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久次良は、栃木県日光市の中央南部の地名である。花石町と裏見滝への玄関口で知られる清滝安良沢町に隣接する。 地名は、奈良時代の一族の久次良氏(久次郎氏)に由来し、「久治良」、「久自良」、「久次郎」という表記も存在した[2]。
日光開山の祖として知られる勝道上人の子孫が、上人による二荒山神社建立の後に久次良町と花石町を社家町として住み始めた。延喜4年(904年)に、大中臣清真(勝道上人の従弟で後の二荒山神社の神主)の嫡男清仁が、現在の久次良神社の前身である久次良大明神を創立した。久次良村として知られていたらしく、元文2年(1737年)には、「元文期日光久次良村銭」(寛永通寳)が鋳造されていた。後年には社家以外の民も移住していた一方で、社家一族は明治期には両町からいなくなったとされる[3]。
奈良時代に、久次良一族は現在の宇都宮市徳次郎町を領地とし、日光二荒山神社を遷した智賀都神社を建立した。一説には、徳次郎とは久次良氏の外領、つまり「外久次良(外久次郎=とくじら)」が地名の由来とされ、現在でも「外鯨(とくじら)」の姓を持つ町民も存在する[4][5]。
なお、徳次郎町の読み仮名は宇都宮市に編入された際に「とくじろうまち」とされたが、その後もバス停留所名などで「とくじら」と混用される状態が続いていた。2020年5月には町名の読み方を変更する手続きが始まり[6][7]、翌2021年3月1日付で正式に「とくじらまち」の読みに変更されている[8]。
日光市の中央南部に位置し、区分としては大谷川を南端とし、日光連山と鳴虫山に挟まれた台地である。日光地区では比較的温暖であり、学校や住宅街や宿泊施設などが点在している。北側は山林に密接した土地であり、先住民(蝦夷という説がある[9])の石鏃が近隣各地と共に発掘されたり[3]、かつて奥日光(いろは坂以上)には分布しないとされていたニホンイノシシ(山鯨)も[10]、実際は明治中期まで中禅寺湖(男体山)付近に生息していたとされ、徳川の時代までは清滝や細尾と並び久次良一帯にも分布していたとされる[11][12]。とくに夜間には野生動物が頻繁に山沿いの住宅街にも現れ、ホンドギツネ、ホンドテン、ニホンジカ、ホンドダヌキ、ニホンアナグマ、ニホンザル、キジ[13]等のほか、ツキノワグマも稀に出没する[14]。
など
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