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日本の起業家 (1942 - ) ウィキペディアから
千本 倖生(せんもと さちお、1942年9月9日 - )は、日本の連続起業家、実業家、教育者。
日本電信電話公社(現在のNTT)を経て、第二電電(DDI、現KDDI)を共同創業した。その後慶應義塾大学教授に転じた。イー・アクセス株式会社、続いてイー・モバイル(現Y!モバイル)を創業し、両社の代表取締役社長、会長を務めた後、同社取締役名誉会長を務めた[1]。2014年3月に同社取締役名誉会長職を退任。同年4月に株式会社レノバ社外取締役に就任し、2015年8月より代表取締役会長に就任。2017年9月に公益財団法人千本財団を設立、代表理事を務める。
日本における通信事業開拓者として知られる人物である。京都大学卒業後、日本電信電話公社に入社。フルブライト奨学生としてフロリダ大学へ留学し、電子工学の修士・博士(Ph.D.)の学位を取得。
電電公社近畿電気通信局部長(当時42歳)時代に自社・電電公社の通信独占状態に疑問を持ち、同社を退社。新しい通信事業会社の構想を京セラ社長(当時)の稲盛和夫に説き、1984年に稲盛の指導を得てDDIを創業し専務に就任した[2]。DDIでは通信自由化により専用線事業、市外電話事業を興し、続いて携帯電話事業(DDIセルラー、現在のau)を立ち上げ軌道に乗せ、1994年にDDI副社長 兼 DDI東京ポケット電話(イー・アクセスへの吸収を経てワイモバイルへ。現在はソフトバンクに吸収)社長に就任。
シリコンバレーのエクセレントカンパニーの取締役や世界的通信社のロイター発起人会社 取締役を務めたほか、1996年に慶應義塾大学教授に就任[2]。1997年にスタンフォード大学客員フェロー、2001年にカリフォルニア大学バークレー校客員教授、カーネギーメロン大学客員教授、2006年にカンタベリー大学招聘教授を歴任[3]。
1990年代後半にインターネットが急速に普及し始めたことからADSLの回線卸を業とするイー・アクセスを創業(1999年)[4]。2004年には当時の最速記録となる創業5年での東証1部上場を達成[5]。2005年には、新規参入の携帯電話会社イー・モバイルを創業(2011年には親会社のイー・アクセスに吸収)、データ通信を中心とした契約プランで契約数を伸ばした。
2012年10月、株式交換によりイー・アクセスはソフトバンクと合併を発表[6]。日本経済新聞のインタビューの中で、KDDIからも同様の提案があったことを明らかにした上で、孫正義のiPhoneに懸ける情熱に圧倒され、従業員や株主へのフォローが約束されたことから、交渉開始から約10日でソフトバンクへの売却を決断した、と述べた[7]。
2014年3月にイー・アクセス株式会社取締役名誉会長職を退任。同年4月に株式会社レノバ社外取締役に就任し、2015年8月より代表取締役会長に就任[8]。
2017年9月に公益財団法人千本財団を設立、代表理事に就任。財団内容はアジア太平洋各国において、経済的に困窮する優秀な若者に対し、日本国内の大学における勉学・研究のための財政的援助を行い、将来各国のリーダーとなる人材の養成をすると共に、日本とアジア太平洋各国の相互理解の深化に貢献[9]。
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