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東京都千代田区の町名 ウィキペディアから
神田須田町(かんだすだちょう)は、東京都千代田区の地名。現行行政地名は神田須田町一丁目および神田須田町二丁目。郵便番号は101-0041[2]。住居表示に関する法律に基づく住居表示は未実施である。
千代田区北東部に位置し、神田地域に属する。町域北部は、神田川に接しこれを境に、外神田・神田佐久間町にそれぞれ接する。東部は神田岩本町に接する。南部は神田鍛冶町・鍛冶町に接する。西部は神田淡路町・神田小川町・神田多町にそれぞれ接する。神田駅と秋葉原駅の中間地点に当たる商業地の一角で、オフィスビル、商店やマンションが多く見られる。
江戸時代より前に須田村と呼ばれていた神田川周辺の村落に由来。明暦三年(1657年)の「新添江戸之図(しんてんえどのず)」には「すた町」と記されている。江戸時代には道が八方から集まることから「八つ小路」と呼ばれ、神田川や日本橋川などの運河にはさまれた交通の要所であった。明治時代以降は、現在の地下鉄大手町駅に匹敵する都電の一大ターミナルとして発展した。日本橋から上野や本郷へ、神田から上野へ向かう交通の要衝に当たり、1873年10月に元筋違見付脇の神田川に架けられた石造の万世橋(眼鏡橋)に近い十字路として、市内電車は品川、上野線、三田線、新宿線、深川線、青山線、江戸川線の各線が交差する乗換場所となっていた。1903年3月に現在地に架けられていた新しい万世橋の完成に伴って、旧万世橋(眼鏡橋)が取り壊されたあと、赤煉瓦造りの万世橋駅が須田町交差点に面して建てられ、1912年4月に中央線(甲武電車)の起点として開通している。第二次世界大戦直後には在日米軍から流れた真空管をはじめとする電気部品を販売する露天商が軒を連ねており、現在の秋葉原のルーツである。現存のラジオガァデンもこの時代の名残である。 なお神田須田町二丁目は一丁目同様に神田明神の氏子であるが、それに加え柳森神社と下谷神社の氏子でもある。 神田明神と柳森神社の本祭りは西暦奇数年の5月の同週に行われ、神田須田町二丁目町会の神輿は神田明神と柳森神社の両社まで町会神輿を渡御する。一方で西暦偶数年の同週には下谷神社の本祭りがある。当町会は台東区にある下谷神社の氏子町会の中で唯一の千代田区の町会であり、台東区の他の町会とも隣接しない飛び地である。かつては下谷神社に当町会の町会神輿は渡御をしなかったが、平成26年の大祭より本祭りの年に限り東上野周辺より下谷神社に渡御するようになった。ただし飛び地のため本社神輿は神田須田町二丁目を渡御することはない。
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[4]。なお、千代田区の中学校では学校選択制度を導入しており、区内全域から選択することが可能[5]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
神田須田町一丁目 | 1〜6番地 8〜15番地 17番地、19番地 21番地、23番地 25番地 | 千代田区立昌平小学校 | 千代田区立麹町中学校 千代田区立神田一橋中学校 |
その他 | 千代田区立千代田小学校 | ||
神田須田町二丁目 | 全域 |
町域内の他、下記の通り隣接する町に複数路線の駅が存在する。
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