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智賀都神社(ちかつじんじゃ)は、栃木県宇都宮市徳次郎町にある神社。近代社格制度に基づく旧社格は郷社[1]。徳次郎六か郷(徳次郎町)の鎮守であり、社名の智賀都(ちかつ)は鎮座地の名「千勝森」(ちかつのもり)に由来する[1][3]。
宝亀9年(778年)に日光二荒山神社を勧請して創建したと伝えられる[2]。主祭神は大巳貴命(おおなむちのみこと)で、田心姫命(たごりひめのみこと)と味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)を合わせて祀る[1]。五穀豊穣、家内安全、無病息災に利益があるとされる[1]。江戸時代には徳川氏の崇敬を受け、社領5石の寄進を受けた[3]。
例祭は毎年8月1日に催行される[1]。この附祭(つけまつり)として、徳次郎六か郷がそれぞれ1台ずつ彫刻屋台(山車)を運行し、智賀都神社に集結する催事が3年に1度行われる[4]。直近の附祭は「智賀都神社夏祭り」として2019年(令和元年)7月26日に宵祭(よいまつり/前夜祭)、7月27日に本祭が催行された[5]。
附祭は7月31日に宵祭、8月1日に例大祭として行われていた[6]が、第二次世界大戦による中断をはさんで1946年(昭和21年)に復活し、5 - 10年に1度という不定期催行の時代を経て、1976年(昭和51年)にふるさと宮まつりへ参加したことを契機に3年に1度の定期開催に至り[7]、2004年(平成16年)より7月の最終金曜日(宵祭)・土曜日(本祭)へ変更された[8]。屋台は各郷を19時に出発し、郷内を一巡して日光街道を通って神社を目指す[3]。すべての屋台が神社境内に到着すると、「ぶっつけ」と呼ばれる囃子の競演が行われ、祭りは最高潮に達する[6]。8月1日に本祭を行っていた頃は、ぶっつけは8月2日へと日付の変わる0時に始まり、露店や持ち寄ったご馳走を楽しみながら夜を明かし、明け方に囃子を奏でながら屋台は各郷へ戻っていった[9]。
ここで運行される屋台は、幕末から明治時代にかけて下都賀郡富田村(現・栃木市大平町富田)の磯邊敬信(いそべけいしん)らが彫刻したものである[10]。徳次郎町の各郷が保有する全6台の屋台は、「徳次郎智賀都神社祭礼付祭屋台」の名で宇都宮市指定有形民俗文化財(1989年12月20日)に指定されている[10]。
このほか歳旦祭(1月1日)、節分(2月3日)、祈年祭(2月18日)、新嘗祭(11月26日)、冬渡祭(12月14日)が行われる[1]。
智賀都神社の鳥居の両脇に生えるケヤキは、2本とも樹高約40 mの巨木で栃木県指定天然記念物である[2][3]。栃木県の天然記念物指定日は1954年(昭和29年)9月7日で、指定上の名称は単に「けやき」である[11][12]。1989年(平成元年)6月15日には、「徳次郎のけやき(2本)」の名称で「とちぎの名木百選」に選定された[13]。
東側の株は目通り周囲長(目線の高さでの周囲長)が約8 m、枝張りは東西方向に約26 m、南北方向に約44 mで、西側の株は目通り周囲長が約7.3m、枝張りは東西方向に約23m、南北方向に約37 mである[11]。樹齢は約700年と推定され[2][11]、樹勢は衰えつつあり、幹の下部は空洞になっている[11][3]。1994年(平成6年)に樹勢回復措置が取られた[11]。
なお神社から北西に約500 m離れた地点に「上徳次郎のケヤキ」(宇都宮市指定天然記念物)と呼ばれるケヤキの巨木があり、樹齢は同程度であることから、智賀都神社のケヤキの「兄弟」と伝えられている[14]。
自動車利用の場合、宇都宮市街から日光街道(国道119号)を北上し、徳次郎交差点からさらに北へ800 m進んだところに位置する[3]。ただし神社に駐車場はない[1]。
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