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日本のプロレスラー (1980-) ウィキペディアから
吉野 正人(よしの まさと、1980年7月17日 - )は、日本の元男性プロレスラー。大阪府東大阪市出身。最終所属DRAGON GATE。YouTuber。血液型A型。
アメリカのプロレス団体「ROH」では「The fastest wrestler on the planet(地球上で最も速いレスラー)」と称されている。
小学生と中学生の時代は野球に没頭したが、アントニオ猪木とビッグバン・ベイダーの試合(1996年1月4日)をテレビ観戦しプロレスへの興味を持った。アマチュアプロレス団体最大手であるJWA関西の門を叩き修行。後輩にはDDTプロレスリングに所属する柿本大地などがいる。大学入学後も勉強熱心であったが、プロレスの夢を捨てられず親や周囲の反対を押し切り中退してメキシコへ渡り、闘龍門の7期生として入門。2000年9月2日、メキシコでの伊藤透(現:大鷲透)戦でプロレスデビュー。T2Pメンバーの中核「イタリアン・コネクション」の一員としてC-MAXと抗争を繰り広げる。
デビュー当時はターザンをモチーフにしたキャラクターでトップコーナーに上がり、雄たけびをあげるパフォーマンスをしていた。後にミラノコレクションA.T.に誘われてイタリアン・コネクション入り。リングネームをイタリアっぽくするために「YOSSINO(ヨッシーノ)」に変更(命名者はミラノ)。ギミックがイタリアン・ターザンとなった。このころウルティモ・ドラゴンにパートナーに抜擢され第1回ディファカップに(2003年2月8日・9日)で優勝。
2005年、DRAGON GATE中軽量級の活性化を図るためK-ness.と共にオープン・ザ・ブレイブゲート王座を創設[2][3]。王座決定戦で土井成樹に敗退するも、後に語られる一戦となった。
イタリアン・コネクション解散に伴いリングネームを本名に戻し、短髪になってBlood Generationに加入。加入前にコスチューム新調、美容院の予約等、CIMAに確信犯と言われる。BloodのメンバーであるCIMA、マグニチュード岸和田とオープン・ザ・トライアングル・ゲート王座を奪取[4]。2006年自身の創設したオープン・ザ・ブレイブゲートに挑戦表明。2月5日に博多スターレーン大会で王者ドラゴン・キッドに挑むも、両者セコンドの乱入によりノーコンテスト、ベルトはコミッショナー預かりとなった。そして3月19日に行われたブレイブゲート王者決定トーナメントで優勝し、第3代オープン・ザ・ブレイブゲート王者に君臨した。その後、Blood Generationの分裂の際に造反組に回り、そのままマッスル・アウトローズの一員となった。
2007年からはかつてのライバル土井成樹とタッグ、通称「土井吉」を組み活躍。スーパーパワーボムやダブルインパクトなどの好連携を見せる。2007年8月に行われたタッグリーグは土井吉で優勝、獲得した賞金でオープン・ザ・ツインゲート統一タッグ王座を創設した[5]。同年10月に当時IJタッグ選手権王者であった新井健一郎、岩佐拓とベルトの統一戦を行い勝利、同王座の初代王者となった。さらには同年11月24日、土井と共にプロレスリング・ノアのGHCジュニアヘビー級タッグ王座のベルト奪取に成功する。また、シングルプレーヤーとしても2007年9月22日の大田区体育館大会においてブレイブゲート王座を再び獲得。6度の防衛を果たし、当時のブレイブゲート最多防衛記録を更新した。2008年4月にアンソニー・W・森に敗れて王座陥落[2]。
2008年5月5日、土井成樹と共にマッスル・アウトローズを脱退。新ユニット結成を宣言する。5月14日にはB×Bハルク、谷嵜なおき、m.c.KZ.がユニットに加入、5月31日の神戸大会にて新ユニット名『WORLD-1』が発表された。
6月29日の大阪大会にて、Gammaが保持していたオープン・ザ・ガンマゲートをDr.マッスルに変装して奪取[2]。試合当初は、まるでストーカー市川がDr.マッスルに扮しているような市川独特のムーヴを披露したが、一瞬のスキを突いてトルベジーノからの横十字固めでフォール。オープン・ザ・ブレイブゲートに名称を戻し、同王座をコミッショナー預かりとした。
2008年10月、4度目のオープン・ザ・ブレイブゲートを獲得したが[2]、2009年3月の両国国技館での選手権試合でCIMAに敗れ、ベルトを失った。その後、土井の保持するオープン・ザ・ドリームゲート王座に挑戦を表明する。その後、Gammaとの挑戦者決定戦に勝利して後楽園ホールで土井との3度目となるシングルマッチを行ったが、奪取することはできなかった。
2009年、WORLD-1初の自主興行の際、ジョンソン・フロリダに「イタリアのターザン」とYOSSINO復活という無理難題を押し付けられ、始めは頑に拒否していたが、興行当日に特注のカツラを着用したYOSSINOとして登場した。ただし、「YOSSINOは一度封印したキャラだから」と一夜限りの復活であると念押しした。
12月27日のマスカラ・コントラ・カベジェラ金網マッチで金網から旗を取ろうとしたものの谷嵜なおきが対REAL HAZARD用にテープでグルグル巻きにした旗を取ろうとし、負け残ってしまう。丸坊主となり号泣した[2]。
2010年7月11日、ワールド記念ホール大会でYAMATOを30分を超える激闘の末、ソル・ナシエンテ改で下し、デビュー10年で初めてのドリームゲート王者となった。8月14日には長らく大阪プロレスのタイガースマスクに流出していたブレイブゲートを取り戻して通算5度目の戴冠、2009年の土井成樹に続いて2人目のシングル2冠王を達成したが、ブレイブゲート王座を即返上した。2011年1月28日-30日に行われたオープン・ザ・ユナイテッドゲート初代王者決定戦にPACとタッグを組んで参加し初代王者となる。ドリームゲート王座は斎藤了、CIMA、土井、ドン・フジイと計4度の防衛を果たしたが、2011年4月に望月成晃に敗れ王座陥落[2][6]。
2012年には土井、PAC、リコシェらと新ユニット「WORLD-1 INTERNATIONAL」を結成、オープン・ザ・トライアングル・ゲート王座を第35代・第38代で奪取するなど活躍する。2013年5月にはドラゴン・キッドを破って6度目のブレイブゲート戴冠を果たし、リッチ・スワン、ジミー・カゲトラ、K-ness.、土井と計4度防衛し、8月に返上[3]。
しかし直後の2013年9月に土井が吉野を裏切り、WORLD-1 INTERNATIONALは解散。吉野、リコシェ、しゃちほこBOYの3人は鷹木信悟、戸澤陽、ウーハー・ネイションの3人と共闘することとなり、10月6日に6人での新ユニット「MONSTER EXPRESS」結成を発表。10月10日にYAMATOを破って2度目のドリームゲート王座戴冠を果たした[1][2][6]。11月の初防衛戦では因縁の土井に苦戦したが、ソル・ナシエンテ改でギブアップに追い込んで勝利。その後T-hawk、B×Bハルク、望月成晃と計4度防衛した。2014年3月に再来日したリコシェとの同門対決で敗北し王座を失った[6]。
その後、土井に目をつけられ5月5日、金網の中に入ることになる。そして、金網戦では4番目にエスケープし、代理人のしゃちのマスクを守った。
2015年3月1日、しゃちほこBOYと共に、ツインゲートを獲得する。
6月13日、しゃちほこBOYがYAMATOに敗れて、ツインゲートを失う。
6月14日、ハルクの持つドリームゲート王座に挑戦し勝利。3度目の戴冠となった。その後、次期挑戦者にT-Hawkを逆指名した。
7月20日、T-Hawkとドリームゲート戦を行い勝利。その後、T-Hawkとの一夜限りのタッグを組む事が決定した。しかし、それに対して鷹木が反発する。(さらにその後、ハプニングが発生。吉野の防衛戦が終わった、その7時間後にドリームゲートのベルトが紛失してしまった。)
8月2日、神戸サンボーホールでT-Hawkとタッグを組み、鷹木と戸澤と試合を行うもT-Hawkが鷹木に敗北してしまった。ちなみにこの時、入場時に持ってきたドリームゲートのベルトは銅色の古いベルトだった。
8月16日、今まで散々しゃちほこBOYをバカにしてきた、鷹木信悟を相手にドリームゲートを賭けた試合を行うも敗北。ドリームゲートを失った(この時のドリームゲートのベルトは新しくつくられた3代目のベルトだった。)
8月30日、鷹木軍に血だるまにされていたT-Hawkをモンスターのメンバーと共に救出し、モンスターの3人とT-Hawk、そしてCIMAを含んだ5人で鷹木軍と対決。最後は何故か乱入して来たビッグR清水の助けもありT-HawkがEitaに勝利した。
12月6日、久しぶりにトライアングルゲートを獲得。同時にMONSTER EXPRESSとして初の獲得ともなった。
2017年5月4日、MaxiMuMのメンバーになる
2018年6月9日、団体初となるKING OF GATE通算2度目の優勝を果たし、10日に望月とのドリームゲート戦が決定する。
10日、王者望月を倒し第27代ドリームゲート王者になる。2日連続となる激闘を制し団体を代表する2代王座を獲得した。
2019年12月26日、神戸サンボーホールのリング上にて首の悪化及び限界から2020年内に現役引退すると宣言。その後首の状態が多少改善されたため2021年8月1日まで現役を延長し、同日に開催予定の神戸ワールド記念ホール大会で引退試合を実施することを正式発表した。
2021年8月1日、神戸ワールド記念ホール大会のメインイベントで土井とタッグを組み引退試合を行った(対戦相手はB×Bハルク・Eita組)。
2021年9月2日、パーソナルジム「SPEED STAR」を運営、自身のデビュー記念日に兵庫県に開店した。
2022年10月1日、ゲスト解説で来場していたGLEATでG PROWRESTLINGコミッショナー兼GLEATチャンピオンベルト管理委員に就任。
吉野が用いたことがあるリングネーム
多彩なジャベ(関節技)の使い手であるが、現在は筋肉をアピールしたファイトが中心になっている。吉野のリングネームでもある「スピードスター」の異名通り、そのスピードは団体随一で素早いロープワークの攻防が見どころの一つでもあった。
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