中津市
大分県の市 ウィキペディアから
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中津市(なかつし)は、大分県の最北西部にある市[1]。大分県北部(県北)の中核都市である[1]。1929年(昭和4年)市制施行。
なかつし 中津市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 大分県 | ||||
市町村コード | 44203-8 | ||||
法人番号 | 2000020442038 | ||||
面積 |
491.44km2 (境界未定部分あり) | ||||
総人口 |
80,747人 [編集] (推計人口、2024年8月1日) | ||||
人口密度 | 164人/km2 | ||||
隣接自治体 |
宇佐市、日田市、玖珠郡玖珠町 福岡県:豊前市、田川郡添田町、築上郡上毛町、吉富町、築上町、京都郡みやこ町 | ||||
市の木 | ナノミ(クロガネモチ) | ||||
市の花 | キク | ||||
他のシンボル | - | ||||
中津市役所 | |||||
市長 | 奥塚正典 | ||||
所在地 |
〒871-8501 大分県中津市豊田町14番地の3 北緯33度35分54秒 東経131度11分18秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
大分県内では大分市、別府市に次いで人口が3番目に多い自治体である。城下町であり、青の洞門、羅漢寺、福澤諭吉旧居、中津城などの文化財や歴史的建造物、市域南部には景勝地の耶馬渓がある。
中津市は旧豊前国にあたるため、福岡県の旧豊前国である北九州地区(北九州市、行橋市、豊前市、築上郡、京都郡など)との結び付きが強く、福岡県からの通勤・通学人口が非常に多い。特に旧上毛郡地域であった豊前市、上毛町、吉富町は、古くは旧下毛郡と合わせて三毛郡というひとつの郡であったため、中津市との関係が深く、経済・文化・生活面で中津市と一体である。そのため、山国川を挟んで隣接する福岡県吉富町・上毛町は、築上郡の中心都市である豊前市との合併を拒否して中津市との越境合併を視野に入れている。経済的に北九州都市圏の中にあり、同都市圏の5パーセント通勤圏であるが、小都市圏である中津都市圏(約217,000人)の中心都市としての役目も担っている。また南部の山国町は、中津市街地よりも日田市の方が距離的に近いため、後者との結びつきが強い。
2004年(平成16年)末にはダイハツ車体の本社・工場を移転したことで、自動車関連工場の集積が進んでいる。2015年(平成27年)3月1日、東九州自動車道の中津ICが開設された。
瀬戸内海式気候のために温暖で、年間降水量も九州では少ない地域である。市内北東部の野依新池では環境省のレッドデータブックで絶滅危惧I種に指定され、生息が壊滅状態となっているベッコウトンボの個体群が繁殖している。山国川上流の耶馬溪町に位置する耶馬溪ダムは、北九州地区および大分県北部の水がめとしての役割を担う。
中津(2011年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 19.4 (66.9) |
23.8 (74.8) |
24.5 (76.1) |
29.7 (85.5) |
31.3 (88.3) |
36.1 (97) |
37.9 (100.2) |
36.8 (98.2) |
34.4 (93.9) |
32.6 (90.7) |
27.9 (82.2) |
25.7 (78.3) |
37.9 (100.2) |
平均最高気温 °C (°F) | 9.7 (49.5) |
10.2 (50.4) |
14.2 (57.6) |
19.0 (66.2) |
24.0 (75.2) |
26.1 (79) |
30.4 (86.7) |
32.0 (89.6) |
27.5 (81.5) |
22.6 (72.7) |
17.5 (63.5) |
11.5 (52.7) |
20.4 (68.7) |
日平均気温 °C (°F) | 5.8 (42.4) |
6.1 (43) |
9.7 (49.5) |
14.2 (57.6) |
19.2 (66.6) |
22.4 (72.3) |
26.7 (80.1) |
27.9 (82.2) |
23.7 (74.7) |
18.6 (65.5) |
13.2 (55.8) |
7.5 (45.5) |
16.3 (61.3) |
平均最低気温 °C (°F) | 2.0 (35.6) |
2.1 (35.8) |
5.2 (41.4) |
9.3 (48.7) |
14.4 (57.9) |
19.3 (66.7) |
23.7 (74.7) |
24.5 (76.1) |
20.5 (68.9) |
14.8 (58.6) |
9.0 (48.2) |
3.7 (38.7) |
12.4 (54.3) |
最低気温記録 °C (°F) | −5.5 (22.1) |
−4.4 (24.1) |
−2.5 (27.5) |
0.6 (33.1) |
6.3 (43.3) |
12.8 (55) |
17.3 (63.1) |
18.0 (64.4) |
13.1 (55.6) |
7.3 (45.1) |
0.4 (32.7) |
−2.2 (28) |
−5.5 (22.1) |
降水量 mm (inch) | 56.2 (2.213) |
70.2 (2.764) |
88.5 (3.484) |
98.3 (3.87) |
102.6 (4.039) |
289.5 (11.398) |
302.8 (11.921) |
146.0 (5.748) |
178.8 (7.039) |
133.0 (5.236) |
61.6 (2.425) |
59.1 (2.327) |
1,574.1 (61.972) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 5.7 | 8.6 | 8.3 | 9.1 | 7.1 | 12.2 | 10.9 | 8.8 | 9.6 | 7.5 | 7.2 | 7.5 | 102.3 |
平均月間日照時間 | 139.3 | 136.1 | 189.3 | 198.5 | 219.9 | 131.5 | 174.3 | 215.3 | 146.3 | 169.7 | 144.0 | 126.2 | 2,005 |
出典1:Japan Meteorological Agency | |||||||||||||
出典2:気象庁[2] |
中津市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 中津市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 中津市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
中津市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
国道10号南側には条里制による条里地割の跡が現存しており、古代から中津平野の開発が行われていたことがわかる。
日本神話に出てくる豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)はこの地であり、豊の国や中津という地名はその名残であるとする説があるが、一般に受け入れられていない。
城下町としての歴史は、1587年(天正15年)に黒田孝高が豊臣秀吉から豊前6郡(京都・築城・仲津・上毛・下毛・宇佐)の16万石と馬ヶ岳城(福岡県行橋市)が与えられた後に、拠点を山国川河口部に移し中津城を築城したところから始まる。市街地がほぼ完成したのは1600年代中頃とされる。城主は後に細川氏・小笠原氏を経て、1717年(享保2年)に奥平氏が入封し明治維新を迎えることになる。
廃藩置県により現在の市域は中津県となり、その後小倉県から福岡県となったが、1876年(明治9年)8月21日に福岡県のうち宇佐郡と下毛郡が大分県に編入され、中津支庁が設置されたことで大分県北の中心地として重要性を帯びるようになった。
近代工業の始まりは1879年(明治12年)から1880年(明治13年)にかけて工場が設置されたのが最初とされ、1890年代には繊維工業が集積するようになった。1929年(昭和4年)に大分県で3番目に市制を施行した。
昭和20年代には朝鮮特需を背景に鉄鋼工業の相次ぐ進出で、人口100,000人を維持し続けた[1]。しかし、昭和30年代になると繊維産業の衰退により人口が減少に転じ、さらに石炭産業衰退による北九州工業地帯の相対的地位低下により人口の流出が続いた[1]。一方で窯業関連や自動車関連の工場進出も進み、それに伴う第三次産業の規模も拡大し、1975年(昭和50年)以降は人口が増加傾向に転じた[1]。1984年(昭和59年)には豊の国テクノポリスの中心都市に指定されている。
1985年(昭和60年)に人口が87,700人となったが、以降はわずかに人口は減少傾向にある[1]。
明治22年以前 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 大正15年 | 昭和元年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和63年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | ||
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中津町 | 中津町 | 中津町 | 昭和4年4月20日 市制 |
中津市 | 中津市 | 中津市 | 中津市 | ||
大江村 | 大正14年4月1日 中津町に編入 | ||||||||
豊田村 | |||||||||
小楠村 | 小楠村 | 昭和4年4月1日 中津町に編入 | |||||||
鶴居村 | 鶴居村 | 鶴居村 | 昭和18年8月8日 中津市に編入 | ||||||
大幡村 | 大幡村 | 大幡村 | |||||||
如水村 | 如水村 | 如水村 | |||||||
三保村 | 三保村 | 三保村 | 昭和26年4月1日 中津市に編入 | ||||||
和田村 | 和田村 | 和田村 | 昭和29年10月1日 中津市に編入 | ||||||
桜洲村 | 桜洲村 | 昭和8年4月1日 新昭村 |
昭和15年11月3日 町制改称 今津町 |
今津町 | 昭和30年2月1日 中津市に編入 | ||||
尾紀村 | 尾紀村 | ||||||||
真坂村 | 真坂村 | 真坂村 | 昭和29年3月31日 三和村 |
同日改称 三光村 |
三光村 | 平成17年3月1日 中津市に編入 | |||
深秣村 | 深秣村 | 深秣村 | |||||||
山口村 | 山口村 | 山口村 | |||||||
東城井村 | 大正15年2月11日 改称 東耶馬渓村 |
東耶馬渓村 | 昭和26年4月1日 本耶馬渓村 |
昭和34年1月1日 町制 本耶馬渓町 | |||||
上津村 | 上津村 | 上津村 | |||||||
東谷村 | 東谷村 | 東谷村 | 昭和29年3月31日 本耶馬渓村に編入 | ||||||
西谷村 | 西谷村 | 西谷村 | |||||||
津民村 | 津民村 | 津民村 | 昭和26年4月1日 中耶馬渓村 |
昭和28年9月1日 改称 耶馬渓村 |
昭和40年4月1日 町制 耶馬溪町 | ||||
山移村 | 山移村 | 山移村 | |||||||
下郷村 | 下郷村 | 下郷村 | |||||||
城井村 | 大正14年9月1日 改称 耶馬渓村 |
耶馬渓村 | 昭和28年4月1日 中耶馬渓村に編入 | ||||||
柿山村 | 柿山村 | 昭和3年4月1日 改称 深耶馬渓村 |
深耶馬渓村 | 昭和29年3月31日 耶馬渓村に編入 | |||||
三郷村 | 三郷村 | 三郷村 | 昭和26年4月1日 山国村 |
昭和33年4月1日 町制 山国町 | |||||
溝部村 | 溝部村 | 溝部村 | |||||||
槻木村 | 槻木村 | 槻木村 |
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 期・年数 |
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官選 | ||||
1 | 佐藤寅二 | 1926年6月28日[注釈 1] | 1930年11月12日 | |
2 | 中里真清 | 1931年4月7日 | 1934年2月26日 | |
3 | 竹岡吉太郎 | 1934年3月10日 | 1942年3月9日 | |
4 | 佐藤子之助 | 1942年7月31日 | 1946年1月23日 | |
5 | 大江富太郎 | 1946年2月7日 | 1947年4月 | |
公選 | ||||
5 | 大江富太郎 | 1947年4月 | 1948年10月31日 | 1期1年 |
6 | 浅沼義男 | 1948年12月23日 | 1952年9月13日 | 1期4年 |
7 | 岩田虎蔵 | 1952年10月7日 | 1956年10月4日 | 1期4年 |
8 | 市川文雄 | 1956年10月5日 | 1959年9月30日 | 1期4年 |
9 | 深尾新吉 | 1956年11月18日 | 1967年11月16日 | 3期11年 |
10 | 八並操五郎 | 1967年11月17日 | 1987年11月16日 | 5期20年 |
11 | 鈴木一郎 | 1987年11月17日 | 2003年11月16日 | 4期16年 |
12 | 新貝正勝 | 2003年11月17日 | 2015年11月16日 | 3期12年 |
13 | 奥塚正典 | 2015年11月17日 | 現職 |
中津市にはから揚げを売る店舗が多く、惣菜店・肉屋以外にもから揚げ専門店がある。中津市はから揚げを扱う店舗を掲載した「からあげマップ」を作成しており[10]、観光案内所でも同様の地図を配布している。
交通面では、小倉方面(中津街道=国道10号)、大分方面(日向街道=国道10号)、耶馬渓・日田方面(日田往還=国道212号)の分岐点である。また市内中心部から大分市まで車で1時間30分、北九州市まで車で1時間弱の距離にある。2015年3月には東九州自動車道、中津ICが開通した。また大分県道23号中津高田線はダイハツ車体の移転に伴い、片側2車線に拡幅されている。
2004年(平成16年)3月まで西鉄バス京築の中津支社が中津駅北側に所在し、行橋市(かつては北九州市小倉北区砂津や福岡市中央区天神まで)や上毛町(旧大平村)友枝方面に路線バスを走らせていたが、沿線自治体が補助金を打切ったために不採算路線として廃止された。
コミュニティバス
定期旅客航路は存在しないが、1971年(昭和46年)に宇部・中津フェリーが宇部港(山口県宇部市)を結ぶフェリー航路の運航を九州海運局に申請していた[16]。500トンフェリー2隻を用い1日8往復、所要時間は1時間30分、航路距離は38キロメートル、積載能力は1便あたりトラック4台、乗用車10台、旅客300人の計画であった[16]。
中津市(2005年の合併以前の地域)は大分県と福岡県の県境付近にあり、山口県とも周防灘をはさんで近接していることから、テレビ放送は3県の、FM放送は4県のものを受信できる。なお、ケーブルテレビ局では在福民放5局を区域外再放送していたが、旧市内は大分ケーブルテレコムとの合併により、KBCテレビとRKB毎日放送が除外された。旧下毛郡域は現行どおり全在福局を受信できる。
2005年9月17日には、大分県初のコミュニティ放送局「エフエムなかつ」が開局した。
中津市街地では、2008年3月25日にデジタル放送を開始した中津局のほか、福岡県(北九州局・行橋局・大河内局)、山口県(山口局)のデジタル放送の電波も届いており、視聴可能である。
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