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安達 昭夫(あだち あきお、1959年10月27日 - )は日本中央競馬会栗東トレーニングセンター所属の調教師。
私立高校への進学が決まっていたが、騎手への夢を捨てきれず[1]、馬事公苑の昭和50年度長期騎手講習生となり、1979年3月、栗東・増本勇厩舎所属の騎手として騎手デビューした。当時、父親も増本厩舎で厩務員として働いていた。デビュー当初は騎乗馬にも恵まれ、栗田伸一と新人賞を争ったが、栗田の22勝に対して16勝で新人賞獲得はならなかった。
しかし次第に騎乗数が減ってゆき、途中フリーになったり厩舎所属を繰り返すことになる。騎手時代の晩年は梅内忍厩舎所属となって1994年に引退。通算勝利は125勝であった。 身長167cm。
騎手引退は梅内厩舎の調教助手となり、1999年に調教師免許を取得。2000年に厩舎を開業。初出走は同年3月4日阪神競馬第10競走のヤマトプリティで2着、初勝利は同年4月23日福島競馬第12競走のマルサンミッキーで、延べ24頭目であった。
2003年12月6日に行われたステイヤーズステークスでチャクラが勝利し重賞初制覇[2]。
2008年11月3日に園田競馬場で行われたJBCスプリントでバンブーエールが勝利しG1級競走初制覇[3]。2009年12月6日に行われたジャパンカップダートでエスポワールシチーが勝利しJRAG1を初制覇した[4]。
2014年2月8日に京都2Rで勝利し通算200勝[5]、2020年8月16日に小倉12Rで勝利し通算300勝を達成した[6]。
1着 | 2着 | 3着 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 | |
---|---|---|---|---|---|---|
平地 | 122 | 159 | 144 | 1952 | .063 | .144 |
障害 | 3 | 7 | 3 | 27 | .111 | .370 |
計 | 125 | 166 | 147 | 1979 | .063 | .147 |
日付 | 競走名 | 競馬場 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
初騎乗 | 1979年3月10日 | 4歳未勝利 | 阪神 | ノトヨーコー | 10 | - | 9着 |
初勝利 | 1979年3月10日 | - | 阪神 | フジワカ | - | - | 1着 |
重賞初騎乗 | 1979年8月19日 | 函館記念 | 函館 | ハッコウオー | 11頭 | 8 | 5着 |
GI級初騎乗 | 1979年11月16日 | エリザベス女王杯 | 阪神 | ミンドヒカリ | 18頭 | 16 | 15着 |
日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
初出走 | 2000年3月4日 | 1回阪神3日10R | 鳴門S | ヤマトプリティ | 16頭 | 5 | 2着 |
初勝利 | 2000年4月23日 | 1回福島2日12R | 5歳上500万下 | マルサンミッキー | 12頭 | 7 | 1着 |
重賞初出走 | 2000年9月3日 | 3回小倉8日11R | 小倉3歳S | フィオリトゥーラ | 17頭 | 15 | 17着 |
重賞初勝利 | 2003年12月6日 | 6回中山1日11R | ステイヤーズS | チャクラ | 10頭 | 6 | 1着 |
GI初出走 | 2002年5月4日 | 3回東京6日11R | NHKマイルカップ | マヤノサリーダ | 18頭 | 17 | 15着 |
GI初勝利 | 2009年12月6日 | 5回阪神2日11R | ジャパンカップダート | エスポワールシチー | 16頭 | 1 | 1着 |
※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、太字はGI級競走。
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