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埼玉県さいたま市見沼区の町丁および大字 ウィキペディアから
片柳(かたやなぎ)は、埼玉県さいたま市見沼区の町名および大字。現行行政地名は片柳一丁目・片柳二丁目および大字片柳。住居表示未実施地区[5]。本項では、関連地名である片柳東(かたやなぎひがし)についても扱う。郵便番号は片柳が337-0024[2]、片柳東が337-0023[3]。
さいたま市見沼区の東部に位置する。舌状の大宮台地に見沼田園からの低地が開析谷を形成して複雑に入り組む[6]。地区の南部に片柳一丁目および片柳二丁目が、東部に片柳東が、北部に大字片柳が存在する。周辺大字とは境界が複雑に入り組み、大字山に大字片柳のごく小さな飛地が複数ある。全域が市街化調整区域[7]に指定されている農業地域で農地が多い。片柳一丁目・二丁目の南部と丁番を持たない単独町名の片柳東は見沼田んぼの一部で、現在も農地として利用されている。東端を加田屋川が流れる。
至近に駅はないが、大宮駅や浦和駅までの路線バスおよびさいたま市見沼区コミュニティバスが通っている。
縄文時代前期の根木王貝塚と称する縄文遺跡がある。また、江戸期の古い民家もところどころに見られる[6][8]。かつては赤山柿と称される柿渋の産地でもあり、柿の古木も見られる。
かつては江戸期より存在した武蔵国足立郡見沼領に属した片柳村、古くは太田荘に属した片柳村であった[6]。また、さらに古くは南北朝期より見出せる片柳郷であった[6]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では263石余(田55石余、畑208石余)、『元禄郷帳』では140石余、1796年(寛政8年)では片柳新田分およそ500石が高入され656石余であった[6]。助郷は日光御成街道大門宿に出役していたが、寛保・宝暦年間は中山道大宮宿にも出役していた[6]。化政期の戸数は126軒で、村の規模は東西13町、南北10町であった[6]。
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[17]。
丁目・大字 | 区域 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
片柳一丁目 | 全域 | さいたま市立片柳小学校 | さいたま市立片柳中学校 |
片柳二丁目 | 全域 | ||
大字片柳 | 全域 | ||
片柳東 | 全域 |
地内に鉄道は敷設されていない。
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