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日本の作曲家 (1944-2021) ウィキペディアから
尾高 惇忠(おたか[1] あつただ、1944年3月10日 - 2021年2月16日)は、日本の作曲家。東京芸術大学名誉教授、桐朋学園大学特任教授。従四位、瑞宝小綬章。
東京都生まれ。東京芸術大学音楽学部作曲科にて、作曲を矢代秋雄、池内友次郎、三善晃、ピアノを安川加壽子に師事する。
1966年3月同校を卒業後、9月にフランス政府給費留学生としてパリ国立高等音楽院へ入学し、モーリス・デュリュフレ、マルセル・ビッチュ、アンリ・デュティユーに師事し、1970年に同校を卒業する。
帰国後も室内楽や歌曲伴奏等においてピアニストとして活躍する。
2011年3月31日に退任するまで東京芸術大学音楽学部作曲科教授を務めた。
フランス音楽のアカデミズムの伝統を学び、矢代秋雄の業績を受け継ぎ、東京芸術大学音楽学部作曲科における教育の要となった。
2021年2月16日午前3時58分、大腸がんのため、東京都内の病院で死去[2]。76歳没。叙従四位、瑞宝小綬章追贈[3]。
父は作曲家・指揮者の尾高尚忠、母はピアニストの尾高節子。弟に指揮者の尾高忠明がいる。妻は声楽家の尾高綾子。法哲学者の尾高朝雄、社会学者の尾高邦雄(ともに伯父)など父方の親族からは学者を多く輩出しており、また同名の曾祖父尾高惇忠は明治期の実業家として知られる。その従弟で妹婿の実業家渋沢栄一もまた曾祖父であり、渋沢家や従兄の会計学者諸井勝之助を通じて作曲家諸井三郎・誠親子とも縁戚関係にある。母方の親族では、チェリストの倉田澄子が従姉、女優・演出家の長岡輝子が伯母に当たる。
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