芹田 (長野市)
日本の長野県長野市の広域地名 ウィキペディアから
芹田(せりた)は、長野市中南部の地域。本項ではかつて概ね同地域に所在した上水内郡芹田村(せりたむら)についても述べる。ただし、旧・芹田村のうち中御所は第五地区、鶴賀居町は第三地区が管轄するため、両者の区域は若干異なる。信州大学工学部キャンパスや、長野オリンピックの会場となったビッグハットが位置する。地域の北西端に長野駅があり、その立地からベッドタウンとして発展した。
村名「芹田」の由来は現同地区のかつての郷名「芹田郷」から来ている。平安時代の『和名類聚抄』(931年~938年)に芹田郷が記載されている[1]。
地理
河川
人口
以下は『長野市誌 第8巻』[1]による。もともと長野市近郊農村であった芹田地区は1888年(明治21年)の長野駅設置を機に関係者が住むようになり、人口が増え始めた。1923年(大正12年)長野市に合併してからさらに増加が促進。昭和初期には人口1万人に達している[1]。高度経済成長期だった1960年~1965年あたりでは商工業・建築業・製造業・官庁などの進出と相まって、道路整備や住宅などの建築が進み、人口も2万人に達した[2]。また、現在も衰退しておらず1990年頃から同水準を保っている。
- 1889年 4968人
- 1900年 6033人
- 1905年 7733人
- 1920年 7767人
- 1925年 9481人
- 1930年 11743人
- 1935年 13680人
- 1947年 13401人
- 1950年 14975人
- 1955年 16038人
- 1960年 18740人
- 1965年 21477人
- 1970年 23746人
- 1975年 24071人
- 1980年 25553人
以降は市の推計人口による[3]。各年10月1日の数字。
- 1985年 25965人
- 1990年 27210人
- 1995年 27585人
- 2000年 27039人
- 2005年 27050人
- 2010年 26486人
- 2015年 26914人
- 2020年 27018人
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長野市 |
歴史
- 1873年(明治6年) - 更級郡川合新田村の所属郡が水内郡に変更。
- 1875年(明治8年)11月 - 水内郡南俣村・千田村が合併して稲葉村となる。
- 1876年(明治9年)5月30日 - 水内郡権堂村・問御所村・七瀬村が合併して鶴賀村、市村・荒木村が合併して若里村となる。
- 1879年(明治12年)1月4日 - 郡区町村編制法の施行により、各村が上水内郡の所属となる。
- 1885年(明治18年)2月19日 - 上水内郡鶴賀村が改称して鶴賀町となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、上水内郡稲葉村・若里村・中御所村・栗田村・川合新田村および鶴賀町の一部(七瀬・権堂のうち居町)の区域をもって芹田村が発足。
- 1923年(大正12年)7月1日 - 芹田村が長野市に編入。同日芹田村廃止。大字稲葉・若里・中御所・栗田・川合新田および鶴賀の一部となる。
大字・町丁
交通
鉄道
道路
脚注
参考文献
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