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日本のボートレーサー ウィキペディアから
白井英治(しらい えいじ、1976年10月15日 - )は、山口県美祢市出身の競艇選手。 登録第3897号。身長173cm。血液型O型。80期。山口支部所属。師匠は今村豊。巧みなハンドル捌きによる鋭角的なターンを得意とし、「関門のホワイトシャーク」の異名を持つ[1]。
小学校の頃から父親に競艇場に連れて行かれ、その頃から競艇の選手になろうと決意。小・中学時代は野球、高校は空手に打ち込んだ。高校を卒業後に本格的に競艇選手を目指したが、1回目の受験は学科で不合格、2回目は減量したところ血圧で不合格、3・4回目は受験資格の身長の上限オーバーで不合格。この間新聞配達のアルバイトをしながら理工系の専門学校に通い、受験ラストチャンスとなる5回目でようやく合格を果たし、本栖研修所(現在は柳川市のやまと競艇学校に移転している)に入所。
記念レースやSGにも常連として参戦し、幾度も優勝戦に進出するも、惜敗が続いていたことから「無冠の帝王」というニックネームが付いた。特に2010年の浜名湖競艇場で開催されたSG「第37回笹川賞」では準優10Rで新田雄史を2コースから差し切り1着で制したが待機行動違反を取られて賞典レース除外となり、優出に失敗。この待機行動違反により、その後に行われた準優勝戦の結果によって優勝戦12Rの1号艇をふいにした。皮肉にも翌日の優勝戦を制したのは、同じ準優10Rを走って3着から繰り上がりで優出に成功した岡崎恭裕であった。
2012年には、年間最高勝率(8.32)をマークし、名実共にトップ選手となった。
2014年8月、若松競艇場で開催されたSG「第60回モーターボート記念」では、予選道中に落水するなどのハンデもあったが、好モーターを活かし優出。31日の優勝戦では2コースからコンマ00と渾身のタッチスタートを決めると、1コースの谷村一哉をまくり、14回目の優出にして遂に悲願のSG初制覇を果たした。スリットからの速攻で勝負をつけるスタイルで勝ちとった栄冠であった。年末に平和島競艇場で開催されたSG「第29回賞金王決定戦」に出場し優勝戦の1号艇を得るも、結果は3着に終わった(優勝は茅原悠紀)。
2018年3月、浜名湖競艇場で開催されたSG「第53回総理大臣杯」において、1号艇で優出するも2号艇の井口佳典にまくられて5着に終わる。SG優勝戦1号艇での連敗が続いたが、6月に徳山競艇場で64年ぶりのSG開催となった第28回グランドチャンピオン決定戦において、体重を51㎏まで絞ると予選2位で準優勝戦進出を成し遂げ、準優勝戦唯一のイン逃げ(予選1位は同じく山口支部の寺田祥であったが準優勝戦2着)を決めて優勝戦1号艇に乗艇、優勝戦は.07のトップスタートを決めてイン逃げでSGV2となった。山口支部としては初の地元開催SG覇者となった。
2022年はSG「第68回モーターボート記念」の優勝戦で新田雄史と共にフライングを喫し[2]、1年間SGの選出除外・半年間のG1とG2出場停止のペナルティーを受けながらも獲得賞金7位でSG「第37回賞金王決定戦」に出場。賞金王はファーストラウンドからの参戦だったものの安定した成績で勝ち上がり、2014年同様に1号艇で優勝戦に出場、逃げ切りで優勝を飾って2014年の雪辱を果たした[3]。
競艇王チャレンジカップ以外のSGでは優出の経験がある。
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