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昔昔亭 桃太郎(せきせきてい ももたろう、1945年5月20日 - )は、落語芸術協会所属の落語家。長野県小諸市出身。本名∶柳澤 尚心。出囃子∶『旧桃太郎の唄』。
三代目 3rd Sekisekitei Momotaro | |
昔昔亭桃太郎定紋「葉付き桃」 | |
本名 | |
---|---|
生年月日 | 1945年5月20日(79歳) |
出身地 | 日本・長野県小諸市 |
師匠 | 五代目春風亭柳昇 |
弟子 | 昔々亭慎太郎 十一代目柳亭芝楽 四代目春風亭愛橋 昔昔亭桃之助 昔昔亭A太郎 昔昔亭喜太郎 昔昔亭昇 |
名跡 | 1. 春風亭昇太 (1965年 - 1969年) 2. 春風亭とん橋 (1969年 - 1972年) 3.春風亭笑橋 (1972年 - 1980年) 4. 三代目昔々亭桃太郎 (1980年 - 1987年) 5. 三代目昔昔亭桃太郎 (1987年 - ) |
出囃子 | 旧桃太郎の唄 錆びたナイフ |
活動期間 | 1965年 - |
活動内容 | 落語家 |
所属 | 日本芸術協会 →落語芸術協会 |
主な作品 | |
裕次郎物語 歌謡曲を斬る ぜんざい公社 ほか | |
備考 | |
落語芸術協会理事(1995年 - 2004年) 落語芸術協会常任理事(2004年 - 2006年) 落語芸術協会理事待遇(2006年 - 2010年) 落語芸術協会理事(2010年 - 2011年) | |
1969年4月、二ツ目昇進し「とん橋」と改名。1972年、「笑橋」と改名。
1981年10月、真打昇進。「三代目昔々亭桃太郎」と改名。昔々亭桃太郎を名乗った落語家が何人いたか正確な数は不明だが、本人は「初代は鬼が島に行った人で、自分は三代目」と発言している[1](落語芸術協会のホームページや、本人のサインでは三代目となっている)。1987年、画数のため「三代目昔昔亭桃太郎」と改名。
寄席の客からの通称は「桃ちゃん」。主に新作落語を得意とし、そのユーモラスな内容と斬新な語り口で人気を博す。マクラでは、ダジャレで締める小咄(「山の遭難」「くさい芸人」「野球中継」など)をいくつか繰り出すのが通例となっている。大の巨人ファンでもあり、枕に野球のネタを織り込むこともある。
座布団の横に湯飲み茶碗を置くことが多い。一度口を湿らせたあと、「せこい茶碗だね、これじゃ田舎の田植えだよ」とぼやくギャグを繰り出す(ただし多くの場合、茶碗は自分で持参したものである)。
弟弟子の春風亭昇太などとの二人会も行っている(以前は三遊亭白鳥との二人会「桃白鳥」なども行った)。風貌が漫画家の赤塚不二夫や柳家さん喬に似ていて、自身もよくマクラなどでネタにする。
60年代前後の歌謡曲に造詣が深く、「歌謡曲を斬る」という得意根多もある。さらに2018年現在、自身は「ルイジアナ・ママ」(飯田久彦)などを歌い、弟子(弟弟子も含む場合もある[2])や若手にツイストを踊らせる余興を一席の後に披露することがある。
愛読書は「課長島耕作」。
など
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