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日本の東北地方各地で行われる季節行事 ウィキペディアから
芋煮会(いもにかい)とは、山形県や宮城県など東北地方各地で行われる季節行事で、秋に河川敷などの野外にグループで集まり、サトイモを使った鍋料理などを作って食べる行事である。バーベキューと併行して行われることが多い。
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呼称には地域差があるが、ここでは総称として「芋煮」「芋煮会」という呼称を用いる。
芋煮会は、親睦を深める行事として、家族・友人・地域・学校・職場などのグループで行われている。山形県、宮城県では特に盛んに行われ、秋の風物詩となっている。また、新潟県や関東地方では、地域イベントを中心に芋煮会が行われている。芋煮会を開催する人々にとっては野外での宴会(またはお楽しみ会)のひとつであり、春の花見・秋の芋煮会として双璧をなす。
在来種の種芋苗を用いた東北地方でのサトイモ栽培では、収穫時期が例年10月頃になるため、一般的な芋煮会も大抵10月初旬から徐々に行われ始める。その後、大体10月下旬から11月初旬にかけてがピーク期となり、紅葉シーズンの終了、または、初雪が降ると共に終息する。
平成に入る頃からは、「町おこし」や「食のイベント」として大規模な芋煮イベントも行われるようになった。これらのイベントの内いくつかは、一般的な芋煮会のシーズンである秋とは異なる開催時期のものもあり、東北では盛夏や晩夏の開催例が見られ、関東では、春の開催例や東北では寒さのために既に下火となっている11月末の開催例も見られる。
なお、飲みニケーションのように芋煮とコミュニケーションを合わせ、芋煮会での交流を表す「イモニケーション」との造語を使用している者もいる[1][2]。
芋煮会の起源については各地に様々な謂れがある。また、民俗学者の野本寛一は、サトイモの収穫祭が芋煮会に発展したものではないかと述べている[3]。
山形県の村山地方では、江戸時代の芋煮会の原型の様子をあらわす話がいくつか伝わっている[4]。
中山町長崎では、里芋を鍋で煮て食べるときに鍋をかけたという言い伝えのある「鍋掛の松」が1917年(大正6年)まで残っていた。鍋は、近くの小塩地区の名産だった里芋「小塩芋」と、船に積んできた棒鱈と、最上川でとれたザッコ(川魚)をいっしょに煮たものだったという。長崎は、1693年(元禄6年)の最上川五百川峡・黒滝の開鑿までは酒田港と結ぶ最上川舟運の終着港として賑わっていた。このことから、元禄時代以前の船頭たちが積荷を使って鍋をしたのが芋煮会のはじまりであると山形の郷土史家である烏兎沼宏之は述べている[5]。鍋掛の松は、芋煮のルーツをあらわす伝承遺跡として復元されている[6]。
文化・文政時代(19世紀初頭)には、山形に移り住んだ近江商人たちが、京都の芋棒に思いを馳せながら、ニシンと里芋を煮て紅花取引の慰労会をしたという。
明治時代(19世紀後半から20世紀初頭)になると、街の粋人たちが「野掛」といわれた山の芋煮を川原でもするようになり、1892年(明治25年)ころから川原での芋煮が定着した[4]。以降、芋煮会は、山形に置かれていた帝国陸軍歩兵第32連隊の兵士たちや山形高等学校 (旧制)の学生が行ったり、見合いや商談、送別の場となったりした。
芋煮に牛肉が使われるようになったのは、昭和の初め(1920年代後半)頃からである[5]。養蚕農家の人たちが、秋蚕後に繭業者の経費負担で芋煮会を最上川の川原で行い、そのときに当時普及し始めていた牛肉をおごらせたのが最初とされている。なお山形市内には明治時代に創業した牛肉店が多く、牛肉はその頃から普及しはじめたと考えられる。山形高校に在籍した作家の戸川幸夫は、1932年(昭和7年)の芋煮会の様子をエッセイ「わが山高時代の芋煮会」で記述しており、その頃からすでに山形名物の芋煮は盛んで、大鍋に芋、ねぎ、牛肉およびその代替品としての馬肉、こんにゃくなどを入れ、酒を酌み交わしていた、としている[7]。また、中山町立長崎小学校から1941年に山形県中学校(のちの山形県立山形東高等学校)に進学した烏兎沼宏之は当時、長崎町内の学生団として自分たちで開催したほかには、最上川でも馬見ヶ崎川でも芋煮会の姿は見かけなかったとしている。芋煮の材料は1980年代と同じく、里芋、牛肉、こんにゃく、ねぎが主であった。太平洋戦争の激化により、烏兎沼らが芋煮会を開催したのは1942年までであった[8]。
1945年(昭和20年)の終戦後数年は、肉の代わりにイカを入れていた[4]。暮らしが豊かになると、会場が飲食店に移り、川原の人影は消えていった[4]。
1974年(昭和49年)、山形市と山形市観光協会が伝統的な芋煮の研修会を開いたところ、大きな反響があり、川原での芋煮会が促されるようになった。1977年(昭和52年)からは、前年の唐松観音堂復元を機会に「山形いも煮祭り」が開催された[9]。その後は、山形市内のスーパーマーケットが芋煮の材料や薪などのセット販売や鍋の貸出をしたり、飲食店のメニューに芋煮が加わったり、レトルトの芋煮が販売されたりするようになり、芋煮会はますます盛んになっていった。こうした動きの中、1989年(平成元年)に「日本一の芋煮会フェスティバル」が開催され、10万人の人出を集めた[10]。
山形市で里芋を栽培・販売しているさとう農園株式会社は、明治時代に行われた馬見ヶ崎川改修工事がきっかけで河原での芋煮会が広まったとしている[11]。1891年(明治24年)まで行われた馬見ヶ崎川改修工事において、河川改良工事に従事した人たちは河原で大鍋を用いたちゃんこ鍋のようなものを昼飯として食べていた。これらの人たちが、1945年の終戦後に当時を偲んで河原で秋に大鍋を囲むようになり、その具材として里芋も用いたのだという[11]。
1980年代には、旅館やアウトドア施設が花見などと同様に「芋煮会プラン」を商品化し始め、シーズンに入るとタウン情報誌や新聞折込チラシなどで多数の広告を見るようになった。また、アウトドア施設(フィールドアスレチック)、遊園地、温泉旅館の他、紅葉スポット(紅葉狩り)、渓流(釣り、カヌー)、海岸の砂浜(釣り)など、何か別のアミューズメントとの組み合わせで芋煮会が行われるようになった。対して、以前の中心地である「河原」での芋煮会は、今も主流であるものの、往時と比べて少なくなってきた。 現在では、地域のイベントとして定着しているところもある。
近年は、ホテルのレストランを中心に芋煮を含め、様々な秋の味覚を取り揃えた季節限定コース料理も供されるようになり、収穫祭的な芋煮会の楽しみ方は多様化が進んでいる。
「芋煮」にあたる呼称には地域差があり、同じ名称でも作られる料理が異なる例が見られる。すなわち、呼称と料理は必ずしも一致しない。
「芋煮」(芋煮汁)、および、会合を指す「芋煮会」の使用範囲は、 南東北の宮城県・山形県・福島県を中心に、新潟県や関東地方でも例が見られる。ただし、このような風習や会合を示す名称としてマスメディアを通じてデファクトスタンダード化してしまったため、上記以外でも使用されている。そのため、旧来からの名称の使用範囲を特定するのは困難になっている。
「芋の子」(芋の子汁)、および、会合を指す「芋の子会」(年配者は「芋の子食い」)は、栗駒山の周辺、すなわち、北東にある岩手県北上盆地、北西にある秋田県横手盆地南部、南西にある山形県新庄盆地(最上地方)、南東にある宮城県大崎地方の一部に分布している。
「きのこ山」は、会合の名称も「きのこ山」であり[16][注 2]、福島県会津地方に分布している。江戸時代より、秋の収穫祭としてキノコ・里芋・大根等が入る鍋を囲む習慣があり、その鍋料理を「きのこ山」と呼ぶ[17]。現状では、キノコが入ってなくとも「きのこ山」と呼ぶ[17]。
なお、秋田県の秋の鍋料理は、里芋よりもきりたんぽあるいはだまこもちがメインになっているため、里芋が入っているかどうかに関係なく「鍋っこ」と呼ばれている。遠足に付随して野外で集団でこれを囲む行事は「なべっこ遠足」と呼ばれ、小中高校において学校行事になっている場合もある。これらが芋煮会の一種と見なせるかは議論があるが、里芋が入っていない例があるとは言え、秋に野外で集団で囲む鍋料理としての共通性はある。
現代では、秋に野外で集団で鍋料理を囲む風習が廃れつつあり、秋田県では小学校201校のうち、現在も「なべっこ遠足」を実施しているのは15校(全体の7.5%)のみである。岩手県では、県内で有名な里芋の品種を用いて芋煮・芋の子を作って家庭内で食べることには執着しても、野外で集団で里芋の鍋を囲むかどうかを重視しない傾向もある。宮城県では集団で食する秋の料理としてはらこ飯や仙台せり鍋が急成長しており、芋煮会と競合している。はらこ飯と仙台せり鍋側は店で供される一方、芋煮会は準備や後始末に手間がかかるため、芋煮会サイトを運営する後者側としては準備と後始末をしなくてもいいフリープランを提供している。旧住民のこのような変化により、上記の名称は新住民には浸透しづらくなっている。
呼称以外に、地域によって材料・味付けが異なる。例えば、山形県は牛肉しょうゆ味が一般的と思われがちだが、山形県だけでも4種類以上の芋煮の味が存在し、各地域でことなるものを食べている。また、同一呼称地域内でも、それぞれの集団でアレンジされ、地域的に特徴的な具材の他に、白菜・ゴボウ・油揚げ・大根・ニンジン・豆腐・きのこ類などさまざまな具材が投入される。サトイモの代わりにジャガイモを入れる場合もある。細分すると正月料理の雑煮並みに種類があるが、ここでは、1.使用する肉、2.味付けの2点を基準に分類する。小分類は、a.呼称、b.使用するイモ類。
「とりすき」とは異なるが、ここでは便宜的に、鶏肉・醤油味の芋煮を「とりすき風」芋煮と記す。
魚のみを入れる場合、魚と豚肉を入れる場合など様々ある。味付けも醤油味の他、味噌味もある。イモ類を入れる。
山形県や宮城県、福島県県北地方では、秋になるとコンビニエンスストアの前にまで堆く薪が積まれ、店内では着火材も販売されている。当地の人間にとっては秋の日常風景で何ら違和感を抱かないが、他地方から来た人々には、「冬に備えて暖房用に売られている」と誤解されることもある。一般のスーパーマーケットや大学生協などでは、具材の販売はもちろん、芋煮に必要な鍋の貸し出しなども行われている。一部では、指定した場所まで宅配サービスを行う業者もいる。
一般的に芋煮会は、河川敷やキャンプ場、海岸のような屋外で行われるが、この時期に屋内で集団で台所で作った芋煮を食べる場合にも、長時間屋外に出られない老人や病人のための季節行事の1つとして、広い意味で「芋煮会」と呼ばれる。また、地域色を出した観光客向けメニューとして、飲食店で「芋煮」が供されることもある。
「芋煮会」の風習のある地域の学校では、昭和30年代あたりから課外授業の一つとして芋煮会を取り入れている所が多い。子供達が一班5,6人程度の小グループに分かれ、それぞれが予算内で買い物をしたり里芋などの食材の一部を分担して持ち寄ったりして、調理まで分担して行う。学校で行われる場合は、校庭の一角・河原や沼や湖の岸辺・アウトドア施設など、地域の実情によって開催地は異なる。現在ほどモータリゼーションが進んでいなかった時代には、リヤカーや手押し車に必要機材や具材を載せて河原まで行き芋煮をする「リヤカー芋煮」が行われていた地域もある。
日本一の芋煮会フェスティバル | |
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2012年(平成24年)9月 | |
通称・略称 | 芋煮フェス |
開催時期 | 9月の第1日曜日( - 2013年)→敬老の日前日の日曜日(2014年 - ) |
初回開催 | 1989年(平成元年)9月3日[20] |
会場 | 山形市・馬見ヶ崎川河川敷 |
主催 | 日本一の芋煮会フェスティバル協議会・山形市・山形商工会議所・山形商工会議所青年部 |
共催 | 国土交通省東北地方整備局山形河川国道事務所 ほか |
協力 | 陸上自衛隊第20普通科連隊 ほか |
来場者数 | 20万人(2009年)[21] |
最寄駅 | JR山形駅 |
直通バス | 駐車場 - 会場間にシャトルバスあり(8時 - 16時)。山形駅からは路線バス利用。 |
駐車場 | 山形市総合スポーツセンター、山形県庁駐車場、山形一中東側県庁駐車場、県研修センター駐車場 |
公式サイト | |
備考: 運営費3550万円(うち山形市負担分1080万円)[22] |
栃木県の以下のイベントはいずれも豚肉みそ味芋煮である。
小さな鍋を用いた芋煮イベントとしては、東京都の港区[37]、清瀬市[38]、調布市[39]、神奈川県の川崎市多摩区[40]、同麻生区[41]、横浜市都筑区[42]、千葉県の佐倉市[注 4]など南関東に例が見られる。
「千人鍋」と呼ばれる直径1m程の大鍋を用いた芋煮イベントとしては、大阪府泉南市の「芋煮鍋」[43]や鹿児島県出水市高尾野町の「たかおのいも煮会」[44]の例がある。
芋煮会は、日本以外でも開催されている。
現在の青森県内の稲作地域は、県西部の津軽地方が主で、その他の地域では畑作が中心である。米作とサトイモの関連する「芋煮会」分布域から若干外れるため、青森県では「芋煮会」はあまり見られない。青森県で野外で鍋料理をするのは、地域イベントの時である。
秋田県は米どころで、あきたこまちを使った「きりたんぽ」が特産である。そのため芋ではなく、きりたんぽ鍋が食べられることが多い。秋田県内では、北部を中心に野外に集まりきりたんぽ鍋を作る会合が行われ「なべっこ」「たんぽ会」と呼ばれる。
愛媛県でも、芋煮会と同様な「いも炊き」という行事がある。中秋の名月の頃の月見行事であり、300年の伝統があるとも言われるが、現在は昼間から行われている。行事の時のみならず、「いも炊き」自体が秋の季節料理となり、家庭やレストランでも供されている。肉は鶏肉が一般的。 一般家庭向けの例として、日本食研のような一般食品メーカーから少人数用の「いも炊き」のたれが販売されていたり、スーパーでは主な材料に季節の間ずっと販売用ポップが添えられていたりと手軽に「いも炊き」が出来るようにもなっている。
完全に地方の定番料理として定着しているため、季節の行事や観光客向けのイベントと言うより家庭料理や郷土料理としての色合いが濃い。
大洲市・肱川[46],東予地方・西条市の加茂川、四国中央市土居町関川や、松山平野・重信川などの河川敷などで、各地域の商工会の主催でいも炊き会場が設営され、毎年数万人の人出がある。
日本三大芋煮とは、山形県中山町、島根県津和野町、愛媛県大洲市の3地域の芋煮を指す[48]。発祥は、2013年に『旅の手帖』(交通新聞社)誌上で「日本三大芋煮」として紹介されたことによる[48]。2014年度からは、3市町が連携して、芋煮をPRするイベントの開催や、情報発信を行っている[48]。
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