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閉店した百貨店 ウィキペディアから
株式会社中合(なかごう、英語: NAKAGO Co.,Ltd.)は、東京都江東区に本社を置き、かつて福島県を中心に百貨店を運営していた企業。1830年(天保元年)創業[2]、1874年(明治7年)11月創立[2]。日本百貨店協会に加盟していた[5]。
かつての本社所在地にあった中合福島店 | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
日本 〒135-0016[1] 東京都江東区東陽二丁目2番20号東陽駅前ビル[1] 北緯37度45分12.7秒 東経140度27分41.7秒 |
設立 | 1935年(昭和10年)10月[2] |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 1380001001074 |
事業内容 | 百貨店事業[1] |
代表者 | 代表取締役社長 黒崎浩一[3] |
資本金 | 5000万円[1] |
純利益 |
△3億9,500万円 (2024年2月期)[4] |
総資産 |
6,100万円 (2024年2月期)[4] |
従業員数 | 580名(契約社員含む)[1] |
主要株主 | ダイエー 100% |
外部リンク |
nakago |
福島の老舗百貨店であり、1970年代以降はダイエーグループに属している[2]。2020年(令和2年)8月31日の福島店閉店[6][7]により全店舗が閉店[8]、146年の歴史に幕を下ろした[9][10]。
福島店の閉店により、福島県内の百貨店は郡山市のうすい百貨店のみとなり、同じく2020年8月31日に西武大津店が閉店した滋賀県[11][12]とともに、県内に百貨店はあるものの、県庁所在地に百貨店が存在しない県となった[10]。
グループスローガンは「この街と人が好きだから」。本店である福島店(1号館)の外壁には樹木の白い模様があり、福島市の木・ケヤキを象っていた。
創業者の中村治朗兵衛家の本家は、近江麻布の製織と行商で巨万の富を成したとされる近江商人・中村治兵衛家である[13]。「三方よし」の原典となる家訓を残した[14]。1874年(明治7年)に三代目中村治郎兵衛(安藤芳兵衛)が福島市荒町に開業した中村呉服店を源流とする[15]。
1884年(明治17年)には東京・日本橋富沢町の問屋街に呉服仕入店として東京店を開業[16]。東京店は1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災により被災し失われたが、福島店の援助により再建した[17]。東京店は第二次世界大戦終戦後、開店から100年にあたる1984年(昭和59年)に閉店した[18]。
1893年(明治26年)に中村合名会社を設立[19]。1935年(昭和10年)10月に合名会社から株式会社へ改組[1]。その際に、中村合名会社の中と合を取って、新社名を「株式会社中合」とした。社名は専務取締役を勤めた安藤順造の発案とされる。中合の読みは湯桶読みの「なかごう」であり、「ちゅうごう」「ちゅうあい」「なかあい」ではない[20]。
1913年(大正2年)に福島店を荒町から大町へ移転[1]。1938年(昭和13年)に百貨店業を開始[21]。日本百貨店組合(現:一般社団法人日本百貨店協会)に加盟した[5]。
本店である福島店は、創業の地である福島市荒町から移転後、長らく福島市大町にあったが、1973年(昭和48年)10月1日に福島駅前へ移転し、旧店舗の2倍以上に増床した[21]。大町の店舗は移転後に閉鎖していたが、地元商店街からの要望もあり、翌1974年(昭和49年)6月に総合スーパー業態の「中合大町支店」として営業を再開し、愛称を「大町パルク」とした[22][23]。
しかし、1973年から1974年にかけて発生した第1次オイルショックの影響に加え、駅前進出による建設費等の設備投資の返済、大町パルクの業績不振などで業績不振に陥ったため、1978年(昭和53年)に大手スーパーのダイエーと提携し、ダイエーグループ入りした。一説には、山一證券との仲介が関係していたとされる[24]。
1984年(昭和59年)8月28日、「大町パルク」は赤字増大や店舗老朽化、周辺での再開発事業計画などにより閉店し[25]、店舗の建物は閉店後に解体された。
1998年(平成10年)3月、福島店に隣接する平和ビル(旧「山田百貨店」と「福島ビブレ[注釈 1]」跡地)に出店し「中合福島店二番館」として増床した[26]。
中合は2005年12月1日、北海道函館市の棒二森屋と青森県八戸市の三春屋を運営するアドバンスド・デパートメントストアーズオブジャパンを吸収合併した[27]。また同時に、ダイエーを引き受け先として増資を行い[28]、十字屋から山形店の経営権を譲り受けた[27]。
しかし2009年に、中合は会社全体の構造改革の一環として1店舗を閉店する方針を決定し、店舗老朽化による維持費用の増大を理由に会津店の閉店を発表[29][30]、翌2010年(平成22年)2月28日に閉店した[31](詳細は中合会津店を参照)。
2010年7月1日には、ダイエー以外の株主が保有していた全株式を無償で取得した上で、取得株式の一部をダイエーに50億円で売却して債務超過を解消し、ダイエーの完全子会社となった[28]。
2011年(平成23年)3月11日14時46分に東日本大震災が発生。福島市は震度5強の揺れに襲われたが、中合福島店では毎月1回避難訓練を行っており、避難訓練の日は毎月11日の開店前としていた。ちょうど3月11日の開店前にも避難訓練を実施していたため、従業員は冷静に避難誘導を行うことができ、天井が落下するなどの被害があったが怪我人は出なかった。地下食品フロアでは従業員の判断で、店内の買い物かごをヘルメット代わりに客に配った。また自家用車以外で来客し鉄道が運休して帰宅困難となった客にはタクシー代を負担するなどした。
震災からわずか3日後の3月14日には、店頭で食料品と生活雑貨の販売を再開。県内の流通が滞り、コンビニエンスストアにも商品が不足していたため、市民の間で口コミで情報が広がり、店頭には商品を求める行列ができた。5日後の3月16日には、福島市内ではスーパーマーケットなどでさえも休業している店が多い中、地下食品フロアと学生服売場の営業を再開。4月の新入学時期を控えて多くの客が制服を買い求めた。3月24日には福島店1号館が営業を再開、その後に続いて2号館も営業再開し、ほぼ通常営業となった。
しかしその後、1998年に増床出店した「中合福島店二番館」は、福島市が実施した耐震診断で震度6強以上の地震で「倒壊や崩壊の危険性が高い」と判定され、耐震基準を満たせなかったことから[26][26][32]、2017年(平成29年)8月31日に閉店した。
また同2017年8月30日には、十字屋山形店も営業不振に加え、ビル所有者との耐震改修費などを巡る条件交渉が折り合わなかったため、翌2018年1月末をもって閉店すると発表[33]。2018年(平成30年)1月31日をもって発表どおり閉店した。
2019年(平成31年)1月31日には函館市の棒二森屋も閉店した。同2019年(令和元年)11月6日には、青森県八戸市にある中合三春屋の事業を「やまき」へ事業譲渡したため、再び福島県の店舗のみの運営となった。
しかし福島市は宮城県仙台市の商圏にあり、仙台市の百貨店への流出(仙台都市圏へのストロー効果)により福島店への来客は年々減少し赤字が深刻化した上、福島駅東口再開発事業計画に伴う建物取り壊しの影響もあり、2020年(令和2年)8月31日をもって福島店の営業を終了し、これにより中合の店舗は全店閉店となった[6][7][8]。
中合福島店が閉店した2020年、福島市は12月15日に中合福島店が入居していた「辰巳屋ビル」の1階と2階を活用して「福島市街なか交流館」をオープンした[34]。
辰巳屋ビルは10階建てで[35]、1階から7階に中合福島店[35]、8階から10階に「ホテル辰巳屋」が入居していたが[35]、ホテルは2019年8月に営業を終了した[35]。再開発ビルの建設に伴い、2022年度(令和4年度)に辰巳屋ビルの解体が開始されるため[35]「街なか交流館」は同年2月28日までの期間限定での開館となった[34][35]。
「街なか交流館」の1階には、福島市に本社を置くスーパーマーケットのいちいが「いちい街なか店」を出店[36]。福島市がいちいに賃料の一部を補助して支援する[35]。1階は食品スーパー、地元の農産物や特産品を販売する「福島の名産品」、定期開催する「物産展」のエリアに分かれており[34]、中合で行われていた物産展も開催された[35]。翌2021年(令和3年)1月にはモスバーガー街なか店[注釈 2]がオープンした[34]。2階は「街なか交流スペース」として、福島市の震災復興を記録した「震災復興パネル展」、福島市出身の作曲家・古関裕而に関する常設展示、多目的スペースの一般貸出を行う[34][38]。「街なか交流スペース」の運営は、福島市の第三セクターである株式会社福島市まちづくりセンター[38]に委託し、市が業務委託料を支払う[35]。
「震災復興パネル展」は東日本大震災発生から10年の節目に、福島市が「被災県の県都として、支援に対する感謝を表するとともに、復興の軌跡と新たなまちづくりの方向性などを発信し、記憶と教訓を次世代に継承する」ことを目的に開催している[39]。「震災復興パネル展」は、開館日から2022年2月末まで常設展示された[34][38]。
2022年(令和4年)2月28日、旧中合福島店の空きビル内にあった福島市街なか交流館は閉館し、スーパーいちい街なか店も閉店となった[40]。辰巳屋ビルの解体に伴い「福島市街なか交流館」は2022年春に駅前通りの向かいにある商業ビル「メディア・シティ・エスタ」の地下1階に移転することが決まった[41]。
2022年4月30日、JR福島駅東口前のエスタビル地下1階に市民交流スペース「街なか交流館」は移転オープンした[42]。
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