレビに転籍。転籍後はフジテレビのアナウンス室に所属となった[3][6]。
転籍後、フジテレビの地上波でボクシングを実況するも「何か違うと感じ、夢だった格闘技の実況デビューをした気持ちにあまりなれなかった」とし、K-1の実況も任されたが物足りなさを感じていたところ、チーフアナウンサーの三宅正治から「君を総合格闘技のPRIDE班に入れるから見学に来なさい」と言われ、自身がファンだったPRIDE中継を担当する予定となる。しかし直後にフジテレビでPRIDE中継が終了。「愕然として、自分の夢が一気にひねり潰された感じがした」と話した[3]。
その後、フジテレビで約10年間、野球・フィギュアスケート・体操・柔道・陸上など20種類ほどのスポーツを実況[3][6]。
2015年12月、フジテレビがPRIDEの後継団体である総合格闘技団体『RIZIN』の中継を開始したことで、総合格闘技団体『RIZIN』の実況に旗揚げ大会から参加。フジテレビ時代もRIZIN実況のメイン実況を担当し、『那須川天心 vs. 堀口恭司』『フロイド・メイウェザー・ジュニア vs. 那須川天心』『堀口恭司 vs. 朝倉海』など多くのビッグマッチを実況した[7][8]。鈴木は「体操の実況の準備をしていたところ、10年ぶりにフジで格闘技が復活するからお前が新しい格闘技実況を作ってこい、と当時のアナウンス室長に声をかけていただき、RIZINの実況アナになることができました。紆余曲折を経て、転籍や10年ぶりの中継復活など、色んな奇跡の積み重ねがあって、やっと小さい頃からの夢が実現しました」と話し、「そこから実況へのモチベーションがグンッ!と上がりました」と喜んだ[3][6]。
2016年から番組開始した『いいすぽ!』(フジテレビONE)にて、局アナ初のeスポーツ実況を担当[9][10]。同番組の地上波進出に際し、アナウンサーユニット「いいすぽアナ」のリーダーを務めている[11]。以降、局の枠を飛び出し様々なeスポーツ競技の配信に実況として参加している。また、並行してバラエティ番組の番組ナレーションや対決コーナーの実況も担当している。
2022年6月、フジテレビで格闘技中継がなくなり、2022年7月の『RIZIN.37』では2015年年末のRIZIN旗揚げ以降、初めて鈴木が実況担当から外れた。SNS上ではRIZINファンから鈴木の実況席へのカムバックを求める声が多数寄せられた[12][13]。
2022年9月14日、RIZINの会見に出席し、RIZINの実況を継続するために同日付でフジテレビを退社して格闘技の実況を中心にフリーで活動することを発表した[14]。YouTubeやSNS上では歓喜のコメントが数多く寄せられた。また、鈴木が涙を流しながらRIZINと格闘技への愛を語ったこの会見の記事がYahoo!など複数メディアでトップニュース入りを果たした[15]。
2022年9月25日の超RIZIN(フロイド・メイウェザーvs朝倉未来等を担当)で格闘技実況に復帰。大会開始時のスタッフ紹介アナウンスの際に特別枠で名前をコールされ、2万人以上の観客から鈴木に大きな声援と拍手が起こり、鈴木は涙を流した[16]。
フリー後の肩書に関しては、鈴木本人がフリーアナウンサーでありつつ、RIZIN専属アナウンサーでもあると話している。2024年10月のテレビ埼玉の番組では、「フジテレビを辞めたから、最初は『フリーアナウンサー』なんて自分でも言っていましたが、一般的なMCや司会をやってるフリーの方と僕は色が違うなと。僕はフリーアナウンサーって呼ぶより『RIZIN専属アナウンサー』なので。RIZIN専属実況アナウンサーとしてやっている、という気概を強く持っているので。だから他のフリーアナウンサー達とは違いますよね。考え方も違うし、別の人種(職種)を見ているような感じですね」と話している[17]。
2022年9月のフリー転身以降は、RIZINでの活動と実況を中心に、DEEPやシュートボクシングなどの格闘技中継の実況、フジテレビ時代からのeスポーツの実況、フジテレビの番組など、様々な活動をしている。また、2022年9月以降のRIZINの会見・イベントの司会進行はほとんど鈴木が行っており、ネット配信のRIZINの公開練習・公開計量・大会事前番組などの司会も多く務めている[18]。
※特記無い場合は実況。
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