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小林 恒夫(こばやし つねお、1911年9月19日 - 1991年12月6日)は、日本の映画監督・脚本家。東京都京橋出身。東映で現代劇をメインに撮っていた。
その後、テレビドラマ、PR映画の演出を手がける[1][3]。 テレビ映画では主に東映と古巣の東宝(系列会社宝塚映画も含む)製作作品の演出を多く手がけた[1][3]。当時東宝の子会社だった円谷プロ作品にも参加する。特に『マイティジャック』でパイロット版を本放送版へ補強する仕事から入り、事実上のメイン監督を務めた。
監督昇進が41歳と遅かったものの、『点と線』における無駄をなるべく排し、テンポの良い時間経過と万人に理解しやすい物語の展開と切り口が持ち味であり、巧みな演出でリアリズム重視の独特の重厚さと緊迫感を与える作風であった。
中でもスリラー+サスペンスドラマに定評があり、東映現代劇の若手スターだった高倉健、南原宏治、今井健二らの最初期作を数多く演出。またその手法は、東映東京撮影所でデビューした深作欣二や降旗康男ほか同社の後進監督たちに多大な影響を与え[4]、それまでの東映になかったタイプのスタイリッシュなシティサスペンスの礎を築いた。
また、大半の劇場映画を東映東京撮影所から発表。時代劇はほとんど手掛けず(テレビ映画は除く)、現代劇の演出作品が主流であった。
大学の同級生であった脚本家の猪俣勝人はその著書『日本映画作家全史 下巻』の中で『今日、東映のアクションものといえば、“仁義なき戦い”の系列か、いっとき前の高倉健の任侠ものがすぐ浮かぶが、その源流をなしたのはこの人のリアリズム・アクション路線の作品群ではなかったろうか。もしもこの人が東宝か松竹にでもいたら、日本映画第一級の監督になっていたのではないだろうか。たまたま、東映の前身、東横映画に身を置いたばかりに、ついに中途半端なアクション監督の座に縛りつけられてしまったような気がする…(略)』とその手腕を惜しみ、今後の活動(1970年代後期当時)に期待を寄せ、賛辞と鼓舞を込めてしたためていた[1]。
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