中野駅 (東京都)
東京都中野区中野にある東日本旅客鉄道・日本貨物鉄道・東京地下鉄の駅 ウィキペディアから
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中野駅(なかのえき)は、東京都中野区中野五丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)・東京地下鉄(東京メトロ)の駅である。
中野駅 | |
---|---|
北口(2012年7月) | |
なかの Nakano | |
所在地 | 東京都中野区中野五丁目31-1 |
所属事業者 | |
電報略号 | カノ |
駅構造 | 高架駅 |
ホーム | 4面8線 |
乗車人員 -統計年度- |
(JR東日本)-2023年- 126,079人/日(降車客含まず) |
乗降人員 -統計年度- |
(東京メトロ)-2023年- [メトロ 1]134,499[* 1]人/日 |
開業年月日 | 1889年(明治22年)4月11日[1] |
乗入路線 3 路線 | |
所属路線 |
■中央線(快速)(JR東日本) (線路名称上は中央本線) |
駅番号 | JC06 |
キロ程 |
4.4 km(新宿起点) 東京から14.7 km |
所属路線 |
■中央・総武線(各駅停車)(JR東日本)[* 2] (線路名称上は中央本線) |
駅番号 | JB07 |
キロ程 |
中央線(快速)に同じ 千葉から50.8 km |
(1.4 km) 高円寺 JB 06► | |
所属路線 | ●[2]東京メトロ東西線[* 2] |
駅番号 | T01[2] |
キロ程 | 0.0 km(中野起点) |
備考 | |
旅客営業においては、JR東日本と東京メトロの共同使用駅で、JR東日本が駅を管轄している。
JR東日本・JR貨物の中央本線(旅客営業を行うJR東日本が第一種鉄道事業者、貨物営業を行うJR貨物が第二種鉄道事業者)と、東京メトロの東西線が乗り入れ、接続駅となっている。
乗り入れているJR東日本の路線は中央本線のみであるが、運転系統としては、急行線を走る中央線快速電車、および緩行線を走る中央線各駅停車の2系統が停車する。このうち各駅停車の一部は東京メトロ東西線と相互直通運転を行っている。また、JRの特定都区市内制度における「東京都区内」に属する。
平日の快速は当駅以西は各駅に停車する。当駅 - 三鷹駅間の所要時間は各駅停車とほぼ同等となる(なお、通過を伴う土休日の快速でも大差はない)。
直営駅(駅長配置)で管理駅として東中野駅を管理する。また、当駅、高円寺駅、阿佐ケ谷駅、荻窪駅、西荻窪駅からなる当駅駅長がセンター長を兼任する中野営業統括センターの所在駅であり、中央線の東中野駅 - 西荻窪駅を統括する。東京メトロとしては、飯田橋駅務管区高田馬場地域の被管理駅である[11]。島式ホーム4面8線を有する高架駅である。当駅では、中央線(各駅停車)と東京メトロ東西線が相互直通運転を行っており、のりばと改札を共用している。このため、JR東日本と東京メトロの乗り換えは中間改札なしで可能である。ホーム下には南口と北口の2つの改札口がある(後述)。1番線の南側には電留線が1本敷設されている。
トイレは北口寄りが改札正面の6番線下付近、南口が改札を入ってすぐ右(コンコースからは階段を降りて左)にある。2010年4月より南口改札のトイレが現在地に移転し、同時にユニバーサルデザインの一環として多機能トイレ(オストメイト対応)も設置された。
エレベーターは設置されていないが、改札フロアとホーム(3・4番線では3号車付近)を連絡するエスカレーターが上下両方向1本ずつ東中野・落合寄りにあり、車椅子にも対応している。改札フロアとホームを結ぶ階段は3・4番線では5号車付近となる。南口は改札を入ってすぐに数段の階段がある。改札を入って右側の南口階段脇には車椅子専用の昇降機がある。北口は従来は高架下の改札口を入ってすぐに数段の階段があったが、2012年5月に歩行者広場としてコンコースと同じ高さで改修・整備された駅前広場に面した位置に改札口が移設され、段差がなくなった。北口広場からは同年7月に中野通りをまたぐ東西連絡橋が整備され、エスカレーターとエレベーターが設置され、区役所や警察病院跡地に開発された中野四季の都市(まち)方面に至る動線がバリアフリー化された。2020年から駅全体の改良工事に着工しており、2026年には駅西側に橋上駅舎と西口改札、南北通路が完成する予定である。
乗り換え専用通路はホームの新宿寄り(3・4番線では1号車付近)にあり、階段を経由して他のホームへ移動できる。
2006年3月18日のダイヤ改正を前にホーム上の掲示時刻表のフォーマットデザインが一新され、奇数時間帯・偶数時間帯がそれぞれ水色(平日)・桃色(土曜・休日)と白で色分けされたものになった(3・4番線を除く)。
3・4番線ホームは東京メトロの乗り場である。2004年頃からJR東日本仕様の発車標が設置されていたが、東西線の信号保安システムの更新に合わせ、2007年3月から東京メトロ仕様の行先と発車時刻を表示する発車標に更新され、到着・発車などの案内に東京メトロ仕様の自動放送が行われるようになった。これに伴い、それまで設置されていたJR東日本仕様の発車標は撤去された。なお、コンコースの発車標は従来通りJR東日本仕様のものが使用されている(表示形式は中央線と異なる)。列車非常停止警報装置の操作ボタンも、東京メトロのものではなくJR東日本のものを使用している。また、当駅では快速の通過待ち案内放送は流れない。
会社別に改札・ホーム・設備が分離されている西船橋駅と違い、当駅はホームもJR・東京メトロで混在しており、駅設備も含めほとんどがJR東日本の設備になっている。変わった点としては、3・4番線ホームの駅名標(JR東日本のフォーマット)の線の色が通常のJR東日本のコーポレートカラーである緑ではなく東西線のラインカラーである水色で、3・4番線の発車メロディがJR東日本仕様のメロディではなく東京メトロ仕様のブザー(通称:営団ブザー)になっていること、中央緩行線から東西線へ直通する列車は5番線から発車するため、東京メトロの車掌がJRの発車メロディスイッチを操作し(唯一の例)、逆に3番線からの三鷹行ではJRの車掌がブザースイッチを操作すること、などが挙げられる。ただし、発車ブザーのスイッチはJR東日本仕様のものが使われている[注釈 1]。また、JR東日本仕様の発車標を設置していた頃はJR東日本仕様の放送と営団ブザーという組み合わせであった。
3・4番線以外のホームではATOS型自動放送が使われており、英語の案内放送も流れる。現在は、3・4番線ホームも東京メトロ仕様の駅自動放送に英語の案内放送が流れ、全てのホームで英語の案内放送が流れるようになった。
3・4番線の駅名標は東西線における両隣の駅(片方は落合駅、もう片方は中央緩行線の高円寺駅)を表しているが、JRグループが定める特定都区市内に関する区(東京23区内の駅の意味)が表記されている。なお、方面案内標も現行のものに更新されるまでは日本国有鉄道(国鉄)時代のフォーマットで帝都高速度交通営団(営団地下鉄)のサインシステム書体と同じゴシック体のものが設置されていた。
(出典:JR東日本:駅構内図・東京メトロ:構内図)
駅構内は複雑な配線となっているため、時間帯や列車によって発着ホームが異なる場合が多い。1本乗り遅れたら違うホームに移動する必要が生じる場合もある。また、相互直通運転を実施しているものの、中央線の各駅停車と東西線の列車で三鷹行/発と当駅止まり/始発との相互間の乗り換えは同一ホーム上では不可能で、相互の接続なども行わない場合が多い。
中央線各駅停車と東西線の発着ホームを方向別にまとめると、以下のようになる。備考の色は車体の帯の色。
← 新宿・東京・ 秋葉原・西船橋・ 津田沼・千葉 方面 |
→ 三鷹・武蔵小金井 ・立川・高尾・ 青梅 方面 |
|
↓ 大手町・東陽町・ 西船橋・津田沼・ 東葉勝田台 方面 |
||
凡例 出典:以下を参考に作成 * 祖田圭介、「特集 短絡線ミステリー8」、『鉄道ファン』、第46巻1号 通巻第537号 2006年1月号、交友社、32頁。 * JR東日本公式ホームページ 駅構内図(中野駅)(のりば番号) ※図中▲は当駅以東東西線を走行する列車、▲は中央総武緩行線を走行する列車を表す。 |
自動改札機と自動精算機はJR東日本のものが設置されている。また、自動券売機は会社別に設置されている。
2007年3月18日よりICカード「PASMO」の使用を開始した。Suicaとは当初から相互利用可能だが、当駅では西船橋駅と異なり、JRと東京メトロとの連絡改札を設けていないため、交通系ICカードのSF利用で東京メトロ東西線・総武線 西船橋駅(下総中山駅方面および武蔵野線・京葉線は同駅の連絡改札を経由するため、当該駅は船橋駅以東のみ)、東京メトロ千代田線・常磐線 北千住・綾瀬の各駅以遠のJRの駅から途中で改札を通らず東京メトロ線を経由して当駅以遠のJR線まで乗車した場合でも、東日本旅客鉄道株式会社ICカード乗車券取扱規則第63条(2)の規定により全線で東京メトロの運賃ではなく、JRの運賃が適用される[13]。なお、北千住・綾瀬以遠のJR線 - 当駅間、当駅以遠のJR線 - 北千住・綾瀬間の場合は、経由によらず最安となる運賃が適用される。当駅 - 北千住・綾瀬間であれば、東京メトロの運賃が適用される。
当駅では東京メトロ線の定期券は当駅を発駅または着駅とするものを磁気券のみ発売する。なお、JR・東京メトロ線相互間の連絡定期券はSuicaでの発券が可能である。
中野駅での東京メトロ「一日乗車券」の取り扱いは、当日券のみ東京メトロの券売機で発売される。なお「東京フリーきっぷ」は、JRの券売機、指定席券売機、みどりの窓口で発売される。
2000年度(平成12年度)以降の1日平均乗降人員推移は下表の通り(JRを除く)。
年度 | 営団 / 東京メトロ | |
---|---|---|
1日平均 乗降人員 |
増加率 | |
2000年(平成12年) | 116,598 | |
2001年(平成13年) | 115,216 | −1.2% |
2002年(平成14年) | 113,860 | −1.1% |
2003年(平成15年) | 112,654 | −2.2% |
2004年(平成16年) | 111,549 | −1.0% |
2005年(平成17年) | 111,084 | −0.4% |
2006年(平成18年) | 113,093 | 1.8% |
2007年(平成19年) | 132,742 | 17.4% |
2008年(平成20年) | 135,924 | 2.4% |
2009年(平成21年) | 135,702 | −0.2% |
2010年(平成22年) | 135,706 | 0.0% |
2011年(平成23年) | 133,919 | −1.3% |
2012年(平成24年) | 136,994 | 2.3% |
2013年(平成25年) | 143,802 | 5.0% |
2014年(平成26年) | 147,773 | 2.8% |
2015年(平成27年) | 153,746 | 4.0% |
2016年(平成28年) | 157,499 | 2.4% |
2017年(平成29年) | 160,270 | 1.8% |
2018年(平成30年) | 163,908 | 2.3% |
2019年(令和元年) | 163,466 | −0.3% |
2020年(令和 | 2年)[メトロ 2]109,528 | −33.0% |
2021年(令和 | 3年)[メトロ 3]113,089 | 3.3% |
2022年(令和 | 4年)[メトロ 4]125,787 | 11.2% |
2023年(令和 | 5年)[メトロ 1]134,499 | 6.9% |
1889年度(明治22年度)以降の1日平均乗車人員推移は下表の通り。
年度 | 甲武鉄道 / 国鉄 |
出典 |
---|---|---|
1889年(明治22年) | [備考 1] | |
1890年(明治23年) | 35 | [東京府統計 1] |
1891年(明治24年) | 36 | [東京府統計 2] |
1893年(明治26年) | 37 | [東京府統計 3] |
1895年(明治28年) | 86 | [東京府統計 4] |
1896年(明治29年) | 147 | [東京府統計 5] |
1897年(明治30年) | 271 | [東京府統計 6] |
1898年(明治31年) | 384 | [東京府統計 7] |
1899年(明治32年) | 418 | [東京府統計 8] |
1900年(明治33年) | 439 | [東京府統計 9] |
1901年(明治34年) | 423 | [東京府統計 10] |
1902年(明治35年) | 462 | [東京府統計 11] |
1903年(明治36年) | 429 | [東京府統計 12] |
1904年(明治37年) | 638 | [東京府統計 13] |
1905年(明治38年) | 870 | [東京府統計 14] |
1907年(明治40年) | 1,232 | [東京府統計 15] |
1908年(明治41年) | 1,427 | [東京府統計 16] |
1909年(明治42年) | 1,525 | [東京府統計 17] |
1911年(明治44年) | 2,056 | [東京府統計 18] |
1912年(大正元年) | 2,392 | [東京府統計 19] |
1913年(大正 | 2年)2,434 | [東京府統計 20] |
1914年(大正 | 3年)2,338 | [東京府統計 21] |
1915年(大正 | 4年)1,886 | [東京府統計 22] |
1916年(大正 | 5年)2,021 | [東京府統計 23] |
1919年(大正 | 8年)3,609 | [東京府統計 24] |
1920年(大正 | 9年)4,526 | [東京府統計 25] |
1922年(大正11年) | 8,819 | [東京府統計 26] |
1923年(大正12年) | 11,521 | [東京府統計 27] |
1924年(大正13年) | 15,503 | [東京府統計 28] |
1925年(大正14年) | 16,138 | [東京府統計 29] |
1926年(昭和元年) | 16,375 | [東京府統計 30] |
1927年(昭和 | 2年)16,223 | [東京府統計 31] |
1928年(昭和 | 3年)16,140 | [東京府統計 32] |
1929年(昭和 | 4年)16,035 | [東京府統計 33] |
1930年(昭和 | 5年)15,888 | [東京府統計 34] |
1931年(昭和 | 6年)16,237 | [東京府統計 35] |
1932年(昭和 | 7年)16,268 | [東京府統計 36] |
1933年(昭和 | 8年)17,382 | [東京府統計 37] |
1934年(昭和 | 9年)18,715 | [東京府統計 38] |
1935年(昭和10年) | 19,962 | [東京府統計 39] |
年度 | 国鉄 / JR東日本 |
営団 | 出典 |
---|---|---|---|
1953年(昭和28年) | 51,779 | 未開業 | [東京都統計 1] |
1954年(昭和29年) | 54,781 | [東京都統計 2] | |
1955年(昭和30年) | 56,705 | [東京都統計 3] | |
1956年(昭和31年) | 59,752 | [東京都統計 4] | |
1957年(昭和32年) | 62,413 | [東京都統計 5] | |
1958年(昭和33年) | 66,528 | [東京都統計 6] | |
1959年(昭和34年) | 69,641 | [東京都統計 7] | |
1960年(昭和35年) | 75,292 | [東京都統計 8] | |
1961年(昭和36年) | 75,259 | [東京都統計 9] | |
1962年(昭和37年) | 75,954 | [東京都統計 10] | |
1963年(昭和38年) | 80,664 | [東京都統計 11] | |
1964年(昭和39年) | 81,405 | [東京都統計 12] | |
1965年(昭和40年) | 81,336 | [備考 2]4,814 | [東京都統計 13] |
1966年(昭和41年) | 84,219 | 14,146 | [東京都統計 14] |
1967年(昭和42年) | 87,008 | 29,377 | [東京都統計 15] |
1968年(昭和43年) | 88,718 | 42,965 | [東京都統計 16] |
1969年(昭和44年) | 81,803 | 58,694 | [東京都統計 17] |
1970年(昭和45年) | 82,058 | 65,293 | [東京都統計 18] |
1971年(昭和46年) | 87,650 | 67,293 | [東京都統計 19] |
1972年(昭和47年) | 88,896 | 67,932 | [東京都統計 20] |
1973年(昭和48年) | 93,041 | 63,452 | [東京都統計 21] |
1974年(昭和49年) | 148,145 | 65,315 | [東京都統計 22] |
1975年(昭和50年) | 141,377 | 64,093 | [東京都統計 23] |
1976年(昭和51年) | 142,805 | 66,027 | [東京都統計 24] |
1977年(昭和52年) | 144,296 | 67,345 | [東京都統計 25] |
1978年(昭和53年) | 138,279 | 61,085 | [東京都統計 26] |
1979年(昭和54年) | 134,740 | 60,604 | [東京都統計 27] |
1980年(昭和55年) | 128,364 | 59,830 | [東京都統計 28] |
1981年(昭和56年) | 132,482 | 61,162 | [東京都統計 29] |
1982年(昭和57年) | 132,586 | 62,452 | [東京都統計 30] |
1983年(昭和58年) | 131,303 | 62,249 | [東京都統計 31] |
1984年(昭和59年) | 137,014 | 62,132 | [東京都統計 32] |
1985年(昭和60年) | 138,315 | 63,384 | [東京都統計 33] |
1986年(昭和61年) | 141,805 | 63,948 | [東京都統計 34] |
1987年(昭和62年) | 137,486 | 64,585 | [東京都統計 35] |
1988年(昭和63年) | 124,071 | 65,395 | [東京都統計 36] |
1989年(平成元年) | 125,121 | 65,425 | [東京都統計 37] |
1990年(平成 | 2年)125,477 | 65,688 | [東京都統計 38] |
1991年(平成 | 3年)127,754 | 63,115 | [東京都統計 39] |
1992年(平成 | 4年)129,953 | 67,575 | [東京都統計 40] |
1993年(平成 | 5年)129,471 | 67,570 | [東京都統計 41] |
1994年(平成 | 6年)128,175 | 66,326 | [東京都統計 42] |
1995年(平成 | 7年)126,137 | 64,237 | [東京都統計 43] |
1996年(平成 | 8年)125,567 | 62,682 | [東京都統計 44] |
1997年(平成 | 9年)122,176 | 61,318 | [東京都統計 45] |
1998年(平成10年) | 119,400 | 60,279 | [東京都統計 46] |
1999年(平成11年) | [JR 1]118,219 | 58,776 | [東京都統計 47] |
2000年(平成12年) | [JR 2]117,090 | 58,359 | [東京都統計 48] |
年度 | JR東日本 | 営団 / 東京メトロ |
出典 |
---|---|---|---|
2001年(平成13年) | [JR 3]115,907 | 57,748 | [東京都統計 49] |
2002年(平成14年) | [JR 4]115,227 | 57,112 | [東京都統計 50] |
2003年(平成15年) | [JR 5]114,459 | 56,363 | [東京都統計 51] |
2004年(平成16年) | [JR 6]113,324 | 55,718 | [東京都統計 52] |
2005年(平成17年) | [JR 7]113,569 | 55,477 | [東京都統計 53] |
2006年(平成18年) | [JR 8]115,176 | 56,608 | [東京都統計 54] |
2007年(平成19年) | [JR 9]123,022 | 67,265 | [東京都統計 55] |
2008年(平成20年) | [JR 10]124,625 | 69,063 | [東京都統計 56] |
2009年(平成21年) | [JR 11]124,494 | 69,003 | [東京都統計 57] |
2010年(平成22年) | [JR 12]123,968 | 69,123 | [東京都統計 58] |
2011年(平成23年) | [JR 13]122,846 | 68,066 | [東京都統計 59] |
2012年(平成24年) | [JR 14]125,025 | 69,507 | [東京都統計 60] |
2013年(平成25年) | [JR 15]138,467 | 72,858 | [東京都統計 61] |
2014年(平成26年) | [JR 16]140,587 | 74,904 | [東京都統計 62] |
2015年(平成27年) | [JR 17]144,916 | 77,984 | [東京都統計 63] |
2016年(平成28年) | [JR 18]146,400 | 79,847 | [東京都統計 64] |
2017年(平成29年) | [JR 19]148,789 | 81,258 | [東京都統計 65] |
2018年(平成30年) | [JR 20]150,886 | 83,041 | [東京都統計 66] |
2019年(令和元年) | [JR 21]150,907 | 82,617 | [東京都統計 67] |
2020年(令和 | 2年)[JR 22]103,284 | ||
2021年(令和 | 3年)[JR 23]108,524 | ||
2022年(令和 | 4年)[JR 24]119,846 | ||
2023年(令和 | 5年)[JR 25]126,079 |
当駅を発着する定期貨物列車の設定はないが、東京メトロ・東葉高速鉄道発着の甲種車両輸送列車が当駅を経由する。
2008年度の車扱貨物の取扱量は、発送400トン、到着なしであった。近年の年間発着トン数は下表の通り。
年度 | 総数 | 車扱貨物 | コンテナ貨物 | 出典 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|
発送トン数 | 到着トン数 | 発送トン数 | 到着トン数 | 発送トン数 | 到着トン数 | ||
1990年 | [14] | ||||||
1991年 | [15] | ||||||
1992年 | 800 | 800 | [16] | ||||
1993年 | 1,200 | 1,200 | [17] | ||||
1994年 | [18] | ||||||
1995年 | [19] | ||||||
1996年 | [20] | ||||||
1997年 | [21] | ||||||
1998年 | 400 | 400 | [22] | ||||
1999年 | 1,200 | 1,200 | [23] | ||||
2000年 | [24] | ||||||
2001年 | 1,200 | 1,200 | [25] | ||||
2002年 | [26] | ||||||
2003年 | 1,200 | 1,200 | [27] | ||||
2004年 | 2,800 | 2,800 | [28] | ||||
2005年 | 1,600 | 1,600 | [29] | ||||
2006年 | 2,000 | 3,200 | 2,000 | 3,200 | [30] | ||
2007年 | 400 | 400 | [31] | ||||
2008年 | 400 | 400 | [32] | ||||
2009年 |
駅の真下を東京都道420号鮫洲大山線(中野通り)が貫いている。もともと駅前は将軍家の鷹場跡地で、徳川綱吉は鷹狩を禁止して野犬保護地に替えたが、徳川吉宗は鷹狩を復活し桃園も造った[33]。明治時代には駅北側に軍の施設が多数造られ、第二次大戦中には陸軍中野学校があった[33]。
中野通りを跨ぐペデストリアンデッキが完成し、中野四季の都市方面へ横断歩道を渡らずに行き来が可能となった。
北口(ガード下・サンプラザ前)・南口双方にのりばと、北口に関東バス案内所、南口に京王バス案内所がある。
2011年9月に北口駅前広場の再整備工事が行われ、これまで駅前に乗り入れていたバスが中野サンプラザ付近への発着に変更になった。その後、2012年7月1日の東西連絡路開通により、中野通りの横断歩道を渡らずに駅からバス乗り場などへ行くことができるようになった[新聞 2]。2016年9月12日より中野駅地区第二期整備事業の進展によりバス乗り場が再編された[35]。
のりば | 運行事業者 | 系統・行先 | 備考 |
---|---|---|---|
中野サンプラザ南側 | |||
0 | 関東バス |
| |
1 | 「中28」は運行休止中 | ||
2 | 「中13」は運行休止中 | ||
3 | |||
10 | 中01・中02・宿05:野方駅 | ||
11 | |||
中野サンプラザ東側 | |||
5 | 京王バス | 中91:新井四丁目 | 平日朝2本のみ運行 |
7 | 中92:練馬駅 / 豊玉中二丁目 / 南蔵院 | 豊玉中二丁目行は平日朝2本のみ運行。南蔵院行は深夜のみ運行。 | |
8 | 関東バス | 宿08:新宿駅西口 | |
東京空港交通 | リムジンバス:羽田空港 | ||
9 |
|
池11:池袋駅西口 | |
関東バス | 中20:丸山営業所 | ||
ガード下 | |||
降車場 | 京王バス | 中91・中92:降車専用 | |
6 | 関東バス | 宿04・宿05:新宿駅西口 | |
|
ほの国号:田原駅前 |
北口に関しては「中野駅入口」停留所も利用可能。なお、のりば番号はいずれも付記されておらず、関東バスナビに表記されている番号である[注釈 3]。
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