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有限会社中嶋企画(なかじまきかく、英称:Nakajima Planning Co., Ltd.)は、元レーシングドライバーの中嶋悟が代表を務める日本の企業。レーシングチーム「NAKAJIMA RACING(ナカジマレーシング)」の運営母体。レース関係者の間では「中企(ナカキ)[1]」の呼び名で親しまれる。
Modulo CIVIC TYPE R-GT(2024年) | |
国籍 | 日本 |
---|---|
本拠地 | 静岡県御殿場市 |
創設者 | 中嶋悟 |
チーム代表 | 中嶋悟 |
関係者 |
高木虎之介 松田次生 ロイック・デュバルほか |
活動期間 | 1983年 - 現在 |
カテゴリ |
全日本F2、全日本F3000、FN、SF JTC、JTCC、JGTC、SUPER GT |
チームズ タイトル | FN 4(1999,2000,2002,2009) |
ドライバーズ タイトル |
全日本F2 3(1984,1985,1986) FN 4(1999,2000,2002,2009) |
公式サイト | NAKAJIMA RACING |
備考 | 1984年 - 1988年はヒーローズレーシングと提携 |
2024年のスーパーフォーミュラ | |
エントリー名 | PONOS NAKAJIMA RACING |
レーサー |
64. 山本尚貴 65. 佐藤蓮 |
マシン | PONOS NAKAJIMA RACING SF23・ホンダ |
タイヤ | 横浜ゴム |
2024年のSUPER GT (GT500) | |
エントリー名 | Modulo Nakajima Racing |
レーサー |
伊沢拓也 大草りき |
マシン | 64. Modulo CIVIC TYPE R-GT |
タイヤ | ダンロップ |
1983年に「中嶋企画」設立。経緯として、1982年のシーズン終了後、それまで所属していた生沢徹率いるi&iレーシング/チームイクザワでのヨーロッパF2参戦がシーズン途中で頓挫し、生沢の元を離れた中嶋悟が「ヨーロッパのレースに参戦するという目標は人に頼っていては実現しない」と強く思い、自身のレース活動拠点として設立を決意。しかしこの時にはヨーロッパ遠征でほぼ使い切っていて無一文の状況に近く、「自分でやるって言ってもどうやるのって感じ。お金が無かった。ゼロからもう一回全部自分でやり直し」の状況だったという[2]。そのため、1983年シーズンは破格の契約金を提示したハラダレーシングに移籍する。「お金のために身を売ったのはこの時が初めてで最後」だと中嶋は述べているが、この契約金を元手にして「中嶋企画」は設立された[2]。愛知県岡崎市の自宅に事務所を置く典型的な個人事務所としてスタートした。それまで2度挑戦したヨーロッパでのレース参戦が(主に資金的な理由で)思うようにならなかった経験から、独自のレーシングチームを持ち、且つスポンサーを確保し活動基盤を調え、再びヨーロッパに挑むことを目標とした。
1983年のシーズンオフに自動車雑誌『LE VOLANT』(立風書房)の編集者だった福田直道をマネージャーに迎え入れ東京事務所を開設。また時を同じくして、中嶋の古巣であるヒーローズレーシングと当時としては例のない契約形態(マシンをヒーローズが提供し、資金を中嶋企画が賄う)を結び、翌1984年から1986年まで「ヒーローズレーシング with ナカジマ」の体制で全日本F2選手権に参戦。その3年間、中嶋は連続でF2チャンピオンを獲得した。
1987年から中嶋がロータスよりF1参戦を開始する一方で、国内では全日本F3000選手権や全日本ツーリングカー選手権(JTC、Gr.A)に参戦。1989年からは全日本F3選手権にもサテライトチームを参戦させた。
1991年のシーズン終了をもって中嶋が現役を引退すると、翌1992年からは中嶋を正式にチーム監督に据え、自社メンテナンスも開始。全日本F3000選手権(現 スーパーフォーミュラ)、全日本ツーリングカー選手権(JTC及びJTCC)、全日本GT選手権(JGTC、現 SUPER GT)などに参戦。
若手ドライバーの育成や登用に積極的であり、1989 - 1990年は野田英樹、1991年は中野信治がイギリスのジュニア・フォーミュラに参戦。中嶋がチームを指揮するようになってからは一層その姿勢が前面に打ち出され、高木虎之介をはじめ山西康司、松田次生、小暮卓史、武藤英紀といった日本トップクラスのドライバーや、トム・コロネル、ラルフ・ファーマン、アンドレ・ロッテラー、ロイック・デュバル、アレックス・パロウなど、世界的なレーシングドライバーを輩出している。
1997年には、かつて中嶋が在籍したF1のティレルと提携。ティレルのスポーティング・ディレクターに中嶋が就任し、テストドライバーに高木虎之介が起用された。翌年、高木はレギュラードライバーとなるも、提携はクレイグ・ポロックによるティレル買収により終了することとなった。なお、ティレル側から中嶋へチーム売却の打診はあったが、調整がつかず買収には至らなかった。
2008年シーズンからエプソン販売との共同企画で、GTマシンのカラーリングコンテストを開催。最優秀作品が実際のマシンのカラーリングに採用され、2018年シーズンまで行われた[3]。
2011年に中嶋の次男である大祐がチームに加入。同年より長男の一貴も所属ドライバーとなっている[4]。
2012年よりフォーミュラ・ニッポン(翌年からはスーパーフォーミュラ)のマシンのカラーリングを長年の白ベース(メインスポンサーであったPIAAのベースカラー)から、当初のチームカラーであるネイビーベースに変更して参戦[5]。
2016年シーズン後半より、グリーンテックが支援を拡大したためスーパーフォーミュラのカラーリングがネイビーからグリーン&レッドに変更。このシーズンから中嶋一貴が乗るトムスのマシンがバンテリングリーンに変更になったことで「中嶋兄弟の見分けがつきにくい」と話題となった。
2017年は、スーパーフォーミュラに元F1ドライバーのナレイン・カーティケヤンを起用したことに伴い、カーティケヤンを支援するインド最大財閥タタ・グループの中核企業タタ・コンサルタンシー・サービシズが2009年以来のタイトルスポンサーに就任し、カラーリングがネイビーベースに戻された[6]。
2019年のシーズン途中に元ブリヂストンでフェラーリにも在籍した浜島裕英がチームに加入[7]。
2023年、中嶋悟が70歳を迎えることもあり、肩書を「総監督」に変更。スーパーフォーミュラでは伊沢拓也が監督となり、現場での指揮を執ることになった[8]。
国内GTシリーズ(JGTCおよびSUPER GT)にはGT500クラスに参戦している。タイヤはJGTC時代はブリヂストン(POTENZA)だったが、SUPER GTではダンロップを使用している。
JGTC時代から通算して、GT500クラスで最多勝を誇るマシン。2003年までは「Mobil 1 NSX」、2004年から2009年は「EPSON NSX」の車名で参戦。
参戦初年度の1998年から優勝を飾り(第4戦富士ホンダ勢GT初優勝)、強さを見せたニスモに唯一食らいつきランキング2位。その後も毎年のように優勝を挙げ、2002年にはシリーズ3勝、6号車ルマンと最後の最後までタイトルを争ったが1ポイント届かず再びランキング2位。2003年は参戦以来初めて未勝利に終わるが、メインスポンサーがEPSONに変わった2004年は不調に喘ぐホンダ勢で唯一優勝を飾り、ランキング8位ながらホンダ勢最上位を獲得。この年他のNSX3台が稼いだ合計ポイント17を大きく上回る42ポイントを獲得し、孤軍奮闘を見せた。 2005年よりタイヤをブリヂストンからダンロップに変更。NSX好調で迎えた2007年でもこの年圧倒的な力を見せたARTAには及ばなかったが、最終戦で優勝を飾って最多3度目のドライバーズランキング2位。NSXラストイヤーの2009年こそ振るわなかったが、12シーズンに渡り目覚ましい活躍を収めた。
カーナンバーは2003年まで“64”だった。これは監督の中嶋が1989年オーストラリアグランプリでファステストラップを記録したのが64周目だったことにちなむ[9]。2004年に“32”に変更されたが、これはレースの公式プログラムなどでエントリーリストがカーナンバー順に作られる際に、自チームの掲載位置が後ろの方になるのを嫌がったためという[9]。
2010年から2013年の4シーズンはHSV-010に変更。「EPSON HSV-010」の車名で参戦したが、2010年および2013年シーズンはGT500クラス参戦マシンの中でまさかのシリーズポイント最下位という屈辱を味わった。それ以外の2シーズンもシリーズポイントで二桁順位に沈んでいる。
2014年シーズンからはSUPER GTの車両規則の変更に伴いNSXの発展モデル「NSX-Concept GT」で参戦。車名は「EPSON NSX-Concept GT」。翌2015年シーズン、「スタッフの変更等で心機一転の一年となるため」との理由からカーナンバーを従来の“32”から“64”に戻している[9]。
※ 2008年まで「PIAA NAKAJIMA RACING」、2009年から「NAKAJIMA RACING」のチーム名で参戦
※ドライバー名が強調文字になっているところはシリーズチャンピオン獲得。スポット参戦、サテライトチームなどは除く。
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