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日本の脚本家 ウィキペディアから
大学卒業後、東宝文芸部研究生、シナリオ作家協会職員を経て、1967年に日活映画『拳銃は俺のパスポート』でデビュー[3][1]。以降、『野獣を消せ』(1969年)『斬り込み』(1970年)『女番長野良猫ロック』(1970年)などのハードボイルド・アクション作品を矢継ぎ早に手掛け、日活ニューアクション路線の屋台骨を脚本面から支えた。一方で日活作品のみならず、初のオリジナル脚本作品である『狙撃』(1968年)をはじめ、『弾痕』(1969年)『ヘアピン・サーカス』(1972年)『反逆の報酬』(1973年)などの東宝作品においてもその手腕を発揮し、“東宝ニューアクション”という新路線の開拓にも功績を残している[3]。
1970年代半ば以降は活躍の場の中心をテレビドラマの世界に移し、特に『大都会』以降の石原プロモーション製作による刑事アクション作品ではシリーズ構成やライター陣の取りまとめなどを任され、『西部警察』の企画グループとして設立されたブローバック・プロの社長も務めた。映画作品においても『セックス・ライダー 傷だらけの欲情』(1973年)、『襲う!!』(1978年)、『肉の標的 奪う!』(1979年)などの日活ロマンポルノ作品、『最も危険な遊戯』(1978年)『蘇える金狼』(1979年)といった一連の松田優作主演作品の他、『惑星大戦争』(1977年)『ゴジラ』(1984年)などのSF特撮作品、『ハイティーン・ブギ』(1982年)などのアイドル路線も手掛けた。
晩年は時代劇やVシネマなどをコンスタントに手掛けていたが、2001年11月14日、心不全のため死去[3]。61歳没[4]。
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