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日本の工学者、小説家、随筆家 (1957-) ウィキペディアから
森 博嗣(もり ひろし、1957年〈昭和32年〉12月7日 - )は、日本の工学者・小説家・随筆家・同人作家。工学博士(名古屋大学・論文博士・1990年)。元名古屋大学大学院環境学研究科都市環境学専攻助教授[1]。ローマ字表記は「MORI Hiroshi」。妻はイラストレーターのささきすばる。近年は、清涼院流水が立ち上げたプロジェクト「The BBB」(Breakthrough Bandwagon Books)に参加し、『スカイ・クロラ』(2001年)『すべてがFになる』(1996年)など英語版の著作を発表している。
『すべてがFになる』でデビュー。2005年まで工学部教授として大学に勤務しながら、理系ミステリーを数多く発表する。作品に『スカイ・クロラ』、『カクレカラクリ』(2006年)、『Ⅹの悲劇』(2016年)など。科学エッセイも執筆している。
1957年12月7日、愛知県に生まれる。実家は、商店など商業施設の建築設計を主に請け負う工務店だった。
東海中学校・高等学校卒業後、名古屋大学工学部建築学科に進学した。同大学大学院修士課程修了後、三重大学工学部に助手として採用される。その後、31歳のとき、母校に助教授として採用された[注 1]。
1990年、工学博士(名古屋大学)の学位を取得(いわゆる論文博士[注 2])。学位論文は「フレッシュコンクリートの流動解析法に関する研究」である[2]。
1995年の夏休みに処女作[注 3]『冷たい密室と博士たち』を約1週間で執筆[3]。原稿募集が始まったメフィストに投稿し、編集部から次作の要望を受ける[4]。第4作『すべてがFになる』の完成後、メフィスト編集部がメフィスト賞の誕生を発表[4]。『すべてがFになる』が第1回メフィスト賞受賞作となる。1996年4月のデビュー作『すべてがFになる』刊行時には第5作目までが刊行予定とされていた[5][注 4]。それ以降も大学で勤務しながらハイペースで作品を発表し、一躍人気作家となる。当初の著者プロフィール[注 5]では「国立N大学助教授」や「某国立大学の工学部助教授」としていたが、2005年に名古屋大学を退官した後は「作家」や「工学博士」などに変更している。
教員時代の海外へ短期留学の時期および三重大学に勤務していた時期以外は、故郷の愛知県に居住していた。2013年時点で「涼しい国」に在住していた模様。ただし「外国」とは書いていないので、信濃国や越前国の可能性もある[6]。また町内会に入会していたとのことである[7]。2017年の著作では「現在、海外のどこか涼しい国にいるらしい」と書かれている[8]。
妻は同人活動で知り合ったイラストレーターのささきすばるで、小説家としてデビュー後は小説の挿絵や絵本で共著がある。
かつて飼っていたシェットランド・シープドッグの「森都馬(もり とうま)[注 6]」が、2005年3月24日に死んだ後は、同じくシェットランド・シープドッグの「パスカル」および「ヘクト」を飼っている(両方とも雄)。
学生時代から多趣味であり、鉄道模型・飛行機模型・音響装置・自動車などに関する記述がホームページ上で多く見られる。特に小学生の頃にHOゲージから始めた鉄道模型は、デビュー後に購入した敷地に5インチゲージの庭園鉄道「欠伸軽便鉄道弁天ヶ丘線」(2010年5月で廃線)や「梵天坂線」を「開業」し、車両制作のために大型の工作機械を導入するなど、本格的なレベルで活動している。2010年に廃線となった大名鉄道ガリバー線の車両の動態保存も担っている[9]。鉄道には招かれた作家や編集者以外にも、ファンの集いなどで乗車会を行っている。愛犬の森都馬はこの庭園鉄道の「駅長」を長く務めた。都馬の死後は、パスカルが「駅長」、ヘクトが「助役」を務めている。
自動車好きを公言しており、愛車は予約して購入したホンダ・ビート[注 7]と、印税を元に購入したポルシェ・911[注 8]。他にミニや、光岡のキットカー「K-2」[注 9]なども所有している。
同時期にデビューした京極夏彦、森の影響を公言し「神」とまで評価する西尾維新、哲学者の土屋賢二らとは複数回対談を行っている。特に京極や土屋とは一緒に旅行へ行くほどの仲だという[10]。また森に続いてメフィスト賞でデビューした清涼院流水の作品にゲストとして参加したり、清涼院が立ち上げた作家の英語圏進出プロジェクト・The BBBに参加するなどしている(2016年3月に英語版短編集『Seven Stories』を刊行。『スカイ・クロラ』の英訳も予告されている)。他にもよしもとばななとは家族ぐるみの交流がある。その一方で小説家の知り合いは少ないとも発言しており、文庫版の解説に起用されるのも、落語家や学術関係者など出版業界とは関係の薄い人物や、同人作家時代に知り合った漫画家であることが多い。
専攻は主にコンクリートなどの建築材料の数値解析に関する分野(粘塑性流体の数値解析手法)で、当時登場したばかりのC言語を利用しており、構造計算に関する専門書も執筆した。また計算だけでなくコンクリート標本の曝露試験など屋外実験も行っている。
1988年に、谷川恭雄[注 10]、黒川善幸[注 11]らとともに「振動力を受けるフレッシュコンクリートの流動解析法」で、第16回セメント協会論文賞を受賞。谷川と黒川は、名前を伏せた上で日記に登場したほか、Mシリーズに登場する人物のモデルにもなっている。
毛利衛がエンデバー号内部で紙飛行機を飛ばす実験を行う前に、パソコン通信で懸賞問題として出された「無重力状態で紙飛行機の挙動」を理論的に予測し的中させた[11]。JAXAによる説明[12]とは答えが異なっているが、これは前提となる環境条件が違うため[注 12]。賞品として小さなトロフィーが贈られたという。
大学の卒業制作(図面)は図書館。建築士の資格は有していないが、試験問題の作成を担当したことがある[13]。
2000年代になって長らく技術が途絶えていたジャイロモノレールを復活させた。動画サイトへのジャイロモノレールの動画の投稿後、これらの動画に触発され、ジャイロモノレールの投稿動画の数が増えた[注 13]。
近年はジェットエンジンで推進する機関車などを作っている[14]。
作者が工学部の助教授であったことに加え、デビュー当時は一般的でなかったコンピュータや電子メールを駆使する人物、科学や工学分野に関する専門的な会話が説明なしに交わされたり、作中で難解な数学問題が提示されるという展開から「理系ミステリ」と評された。
理系と称される要因の1つとして、「外来語のカタカナ表記において音引きを省略する」という原則を徹底していることが挙げられる。これは理系分野においては一般的に外国語の単語をカタカナに直す際に長音を省くことが多いためであるが、森の場合、日常語においても音引きを略すのが特徴的である。かつて日本工業規格(JIS Z 8301)において「その言葉が3音以上の場合には、語尾に長音符号をつけない」という規定があった[注 14]。「コンピュータ」など一部の語のみ長音記号を省略する小説家はいたが、これを徹底して小説に持ち込んだ。また、独自のルールとして子音+yで終わる言葉には「ィ」を用いている(例:mystery → 「ミステリィ」)[15]。
論文や科研費の申請書などの事務書類で覚えたという論理的な文章でありながら、作中に詩や歌詞が挿入されるという展開、「意味なしジョーク」と称されるシュールなジョーク、最後まで答えが明かされない難解なパズルや数学問題など、既存の作家には見られなかった特異な作風が話題となった。
当初は広義の推理小説を中心として執筆していたが、次第にSF、幻想小説、架空戦記、剣豪小説などの他ジャンル、ブログの書籍化、エッセイ、絵本、詩集といった他の分野へも進出を果たした。
本人によれば、推理小説ではストーリーに意外性を持たせるために先のことを考えずに執筆し、だいたい5割ぐらいまで作品ができてきたところで初めて犯人を誰にするか考えるという。本人いわく「何が真相かというのを自分も知らずに書いていれば『まさかこれはないだろう』というふうにできる」とのこと。そのためにつじつまの合わないところが出てきた場合はそのシーンに戻って修正を加えるという。過去にはきちんとストーリーのプロットを固めてから執筆したこともあるが(『冷たい密室と博士たち』)「それだと全然意外じゃない」とのことで現在のような作風になった。後述するようにタイトルだけを先に決めて、それに合わせてトリックを考えることも多い[16]。
デビュー後から非常にハイペースで刊行を続けている。特に文庫化され始めたデビュー3年目以降は年に10作品以上が刊行される状態であり、2004年には毎月1冊以上刊行して合計27冊、2006年にも合計26冊を記録した(文庫落ちを含む)。かなりのハイペースであったが、出版業界で常態化していた締め切りに多少遅れるのが普通、という姿勢を知らなかったため[注 15]、遅れないように一部の依頼を断っていた。このため事前に確約した締め切りに遅れることはなかった[注 16]。
デビューから10年ほど過ぎた頃から、趣味に使う時間を増やすため刊行ペースを落としたが、文庫を含むと年に10冊を超えることが多い。
ほとんどの作品の扉または巻頭部分に、引用文が載せられている。引用元は『オブジェクト指向システム分析設計入門』(青木淳著 ソフト・リサーチ・センター刊)のような専門書から、『不思議の国のアリス』のような古典文学まで多岐にわたる。この引用文の役割は、
などである[17]。
また、日本語タイトルに先んじて考えるという英語タイトルは、その著作を本質的に表しているものになっている。一方で『スカイ・クロラ』や『奥様はネットワーカ』のように、英語のタイトルも同じになっている作品もある。実際に推理小説ではタイトルのみを先に決めて、それに合わせて後から内容やトリックを考えることが多いという(本人が明らかにしているものとしては『すべてがFになる』『封印再度』など)[16]。
デビュー前から一貫してMacユーザであり、ワープロソフトはクラリスワークス、インプットメソッドはATOKが気に入らなかった[18]ため、ことえりを使っていたが、後にATOKへ移行した。
京極夏彦とともに手書きやワープロ専用機ではなく、デビュー当初からパソコンで執筆を完結させる作家の先駆けとされている。
高校時代に同級生であった堀田清成[注 17]らと漫画研究同好会設立に参画、機関紙「べた」を創刊するなど、積極的に活動を行っていた。絵のタッチは、崇拝する萩尾望都に限りなく近いと自称している。
大学進学後は漫画研究会を設立[19]しており、漫画家の荻野真とをかべまさゆきは研究会の後輩だった。学外でも堀田らと同人サークル「グループドガ」(GROUP DEGAS)を主宰し、創作オンリー[注 18]という当時でも硬派な同人誌即売会「コミック・カーニバル」を開催し、迷宮とも連携していた。グループドガ解体後は、後に妻となるささきすばるが会長を務める「出版JetPlopost[注 19]」で活動するなど、当時は東海地方の同人業界では中心的な存在であった[注 20]。当時のペンネームは「森むく」。当時のJetPlopostには、山田章博やコジマケンなどが在籍しており、小説家としてデビュー後に2人のイラストが森の本に採用されている[20]。1980年代中盤から同人の商業化が東海地方にも波及するのに前後し、同人からは引退。同人作家時代のエピソードは、米澤嘉博が「数奇にして模型」文庫版の解説で言及している他、グループドガ時代の同人誌が明治大学の米沢嘉博記念図書館に収蔵されている[21]。
同人時代から熊のイラストを多用しており、小説家としてデビュー後もWebサイトや栞に描いている。
小説家としてデビュー後、作品が漫画化されたりイラストを描くことはあったが、2014年現在まで新作のオリジナル漫画は発表していない。
デビュー当初から執筆活動を「対価を得るためのビジネス」というスタンスをとっており、「いずれ執筆をやめる」とまで宣言していた。2008年12月には、ブログの更新も終了した[注 21]。今後一切の取材、講演会などを引き受けず、ファン・メールへの返信もやめ表舞台から姿を消すこと、予定している15作品(長編小説のみで)の出版を残すのみであることを発表した[22]。ただし、この発表の中で、「少しずつ間隔をあけて、どんどんさきへ伸ばすかもしれません」とも述べている。この発表の前にも、森は「今確実なことは、いつまでも続けるつもりではないこと、今後は少しずつ表に出る機会を減らし、人知れず地味に静かに消えたいと願っていること、である」と述べている[23]。
以降は当初の目的である「ビジネスとして」ではなく「趣味としての」小説に切り替える[24]一方で、趣味である「欠伸軽便鉄道」に関しては積極的にレポートの更新や動画投稿、専門誌への寄稿を継続している。またノンフィクションも定期的に出版する予定があると予告し[25]、実際に2010年以降はノンフィクションの出版を増やしている。
2008年12月31日に「最後のご挨拶」とされ、『百年シリーズ』最終作以後小説を書くことはないとされていたが、そのちょうど5年後の2013年12月31日、「久し振りのご挨拶」として近況報告が行われ、心境に若干の変化があったためとされる[26]。
なお、「引退する」と述べたことはない旨の発言をしていたが、現在では「作家を引退した」と明言し[7]、新作小説の執筆、取材、講演会などは断っているが、例外的にエッセイは「締切が3か月以上先で、内容、発表形態、料金についてメールで明示する」ことを条件に引き受けている[27]。また、以前から親交のある編集者からの依頼を受けて、前述した長編15作品の予定になかった単発作品も執筆している。
一部の著作を除き世界観が時系列で繋がっており、『S&Mシリーズ、Vシリーズ、四季シリーズ、百年シリーズ』が一連のサーガとなっている。また、『Gシリーズ、Xシリーズ、Wシリーズ』や短編集等とも世界観を共有している。『S&Mシリーズ、Vシリーズ、百年シリーズ』は予備知識がなくても読むことができ、『四季シリーズ、Gシリーズ、Xシリーズ、Wシリーズ』等は他シリーズで設定をあらかじめ把握した上で読んだ方がより良いとされる。(もっとも、作者である森自身はどのような順番で読んでも良いと繰り返し述べている)
「」内が森博嗣の作品
発行から20年以上経過しているため入手困難。いくつかは『森博嗣のミステリィ工作室』に縮小した形で収録されている。また一部の作品のタイトルは小説に流用されている。
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