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ユリ目ユリ科の植物 ウィキペディアから
チューリップ(英語: tulip [ˈt(j)uːlɪp])とは、ユリ科チューリップ属の植物。球根が出来、形態は有皮鱗茎。和名は鬱金香(うこんこう、うっこんこう)、中近東ではラーレ(トルコ語: lale、ペルシア語: لاله など)と呼ばれる。アナトリア、イランからパミール高原、ヒンドゥークシュ山脈、カザフスタンのステップ地帯やキルギスが原産。
本項では日本では一般に栽培されているTulipa gesneriana(植物学者コンラート・ゲスナーに因む)およびそれ以外の原種・園芸種(Tulipa 属全般)について触れる。
和名の鬱金香(ウッコンコウ)は、この花の香りがスパイスまたは食品を黄色く染めるのに使われるウコンのような、埃臭いことに由来する。チューリップの花の香りは概してあまり良くないが、最近は香りの良い品種も増えている。1970年頃までは、牧野植物図鑑に「ぼたんゆり」という和名が載っていた。
チューリップには後述のチューリップ相場に代表されるように多様な園芸品種が存在する。外観は、花弁の先端が丸いもの・尖ったもの・フリル状のものもある。咲き方は一重から八重で、一つの球根から複数の花がつくもの、すぼまった状態で開花するものや花弁が外側へ反り返り全開して開花するものなど。花色も青以外の赤・黄・オレンジ・白・緑・紫などの単色や複数の色のものなど、数百品種のチューリップが存在する。青バラと同様に多くの育種家によって青いチューリップの開発が進められているが、花弁全体が青い品種は発表されていない。チューリップの花を上から覗くと、花弁の根元に青い部分が存在する。その部分には青い色素が見られ、その青い部分を増やすことで青いチューリップを作る研究がされている。
大きな球根を採取する場合は開花から約2日後に花部を切断する。また、深く植えつけると分球が少なくなるがその分、肥大は良くなる(植えつけた年は変化がなく、その次の年に影響する)。繁殖は主に分球で、実生(タネ)からは開花までに5年以上かかる。
他のユリ科の植物と同様、両性花であり、雌雄異熟によって自家受粉を防いでいる。
実生は品種改良の際に行われる。人気のある花だけに花形・花色、草姿、葉の模様、ブルームの有無、香り、早晩性、耐暑性・耐湿性、多花性、繁殖力、切花では切花寿命や無花粉化、花茎の硬さなど改良されるべき性質が多く、特に日本の高温多湿に強い品種が望まれる。ただし、野生種をはじめ交配に使える素材も多いため、時間は掛かるが品種改良は比較的容易である。
開花前に裁縫に用いる針等を用いてチューリップの花の根元部分を貫通させ傷つけるとエチレンが発生し、開花期間を長引かせることができ、開花後に同様のことを行うと開花期間が短縮することがチューリップのみで確認されている。
原産地は中央アジアとされ、ソグド人の骨壺にチューリップを挿した冠を被る若者が刻まれている。やがて、突厥がモンゴル高原から中央アジアへ勢力を広げ、隷属民になったソグド人から様々な文化を学んだ。この中に、チューリップを含めた花をめでる習慣があった。突厥崩壊後にその構成部族だったオグズの一派がセルジューク朝を築き、11世紀に東ローマ帝国からアナトリアを奪うと、中央アジア・イランからアナトリアへトルコ民族が続々と移住し始める。オスマン帝国の母体であるカユ部族も、チューリップを携えて移住した部族の一つであった。トルコ国内の宮殿(トプカプ宮殿等)やモスク(ブルーモスク等)に貼られたタイルに描かれている。生産地ではオランダが非常に有名で、各国へ輸出されている。トルコからオランダにチューリップが伝わったのは16世紀頃。日本のホームセンターや園芸品店で販売されている球根は、ほとんどがオランダからの輸入である。
日本では、富山県や新潟県で大規模な栽培が行われている。両県を合わせた球根生産での国内シェアは98%(富山県53%、新潟県45%)である。
チューリップは国家や地方公共団体等を象徴する国花や県花として制定されており、花の栽培や球根の生産は元より観光の主力として注力していることが多い。
古くはオスマン帝国でもてはやされ[注釈 1]、オーストリアの大使オージェ・ギスラン・ド・ブスベックによって初めてヨーロッパに伝わる。この伝来のときに誤ってチュルバン(tülbend, ターバン)と伝わったために現在のチューリップという名が生まれた[2]。後、ブスベックの友人クルシウスがオランダのライデン植物園に移り、そこでチューリップを栽培したところ評判となった。盗難が何度も起きたためクルシウスは栽培を止めてしまったが、その後、オランダではチューリップ狂時代をはじめ、幾度と歴史上にチューリップが登場することとなる。16世紀末にはイギリスでも栽培が始まり、カーネーションやオーリキュラ (Primula auricula) と共に早くから育種が進んだ。19世紀には多数の品種が生まれ、現在でもいくつかが栽培されている。
日本には、江戸時代後期に伝来したが普及するに至らず、大正時代に入って、ようやく小合村(現:新潟市秋葉区)で本格的な球根栽培が始まった。このことから、新潟地域の栽培農家は新潟が「日本チューリップ発祥の地」と自負しており、道の駅花夢里にいつには記念碑が建てられている。1963年には新潟県の県花にも指定されている。しかし、新潟県は大正8年(1919年)なのに対し、富山県では大正7年(1918年)に東砺波郡庄下村(現:砺波市)の水野豊造により栽培されていたことから、少なくとも本格的な栽培は富山県が日本初となる(それ以前より栽培はされていたが、球根状態での保存が確立したのがこの時期である)。
その後、日本では、女子児童を中心に小学生の間でチューリップが人気の花となり、校庭の花壇に植えたり、鉢植えにされたりしたほか、弁当箱の絵柄や上履き入れの刺繍などにもチューリップが選ばれた[3]。
デリバティブ取引の一つである商品取引は、17世紀初頭にオランダで行われたチューリップ取引が起源であるといわれている。当初は、植物愛好家間の取引であったが、投機的な資金が流入し、珍しい品種のチューリップの球根が高値で取引された。これを、チューリップ・マニアまたはチューリップ・バブルと呼ぶことがある。ハーレム、アムステルダム等での常設現物市場や、相対取引での先渡取引等、一般庶民を巻き込んで盛んに取引が行われたが、1637年の球根価格の暴落により、チューリップ・マニアまたはチューリップ・バブルは終焉した。
日本にはアマナ、ヒロハノアマナという植物が分布しており、チューリップと姿が似ている。かつてはチューリップ属に含まれていたが、形態の違いから、現在はアマナ属に分類されている。「甘菜」の意であり、食用とされた。別名ムギクワイ。水田の畦などの水分の多い場所を好む(チューリップと違い球根は乾燥に弱い)。
農業従事者などが茎などの切断面や汁に頻繁にさらされると、アレルギー物質のツリパリンAによるチューリップフィンガー(Tulip fingers)という接触皮膚炎を起こす場合がある。また、食用品種以外を食べると、悪心、嘔吐、呼吸抑制、動悸などを引き起こし、5日程度続く脱力感以外の症状は数日程度で収まる[5][6]。ヒトや犬猫などにとっては毒であるが、ウサギ、シカ、リス、ハタネズミ、ネズミ、ホリネズミなどの動物にとっては球根や葉などは餌であり食害される[7]。
球根の糖度が極めて高くでん粉に富むため、オランダでは食用としての栽培も盛んで、主に製菓材料として用いられる。日本でもシロップ漬にした球根を使った和菓子やパイが富山県砺波市で販売されている[8]。その他、花をサラダや菓子の添え物として生食することもあり、特にオランダでは花を食用に用いる料理が盛んとなっている。花弁はレタスにも似たシャキシャキとした瑞々しい食感で仄かに甘味を帯びており、サラダの他に炒め物に向く。日本でも近年、生産量が増えており、主に通信販売などで一般にも入手可能である。
食用に適するものは専用の品種で、一般の園芸品種は灰汁が強く、また農薬などの問題もあり食用は避けるべきである。また、多くの品種で全草に心臓毒であるツリピンを含み毒性がある。また球根は傷付くとアレルギー性物質のツリパリンAを生成する。
いくつかの種類のチューリップ(ピンクダイヤモンドなど)は、抗炎症作用やコラーゲン産生増強作用が明らかにされ、化粧品の原料として応用されている。
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