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かつて北陸鉄道が日本の石川県で運営していた鉄道路線 ウィキペディアから
能登線(のとせん)は、かつて石川県羽咋市の羽咋駅から同県羽咋郡富来町(現在の志賀町)の三明駅の間を結んでいた北陸鉄道の鉄道路線である[1]。もともと沿線の人口が少ない路線ではあったが、1960年代には沿線の過疎化やモータリゼーションの進行(国道249号の整備など)により累積赤字が膨らみ、北陸鉄道の経営合理化のため1972年(昭和47年)6月25日に廃止となった[2]。
北陸鉄道では、金名線の電化後に存在した唯一の非電化路線であり[2]、ほかの北陸鉄道線に対しても、最北の非常に離れた地域に位置していた(羽咋駅から一番近い浅野川線の北鉄金沢駅・金沢駅まで40km以上ある)。
廃線後、廃線跡のほとんどの区間は自転車道(石川県道293号羽咋巌門自転車道線)として整備されている。
北陸鉄道能登線の発祥は「能登鉄道株式会社」で、葛城忠寸計ほか168人が1920年6月に富山県氷見から羽咋、富来、剱地、櫛比をへて輪島にいたる鉄道建設を鉄道大臣に出願したことである。11月に免許状が下付されると総株数9万株(450万円)のうち発起人が2万3千株を引受けることとして、残りを沿線の各郷に事務所を設置して募集した。あいにく第一次大戦後の絹織物業不振が続き地元経済界も厳しい状況にあったが、募集は順調に進み1921年11月には満株に達し、12月に能登鉄道株式会社を設立し[4]、社長は25,000株保有した富山県上新川郡東岩瀬町の畠山小兵衛[5]が就任した[6]。
なお株主構成は大正11年度では株主7,742人平均持株11.6株。特に1株のみの株主が多数いた。また現羽咋市域の株主が17%をしめていた。
1925年3月羽咋駅 - 能登高浜駅間が開業し、1927年6月能登高浜駅 - 三明駅間が開業にこぎ着けたが、その後は資金調達が進まず門前(總持寺祖院)、輪島までと、氷見から羽咋を結ぶ区間の計画は放棄されてしまった。
車両基地は羽咋駅構内にあり、1969年時点で気動車5形式7両とディーゼル機関車1両が所属していた。列車は羽咋 - 三明間に14往復(1往復は急行)、羽咋 - 能登高浜間に4往復が設定されていた。ラッシュ時には2両編成が走るが、その他の時間帯は単行での運転であった。
また、夏季には海水浴客のために能登高浜まで、正月には初詣客のために能登一ノ宮まで、金沢からの直通臨時列車が乗り入れていた。それに備えて、両駅のプラットホームはかなり長いものであった。
駅名および所在地は廃止時点のもの。全駅石川県に所在。
駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 接続路線 | ホーム | 列車交換 | 所在地 |
---|---|---|---|---|---|---|
羽咋駅 | - | 0.0 | 国鉄:七尾線 | 2面3線 | V | 羽咋市川原町 |
能登一ノ宮駅 | 3.3 | 3.3 | 2面2線 | ◇ | 羽咋市一ノ宮町 | |
滝駅 | 0.8 | 4.1 | 1面2線 | ◇ | 羽咋市滝町 | |
柴垣駅 | 4.2 | 8.3 | 1面2線 | ◇ | 羽咋市柴垣町 | |
甘田駅 | 2.3 | 10.6 | 1面1線 | | | 羽咋郡志賀町甘田 | |
大島駅 | 2.0 | 12.6 | 1面1線 | | | 羽咋郡志賀町大島 | |
能登高浜駅 | 2.0 | 14.6 | 1面2線 | ◇ | 羽咋郡志賀町高浜 | |
志賀町駅 | 0.8 | 15.4 | 1面1線 | | | 羽咋郡志賀町末吉 | |
堀松駅 | 1.4 | 16.8 | 1面1線 | | | 羽咋郡志賀町堀松 | |
大笹駅 | 2.4 | 19.2 | 1面1線 | | | 羽咋郡志賀町大笹 | |
米町駅 | 2.1 | 21.3 | 1面1線 | | | 羽咋郡志賀町米町 | |
直海駅 | 1.4 | 22.7 | 1面1線 | | | 羽咋郡志賀町直海 | |
三明駅 | 2.8 | 25.5 | 1面2線 | ∧ | 羽咋郡富来町(現志賀町)三明 |
年度 | 乗客(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 益金(円) | その他益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) | 政府補助金(円) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1925 | 125,321 | 9,694 | 66,148 | 44,618 | 21,530 | 未開業の所得税1,023未開業雑損43,493 | 26,208 | 9,901 | |
1926 | 163,909 | 13,270 | 71,050 | 57,612 | 13,438 | 減資差益金499,414 | 雑損494,796 | 40,466 | 43,738 |
1927 | 198,170 | 17,319 | 91,909 | 78,616 | 13,293 | 雑損3,730 | 40,502 | 44,870 | |
1928 | 263,640 | 18,552 | 130,091 | 112,296 | 17,795 | 雑損13,199 | 27,450 | 45,847 | |
1929 | 268,653 | 16,163 | 111,626 | 119,520 | ▲ 7,894 | 2,107 | 27,337 | 83,183 | |
1930 | 261,938 | 13,866 | 97,064 | 94,348 | 2,716 | 雑損7,660自動車2,068 | 20,453 | 83,890 | |
1931 | 231,456 | 12,434 | 75,325 | 76,147 | ▲ 822 | 雑損169償却金40,747自動車3,804 | 17,703 | 85,561 | |
1932 | 210,102 | 10,354 | 70,527 | 63,578 | 6,949 | 雑損40,098自動車695 | 15,952 | 71,692 | |
1933 | 241,990 | 14,273 | 79,019 | 83,081 | ▲ 4,062 | 雑損629自動車7,897 | 15,733 | 82,696 | |
1934 | 242,727 | 14,865 | 83,101 | 92,589 | ▲ 9,488 | 雑損償却金58,018 | 9,258 | 87,008 | |
1935 | 258,402 | 14,078 | 84,006 | 70,959 | 13,047 | 雑損償却金16,684自動車47,778 | 4,186 | 75,413 | |
1936 | 275,396 | 12,073 | 90,009 | 82,510 | 7,499 | 雑損償却金31,921自動車9,581 | 2,565 | 39,050 | |
1937 | 311,266 | 12,743 | 99,522 | 79,004 | 20,518 | 自動車7,955 | 償却金57,056 | 1,677 | 39,050 |
1949 | 1,066,684 | 45,631 | |||||||
1952 | 1,156,572 | 29,549 | |||||||
製造当初から客車であった車両。
気動車を改造した客車を含む。
鉄道の廃線により代替バスが運行され、鉄道路線が延びることはなかった旧富来町へ羽咋駅から乗り換えなしで結ばれるようになった。
羽咋 - 富来を直通で結ぶ便はすべて荒屋回りである。 また、羽咋 - 能登高浜・三明折り返しの便も存在する。 三明から福浦・厳門回りで富来に向かう区間便も存在したが、2007年4月1日のダイヤ改正により高浜 - 赤住まで運行していた赤住線の一部が赤住 - 福浦 - 厳門を経て富来まで延伸。これにより三明 - 福浦間を走行する路線バスは事実上廃止となった。
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