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東京都港区にある高等学校 ウィキペディアから
東京都立三田高等学校(とうきょうとりつ みたこうとうがっこう)は、東京都港区三田一丁目に所在する東京都立高等学校。
東京都立三田高等学校 | |
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北緯35度39分8.7秒 東経139度44分36.4秒 | |
過去の名称 |
東京府立第六高等女學校 東京都立第六高等女學校 東京都立第六女子新制高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 東京 |
設立年月日 | 1923年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D113299901031 |
高校コード | 13255B |
所在地 | 〒108-0073 |
外部リンク | 東京都立三田高等学校 |
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1923年(大正12年)に東京府立第六高等女学校として開校した。校章の六枚の花弁をもつ「なでしこ」は、第六高女に由来している。開校の翌年、筑後久留米藩・有馬中務大輔の大名屋敷の跡地である現在の敷地に新校舎を建設し移転した。そのため現在も当時の築山の名残として「オセンチ山」と呼ばれる丘が校庭に残っている。
大正自由教育運動の気運のさなか、開校当初から近代的な英才教育を行う女学校として知られ、開校の翌年に洋服を校服とし、初年度から修学旅行を行っている。また、1926年(大正15年)にはスキー教室を実施。1931年(昭和6年)には女学校では珍しく室内プールを設置した[1]。この室内プールは女生徒の水着姿を人前に晒さないことが目的であり、前年に設置された屋外プールに建物を付け加えただけの加温設備を持たないものであったが、改築を経て現在の室内温水プールに至っている。また、体育教育に力を注ぎ、開校当初から運動会(現在の体育祭)を芝公園で実施し、1929年(昭和4年)からは明治神宮競技場(後の国立霞ヶ丘競技場)で行った。一時は狭い校地の中にある校庭で体育祭が行われていたが、現在は大井ふ頭中央海浜公園陸上競技場で行われている。
1929年(昭和4年)には校内に夜間部(後の定時制)として私立の第六高女夜学校が設立され、1936年(昭和11年)東京府立第六高女夜学校、1941年(昭和16年)へ東京府立洗心女学校と改称した。
戦後の学制改革を経て、1950年(昭和25年)1月に東京都立三田高等学校と改称し、同年4月に男女共学・夜間定時制併置の新制高等学校に改組された。
1960年代の学生運動が盛んであった当時、多くの都立進学校が混乱に陥いる中、生徒教師の協力のもと、ほぼ通常通りの授業が行われた数少ない「無紛争校」であった。
もともと旧第一学区の女子ではトップクラスの受験難易度であったため[2]、1967年に学校群制度(旧11群)が制定された時、進学トップ高の日比谷高校や九段高校(この2校は女子の募集定員が少ない)と同じ群に編成された。1982年に学校群制度が廃止されて始まったグループ合同選抜制度制定以降は、日比谷に次ぐ位置にあった。グループ選抜が1994年に廃止され単独選抜に移行した際、私立の進学校に押される一方、のちに日比谷が独自入試を実施したり九段がコース制を採用したりする中、入試難易度・進学実績ともに低迷が続いていた。2000年代以降の都立高校の諸改革以降、重点支援校の指定を受け2007年(平成19年)より東京都教育委員会より「進学指導推進校」の指定を受け、さらに文部科学省による「学力向上拠点形成事業指定校」に指定された。土曜授業の復活・制服の導入・難関大合格に対応するカリキュラム編成や進学指導体制の充実など学校改革が進められ、このほか、受験対策講習・放課後の大手予備校教材を用いたサテライト講習などが実施されている。そのため、徐々に人気が回復傾向にあり、入試は近年[いつ?]男女共に高倍率である。
特徴の一つとして、都心部に存在する都立高校への社会的要求を受け入れる形で、大規模改築を機に1977年(昭和52年)、海外帰国生徒学級を竹早高校とともに都立高校として初めて設置した(現在は国際高校を含め3校がある)。またグラウンドが狭く、東京都済生会中央病院に隣接するなど近隣への配慮等で長らく野球部を持たなかった。しかし2006年度に有志によって野球同好会が設立され、翌2007年に正式な部に昇格した。
定時制課程は次第に入学生が減少し、城南高校と三田高校をはじめとする近隣各校(日比谷、芝商業、青山、第一商業)の夜間定時制課程を統合した六本木高校の設立により、2008年(平成20年)3月に閉課された。
同窓会(ワカバ会)は一般社団法人としての法人格を持ち、同窓会の事務取扱の他、軽井沢に山荘(現在は閉鎖)と大田区鵜の木に駐車場を所有している。「三田」の地名を冠する学校には近接して港区立三田中学校があるが、両校の間には中高一貫教育などの特別な関係はない。
いずれも「赤羽橋」下車5分
開設の翌年には洋服を校服とされた。1974年(昭和49年)からブレザー型の標準服を導入した。これは昭和40年代前半の制服廃止闘争など、他校での学生運動の反省をふまえ、都立高校として初めて生徒教師の長期にわたる話し合いで決定されたものである。その後、自由服になったが時代の変化に伴い、2007年度入学生よりデザインを改定し、校則で規定された制服として新たに設定された。冬服と夏服がある。ブレザー、ズボン、スカート、ネクタイは学校が指定するが、ワイシャツは正装時以外は、水色、薄黄色、薄ピンク色の無地のワイシャツの着用もできる。冬服は男女ともにネクタイを着用する。ただし、男子は青色地、女子は黄色地と色が異なる。
平成28年度より、これまでの「進学指導推進校」「言語能力向上拠点校」の他、新たに「英語教育推進校」「姉妹校交流推進校」の指定を受けた[4]。
これまでの高い志の進路指導をより充実させ、生徒の第一志望の進路実現を叶える。
グローバル人材に不可欠なコミュニケーション能力を高めるために、各教科の授業はもちろん、HR活動や学校行事や部活動などの特別活動の機会を通して、表現能力を伸長する。
各学年で計画的に英語の各種検定試験の受検を指導する。特に2年生ではGTEC for STUDENTSを全員が都教委の予算補助を受けて受検する。
授業等で、都教委作成の英語ソフトを活用する。
平成24年から交流を開始した韓国忠南外国語学校や台湾の高級中学校との連携を深め、姉妹校締結を目指す。さらにカナダでの交流校も開拓する。
国際理解教育に重点を置いた教育をしており、「海外帰国生徒学級」を設置。多数の帰国生が在学している。「国際理解講演会」「国際理解シンポジウム」「留学生が先生」などの行事が古くから実施されているほか、外国語の特別クラブも用意されており、英語やスペイン語などの学習が授業外も可能である。カリキュラムは英語を重視したものとなっている。英語の必修単位数は都内有数[要出典]の多さであり、選択科目も英語関係科目を履修すると、3年間で相当な量の英語を勉強することができる。また、1年次には外国人講師によるドイツ語・フランス語・中国語を受講できる。学校方針で留学生も積極的に受け入れている。1991年には直前に都合で中止になったものの、当時のジョージ・H・W・ブッシュ大統領が来校する計画があった。2012年から海外修学旅行を韓国の、翌年にはマレーシアの各姉妹校先で実施している。
「ユネスコスクール」の指定を受けている(都立高校では3校)[5]。2016年度からの「姉妹校交流推進校」の指定より、カナダでの交流校も開拓する予定[4]。
SPP(サイエンス・パートナーシップ・プロジェクト)とは文科省の推進する事業で、現在4年連続で採択されている。首都大学東京、信州大学との連携講座を実施している。
令和元年度現在
出典[6]
東校舎と西校舎がある。西校舎は0.5階分たかくつくられているため「○階半」と呼ばれている。そのため、毎年入学したての新一年生は教室の場所を覚えるのに苦労する。「立地がリッチ」と言われるように立地が良いため他校に比べて土地が狭いため校舎が縦に長い。全館一括で冷暖房をコントロールするため、教室での温度調節は基本的にはできない。校舎内にはエレベーターがあるが半階での乗降はできない。室内温水プールがあるが一年中水泳の授業があるわけではない。音楽講堂にはスタインウェイのグランドピアノがある。
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