鄭 義信(チョン・ウィシン/てい よしのぶ、정의신、1957年7月11日 - )は、劇作家、脚本家、演出家。兵庫県姫路市出身[1]。韓国籍[2]。
戦後、不法居住者が多く集まっていた姫路城の敷地内で生まれる。鄭の一家は現地で石垣を壊し、庭にするなどしていたという[3][4]。姫路市立飾磨高等学校を経て同志社大学文学部中退後、横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)美術科卒業。松竹で美術助手を務めた後、1987年劇団「新宿梁山泊」を旗揚げ、座付き作家となる。1994年、『ザ・寺山』で岸田國士戯曲賞受賞。1995年新宿梁山泊退団。邦画の脚本を担当するようになる。俳優として活動することもある。
2007年、新宿梁山泊が『それからの夏』を上演しようとし、鄭は自身の著作権を主張してこれを差し止めたが、金守珍を代表とする新宿梁山泊は、この戯曲が劇団の共同制作であることを主張し、自主上演権を求めて提訴した。
舞台
- パルコ・プロデュース2022『てなもんや三文オペラ』(2022年)
- 劇団ヒトハダ 旗揚げ公演『僕は歌う、青空とコーラと君のために』(2022年)
- オペラシアターこんにゃく座『さよなら、ドン・キホーテ!』(2021年)
- シアターコクーン『泣くロミオと怒るジュリエット』(2020年)
- 新国立劇場『赤道の下のマクベス』(2018年)
- 東京芸術劇場『密やかな結晶』(2018年)
- 大阪新歌舞伎座『GS近松商店』(2015年)
- 椿組『贋作幕末太陽傳』(2015年)
- 東京グローブ座『カラフト伯父さん』(2015年)
- 文学座『大空の虹を見ると私の心は躍る』(2013年)
- 新橋演舞場『さらば八月の大地』(2013年)
- 新国立劇場『アジア温泉』(2013年)
- アトリエ・ダンカンプロデュース『しゃばけ』(2013年)
- 日韓合作舞台『ぼくに炎の戦車を』(2012年)
- 新国立劇場『パーマ屋スミレ』(2012年)
- 勝田演劇事務所×海のサーカス『バケレッタ』(2009年)
- アトリエ・ダンカンプロデュース『鴨川ホルモー』(2009年)
- オペラシアターこんにゃく座『ネズミの涙』(2009年)
- 演劇集団 円『孤独から一番遠い場所』(2008年)
- 小宮孝泰一人芝居『線路は続くよどこまでも』(2008年)
- 新国立劇場『焼肉ドラゴン』(2008年)
- 新国立劇場『たとえば野に咲く花のように-アンドロマケ-』(2007年)
- 椿組『なつのしま、はるのうた』(2007年)
- 椿組『GS近松商店』(2006年)
- トム・プロジェクト『カラフト伯父さん』(2005年、2007年)
- 椿組『20世紀少年少女唱歌集』(2003年)
- オペラシアターこんにゃく座『まげもん-MAGAIMON』(2002年)
- 海のサーカス『杏仁豆腐のココロ』(2000年)
- オペラシアターこんにゃく座『ロはロボットのロ』(1999年)
- 新宿梁山泊『青き美しきアジア』(1994年)
- 新宿梁山泊『それからの夏』(1993年)
- 流山児★事務所『ザ・寺山』(1993年)
- 新宿梁山泊『愛しのメディア』(1992年)
- 新宿梁山泊『映像都市(チネチッタ)』(1990年、1991年)
- 新宿梁山泊『人魚伝説』(1990年、1995年)
- 新宿梁山泊『千年の孤独』(1988年、1989年、1999年)
- 新宿梁山泊『カルメン夜想曲』(1987年)
- 『千年の孤独/愛しのメディア』(ペヨトル工房 1989年)
- 『明日、ジェルソミーナと/カルメン夜想曲』(ペヨトル工房 1994年)
- 『ザ・寺山』(白水社 1994年)
- 『アンドレアスの帽子 舞台のある風景』(丸善ブックス 1995年)
- 『冬のサボテン』(新水社 1997年)
- 『たとえば野に咲く花のように/焼肉ドラゴン/パーマ屋スミレ 鄭義信戯曲集』リトルモア 2013
- 『焼肉ドラゴン』(2018年、角川文庫)