郵政省
かつて存在した郵便や電気通信、放送などを専門とした日本の省庁 ウィキペディアから
かつて存在した郵便や電気通信、放送などを専門とした日本の省庁 ウィキペディアから
郵政省(ゆうせいしょう、Ministry of Posts and Telecommunications, MPT[1]。ただし設置当初の英称はMinistry of Postal Services[2][注 1])は、かつて存在した日本の行政機関である。国家行政組織法と郵政省設置法に基づき[3]、郵便事業・郵便貯金事業・簡易保険事業ならびに電気通信・電波・放送に関する行政を取扱っていた[4][5][6]。長は郵政大臣[7]。2001年(平成13年)1月6日に行われた中央省庁再編によって総務省と郵政事業庁となった。
郵政省 ゆうせいしょう Ministry of Posts and Telecommunications | |
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旧郵政省本庁舎 | |
役職 | |
大臣 |
小沢佐重喜(初代) 片山虎之助(最後) |
組織 | |
内部部局 |
大臣官房 郵務局 貯金局 簡易保険局 通信政策局 電気通信局 放送行政局 |
概要 | |
所在地 |
東京都港区飯倉町(現麻布台)→ 東京都千代田区霞が関一丁目3番2号 北緯35度40分16.8秒 東経139度45分2.8秒 |
定員 |
30万3,911人 うち内部部局:2,591人 施設等機関:3,538人 地方支分部局:297,782人 1999年(平成11年)3月末時点 |
年間予算 |
一般会計 881億4,300万円 1998年度(平成10年度) |
設置根拠法令 | 郵政省設置法 |
設置 | 1949年(昭和24年) |
廃止 | 2001年(平成13年) |
前身 | 逓信省 |
後身 | 総務省・郵政事業庁 |
ウェブサイト | |
閉鎖 |
設置当初は、港区飯倉町(現在の麻布台)に所在した1930年(昭和5年)竣工の逓信省貯金局庁舎を、引き続き郵政本省庁舎として使用した。なお、設置以前の1945年(昭和20年)、東京大空襲で被災した麻布郵便局がこの庁舎に仮住まいの後、正式に入居している。
俗称については、外苑東通りを介した反対側の駐日ロシア帝国大使館一帯の地名である「
しかし、後に内閣総理大臣にまで上り詰めた田中角栄が郵政大臣に就任したことを契機として、本省は1969年(昭和44年)7月に霞が関(日本郵政ビルを経て現・環境省庁舎)へ移転した。1984年(昭和59年)7月、電気通信政策局・電波監理局の二つだった政策担当局を、情報化社会の到来とともに、通信政策局・電気通信局・放送行政局のテレコム三局に拡充させ、電気通信・電波放送行政を担う省庁として、「現業官庁」から「政策官庁」への脱皮として注目されるようになった。これにより、産業の育成を目的とする通商産業省と、情報通信分野における主導権争いを演じた。
本省が霞が関へ移転した後も、飯倉の旧本省庁舎は、長きに渡り「飯倉分館」として本省(後の郵政事業庁、日本郵政公社)の一部部局、地方支分部局(関東郵政監察局)及び施設等機関(郵政研究所)の執務場所として使用され続けたほか、一時は国土庁(当時)や総務省関東総合通信局の一部部局が入居していた時期もあった。
しかし、東京都千代田区大手町にあった日本郵政公社東京支社(旧東京郵政局)が2005年(平成17年)5月に飯倉分館に移転、この建物を東京支社社屋として使用することとなったため、「飯倉分館」としての役目は終えたが、建物自体は民営化された後2019年(平成31年)まで、「日本郵政グループ飯倉ビル」として大部分を日本郵便株式会社東京支社として使用され続けていた。
その後、日本郵政グループ・森ビル等で構成する虎ノ門・麻布台地区市街地再開発組合が当地を含む一帯を再開発する 「虎ノ門・麻布台地区第一種市街地再開発事業(麻布台ヒルズ)」の開始に伴い、2018年(平成30年)11月19日にビル内の麻布郵便局が麻布台1-7-3に移転した[9]のを肇めに、日本郵便東京支社が赤坂1-14-14の第35興和ビルに(専用郵便番号も〒106-8797から、赤坂局管内に移転した為〒107-8797に変更)、東京共通事務集約センターは中野区の落合郵便局内(専用郵便番号は〒161-8797)にそれぞれ移転した。
2019年3月、清水建設が解体作業に着手、同年8月5日に再開発事業が着工し[10]、2023年11月に森JPタワーが開業した[11]。
氏名 | 在任期間 | 前職 | 退任後の役職 |
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大野勝三 | 1949(昭和24).6.1 - 1954(昭和29).2.1 | 国際電信電話社長 エフエム東京社長 | |
中村俊一 | 1954(昭和29).2.1 - 1955(昭和30).8.9 | 経理局長 | |
宮本武夫 | 1955(昭和30).8.9 - 1956(昭和31).9.21 | 大臣官房人事部長 | |
小野吉郎 | 1956(昭和31).9.21 - 1959(昭和34).4.24 | 簡易保険局長 | NHK会長 |
加藤桂一 | 1959(昭和34).4.24 - 1961(昭和36).6.16 | 貯金局長 | 簡易保険郵便年金福祉事業団理事長 |
大塚茂 | 1961(昭和36).6.16 - 1962(昭和37).5.15 | 貯金局長 | 新東京国際空港公団総裁 |
西村尚治 | 1962(昭和37).5.15 - 1964(昭和39).6.26 | 郵務局長 | 参議院議員 総理府総務長官・沖縄開発庁長官 |
佐方信博 | 1964(昭和39).6.26 - 1965(昭和40).6.1 | 郵務局長 | 富士重工業副社長 |
田中鎮雄 | 1965(昭和40).6.1 - 1966(昭和41).7.1 | 簡易保険局長 | |
長田裕二 | 1966(昭和41).7.1 - 1967(昭和42).7.28 | 郵務局長 | 参議院議員 科学技術庁長官、参議院議長 |
浅野賢澄 | 1967(昭和42).7.28 - 1969(昭和44).11.21 | 電波監理局長 | フジテレビ社長、会長 |
曾山克巳 | 1969(昭和44).11.21 - 1971(昭和46).7.2 | 郵務局長 | NEC副社長 エフエムジャパン社長 |
竹下一記 | 1971(昭和46).7.2 - 1973(昭和48).7.13 | 郵務局長 | 簡易保険郵便年金福祉事業団理事長 熊本県民テレビ社長、会長 |
溝呂木繁 | 1973(昭和48).7.13 - 1975(昭和50).7.15 | 郵務局長 | 日本衛星放送社長 |
石井多加三 | 1975(昭和50).7.15 - 1977(昭和52).7.19 | 郵務局長 | 郵便貯金振興会理事長 国際電信電話社長 |
廣瀬弘 | 1977(昭和52).7.19 - 1978(昭和53).7.1 | 郵務局長 | 日本郵便逓送社長 通信・放送衛星機構理事長 |
神山文男 | 1978(昭和53).7.1 - 1980(昭和55).4.8 | 郵務局長 | 簡易保険郵便年金福祉事業団理事長 テレビユー福島社長 |
淺尾宏 | 1980(昭和55).4.8 - 1982(昭和57).7.7 | 簡易保険局長 | 郵便貯金振興会理事長 簡易保険郵便年金福祉事業団理事長 |
守住有信 | 1982(昭和57).7.7 - 1984(昭和59).8.21 | 電気通信政策局長 | 郵便貯金振興会理事長 参議院議員 |
小山森也 | 1984(昭和59).8.21 - 1986(昭和61).6.17 | 電気通信局長 | 通信・放送機構理事長 |
澤田茂生 | 1986(昭和61).6.17 - 1988(昭和63).6.3 | 電気通信局長 | 日本電信電話会長 |
奥山雄材 | 1988(昭和63).6.3 - 1989(平成元).6.30 | 電気通信局長 | 簡易保険福祉事業団理事長 第二電電会長兼社長、ディーディーアイ社長 KDDI社長、電気通信事業者協会会長 |
塩谷稔 | 1989(平成元).6.30 - 1990(平成2).6.29 | 電気通信局長 | (財)日本データ通信協会理事長 |
中村泰三 | 1990(平成2).6.29 - 1992(平成4).6.23 | 通信政策局長 | 簡易保険福祉事業団理事長 国際電信電話会長 |
森本哲夫 | 1992(平成4).6.23 - 1993(平成5).7.1 | 電気通信局長 | 通信・放送機構理事長 |
白井太 | 1993(平成5).7.1 - 1994(平成6).7.1 | 電気通信局長 | 簡易保険福祉事業団理事長 通信・放送機構理事長 |
松野春樹 | 1994(平成6).7.1 - 1996(平成8).7.1 | 電気通信局長 | (財)日本データ通信協会理事長 日本電信電話副社長 |
五十嵐三津雄 | 1996(平成8).7.1 - 1998(平成10).6.19 | 電気通信局長 | 簡易保険福祉事業団理事長 KDDI代表取締役会長 |
谷公士 | 1998(平成10).6.19 - 2001(平成13).1.5 | 電気通信局長 | 人事院総裁 |
氏名 | 在任期間 | 前職 | 退任後の役職 |
---|---|---|---|
山口憲美 | 1996(平成8).7.1 - 1997(平成9).7.4 | 通信政策局長 | 宇宙通信副社長 日本電子総合サービス社長 |
楠田修司 | 1997(平成9).7.4 - 1998(平成10).6.19 | 放送行政局長 | J-WAVE社長、会長 |
長谷川憲正 | 1998(平成10).6.19 - 1999(平成11).7.6 | 郵務局長 | 駐フィンランド兼エストニア特命全権大使 参議院議員、総務大臣政務官 |
品川萬里 | 1999(平成11).7.6 - 2000(平成12).6.27 | 放送行政局長 | NTTデータ副社長 郡山市長 |
濱田弘二 | 2000.(平成12)6.27 - 2001(平成13).1.5 | 郵務局長 | 総務審議官(国際担当) |
かつて郵政省の管轄だったが現在は下記の関連病院となっている。
上記の郵政省管轄の病院と同様、元々は旧・逓信省の下で発足した経緯があり、逓信省が2分省化された際に以下の病院は電気通信省の管轄とされたものであり、のちに同省の公社化に伴って日本電信電話公社(電電公社)附属病院となった。ただし、一部の病院に関しては電気通信省または電電公社時代に設立されたものもあるが、名称は他の病院と同様に「逓信病院」を名乗っていた。
札幌逓信病院は郵政省が設置した札幌(南)逓信病院とは別の病院である。同様に、京都南逓信病院も郵政省に属した京都逓信病院とは別の病院である。
高松逓信病院は電気通信省時代に、東北逓信病院・東海逓信病院・関東逓信病院は電電公社発足後に設立された病院であり、いずれも旧逓信省・郵政省には属した事がない。
ただし、13病院とも、電電公社およびNTTグループの企業立病院の時代から、郵政省職員の利用が可能であった。
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