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湘南学園中学校・高等学校(しょうなんがくえんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、神奈川県藤沢市にある私立の中学校・高等学校(中高一貫校)。設置者は学校法人湘南学園。
湘南学園中学校・高等学校 | |
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北緯35度19分28.36秒 東経139度28分34.43秒 | |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人湘南学園 |
理念 | 個性豊かにして身体健全 気品高く 社会の進歩に貢献できる 明朗有為な実力のある人間の育成 |
設立年月日 | 1933年(昭和8年) |
創立者 | 小原國芳 |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | 完全一貫制 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 2学期制 |
学校コード |
D114320500039 高等学校) C114320500013 (中学校) | (
高校コード | 14551D |
所在地 | 〒251-8505 |
神奈川県藤沢市鵠沼松が岡4-1-32 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
1933年4月2日、藤沢市鵠沼の地に個性尊重の自由教育を望む保護者と教師の協力により、玉川学園の分園として設立。初代園長は玉川学園創立者の小原國芳。「個性豊かにして身体健全 気品高く 社会の進歩に貢献できる明朗有為な実力のある人間の育成」が建学の精神。当時は別荘地であった鵠沼に住む財界人の子弟が通う学校であった。近年は国際交流や次代を見据えた教育活動にも積極的に取り組んでおり、ユネスコスクール、SGHアソシエイト校指定を受けている。
1931年(昭和6年)に地元在住の内務省衛生局技師氏原佐蔵が、文部省の認可を得て私立爽明学園(小学校・幼稚園)を開校したが、氏原死去により立ち消えとなった[1]。1933年に鵠沼松が岡在住の藤江永正の息子が学齢に達したのを機に学校設立を思い立ち、母親の藤江富佐(京都市陶磁器試験場初代場長藤江永孝[2]未亡人)の知り合いだった玉川学園創立者の小原國芳に相談、学生時代に富佐から援助を受けていた小原は協力を承諾し、玉川学園の伊藤孝一を派遣し開校準備にあたらせた[1]。伊藤は秋田師範学校卒業後付属の訓導を経て玉川学園出版部に移り、早稲田大学国文科を卒業後、小原の秘書としてアメリカ分校開校を経て、湘南学園初代主事に就任した[1]。
同年4月2日、東京螺子製作所(現・ミネベア藤沢工場ファスナー製造部[3])社長の松本源三郎所有の建物(敷地1500 坪、家屋30坪)を借用して、湘南学園幼稚園、湘南学園小学校の開校式が行なわれた[1]。生徒は、藤江家の兄妹を含む5人であった[1]。7月17日に第一校舎が落成、生徒は小学校が8名、幼稚園が20名となった[1]。11月15日に私立爽明学園の設立者登記を氏原たまから湘南学園後援者のひとり安部政次郎(安部幸兵衛の娘婿)に変更し、翌1934年2月2日には校名の変更も許可された[1]。
1935年3月に第1回の小学校卒業生を2名送り出した[4]。1939年に学園の経営が困窮したため、松本源三郎が学園経営を受け継ぎ、小原の後任として1942年に八木寿治を2代目学園長に迎えた。
(年表節の主要な出典は公式サイト[5])
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