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高瀬 昌弘(髙瀬昌弘)(たかせ まさひろ、1931年7月22日 - 2019年12月28日)は、日本のテレビ監督、著作家。福岡県出身。
1954年、早稲田大学第一文学部演劇科卒業。同級生に脚本家の上條逸雄、俳優の宇津井健などがいた。同年、東宝撮影所演出部に入社。稲垣浩監督の『宮本武蔵』(1954年)で初めて助監督に付き、以後稲垣浩監督のもとで1965年までの間に20本の助監督を務め、師と仰ぐ。その間に黒澤明監督『隠し砦の三悪人』(1958年)の助監督につき、丸山誠治監督『サラリーマン御意見帖 男の一大事』(1960年)でチーフ助監督に昇進。1965年末、東宝テレビ部へと移籍し、テレビドラマ『青春とはなんだ』第17話「遠い空の果てに」(1966年2月13日放送)で監督デビュー。シリーズ次作の『これが青春だ』でメイン監督になる。以来『でっかい青春』『進め青春』『飛び出せ青春』『われら青春』などの青春学園シリーズを中心的に演出する。その後『太陽にほえろ!』では松田優作の演じるジーパン刑事が初出演した「ジーパン刑事登場」を手がけ、これ以降同番組の中心的な監督として活躍。また『火曜サスペンス』『華麗なる刑事』などの現代劇を手がける一方、時代劇では、歴代の『鬼平犯科帳』の初回シリーズである八代目松本幸四郎(初代松本白鸚)版の第一話放映となった「血頭の丹兵衛」(1969年10月7日放送)を皮切りに、全シリーズの『鬼平犯科帳』を手がけた。また『旗本退屈男』『剣客商売』『おらんだ左近事件帳』『江戸の旋風』シリーズ、『時代劇スペシャル』といった時代劇など多くの作品を手がけた。またドキュメンタリー作品なども一部手がけ、総数500本近いテレビドラマ作品の監督・演出を担当した。[1]
1982年3月までは東宝の契約監督、それ以後はフリーで活動。『鬼平』、『剣客商売』といった松竹京都の作品も担当する様になり、『鬼平』の撮影にあたり、これまで『太陽にほえろ!』や『江戸シリーズ』など高瀬が監督を務めた作品で殺陣師を務めた宇仁貫三を京都に呼び寄せた[2]。
72歳の時に病に倒れ、2002年の『剣客商売』をもって監督生活を引退。晩年は東宝の撮影所や監督、TVドラマの背景、役者の演技などについて、自分の体験や自分の目で見た内容をドキュメンタリータッチに表した歴史資料的価値を織り込んだ書籍の執筆活動をしていた。
2007年1月、脚本・演出を担当した初の舞台『掌一杯の温もり』を東京・内幸町ホールにて上演。出演者は、テレビの青春学園シリーズに出演していた赤塚真人、梅田智子、水沢有美、青木英美と言った面々に加え、角田 美子、大谷玲那、関口昭子といったキャストで実現した。
また、世田谷文学館にて鬼平犯科帳に関する講演を数多く行った。そのつながりで世田谷区内の新聞折り込みやスーパーマーケットで広範で配布されていた小冊子に映画の歴史および監督列伝のコラムを長年執筆していた。
2019年10月に大腿骨骨折による入院をするが、退院を控えた12月末に内臓疾患を発症し、2019年12月28日に89歳の生涯を閉じた。
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