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遠国に属する令制国の一つ ウィキペディアから
豊前国(ぶぜんのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属し、現在の福岡県東部及び大分県の北西部に属する。和名で平安時代までは「とよくにのみちのくち」と読んだ。
明治維新直前の領域は、現在の下記の区域に相当する。
1876年(明治9年)、豊前一国を管轄した小倉県は、全体が福岡県に編入された後、山国川以東の2郡が大分県に編入された。しかし豊前国として共通の歴史を持つため、現在でも文化面、生活面での結び付きが強い。豊前国豊津(みやこ町)出身の堺利彦はその自伝の中で、「筑前、筑後、豊前の三国が福岡県を成しているのだが、私は福岡県人と呼ばれることがあまり嬉しくなかった。何だか筑前の附属になったような気持のするのが少し厭だった。福岡県というものは、私に取って、故郷でない。故郷はただ豊前ばかりである。私はどこまでも、豊前人でありたい。ただし豊前の中でも、北部の六郡の元小倉領だけに親しみがある。」と記している。
古墳時代の豊前国内は、北西部を中心とした地域に豊国造、宇佐郡を中心とした地域に宇佐国造が設置された。
7世紀末に、豊国(とよのくに)を分割して豊後国とともに設けられたとされる。
1871年(明治4年)7月14日の廃藩置県で豊前国内にあった豊津藩、千束藩、中津藩がそれぞれ県となり、同年11月14日の第1次府県統合によって3県および豊前国内の日田県管地(企救郡等)が統一されて小倉県となった。
1876年(明治9年)4月に小倉県は福岡県に編入されたが、同年8月、豊前国(延喜式8郡)のうち最南部の2郡(宇佐郡・下毛郡)は大分県に編入された。
国府は、仲津郡(現 福岡県。1896年(明治29年)2月26日 京都郡に編入)にあった。仲津郡は、景行天皇による豊国地名伝承発祥の地(『風土記』)である。なお、現在の福岡県京都郡みやこ町(旧豊津町)の国作~総社地区で遺跡が発見され、豊前国府跡公園として整備されている。
これらは宇佐神宮(大分県宇佐市)に関わる神社である。なお小社3社はいずれも現在の香春神社であり、6社とも渡来系の神であることが特色である。
二宮以下は存在しない。
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主として彦山権現、宇佐八幡等の寺社勢力、および城井氏、麻生氏等の宇都宮氏一族を中心とした国人衆が割拠していた。ここに大内氏や大友氏等の隣接する戦国大名が守護代等として杉氏(大内系)や田原氏(大友系)を置いて、門司氏、貫氏、香月氏、豊前長野氏、豊前佐々木氏、時枝氏などの各勢力はその下で離合集散を繰り返していた。
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