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日本の女優、タレント、元AV女優 (1982-) ウィキペディアから
下村 愛(しもむら あい、1982年9月2日 - )は、日本の女優、元AV女優、タレント。
この項目には性的な表現や記述が含まれます。 |
しもむら あい 下村 愛 | |
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本名 | 下村 愛 |
別名義 | 穂花(旧芸名) |
生年月日 | 1982年9月2日(42歳) |
出生地 | 鹿児島県 |
身長 | 156cm |
血液型 | A型 |
職業 | 女優 |
活動期間 | 2004年 - |
事務所 | グランドスラム |
公式サイト | https://web.archive.org/web/20211219011152/https://grandslam.ciao.jp/shimomuraai/ |
主な作品 | |
テレビ 『宇宙刑事ギャバン THE MOVIE』シリーズ 『無垢の祈り』 |
鹿児島県出身。本名は同じ(2015年6月1日の芸名改名時に発表[1]。ただし、それ以前にも、下の本名は愛であることは発表されていた[† 1])。旧芸名は、穂花(ほのか)[† 2]。
プロフィール上の出身地や生年月日については、デビューした頃から、何度か変えている。
出身地は、当初北海道としていた(外部リンクの2006年当時のプロフィールも参照)が、2008年8月頃より鹿児島県としている[3]。2008年8月に初めて北海道でイベントを行った際、プロフィール上の嘘であったことを明かすとともにファンへ向け謝罪している[4]。
生年月日は、デビューした頃は1985年6月20日としていた[5][6]。その後、1983年6月20日[7] に変え、2011年頃からは1982年9月2日としている[8]。
X-CITYでは、デビュー当時から一貫して北海道出身・1985年6月20日生まれとしている。
1982年9月2日、鹿児島県に生まれる[9]。1歳から3歳にかけ、先天性の難病を患っていた兄の看病にあたっていた両親のもとを離れ、宮崎県の親戚のもとに預けられた。2歳の時に兄が他界し、間もなく両親が離婚。穂花は母親に引き取られた[9]。母親は昼夜を通して働いていたため、穂花をはじめ兄弟の面倒は母方の祖父がみていた[10]。兄弟は穂花を含め7人いたが、穂花によると年上の兄弟とは「年が離れていたせいか会話もなく、別の生き物というか、兄弟だけど他人みたいな関係」が続き、弟だけを「私にとっての兄弟」と認識するようになった[11]。
穂花によると、当時母親は多額の借金を抱えていた上に男性関係が激しく、消費者金融の取り立て屋とも交際していた[12]。この人物はしばしば穂花の目の前で母親に暴力を振るい、穂花に「髪の毛を引っぱって、怒鳴り散らす姿を見ても、男の人はそれが普通なんだ」と認識させることになる[13](ちなみに穂花自身、AVデビュー後に「意志とは裏腹に」交際したマネージャーから激しいドメスティックバイオレンスを受けることになる[14]。)。結局、この人物との交際が原因となって母親は祖父から絶縁された[12]。穂花は母親に引き取られることになり、児童福祉施設に預けられた[15]。「自分だけを見てくれる親も保護者もいない」生活を送る中で穂花は、「自我を通すよりも、自分の『居場所』を作るために、大人たちの顔色をうかがうこと」、「自分を守る手段」として「提示された環境がどんなことであろうとも順応していくこと」を身に付けたという[16]。
幼少期、穂花は母親が交際していた消費者金融の取り立て屋によって施設から連れ出され、1年近くにわたって生活を共にしたことがある。これは実際には誘拐であり[17]、しばらくして穂花の母親は警察に捜索願を出している[18]。しかし穂花は、「私に対してだけは、なぜかいつも優しいイメージの人」と回顧する[19] この人物を「お父さん」と呼んで慕っていたため、疑いを抱くことはなく、むしろ初めて味わう「24時間ずっと自分をかまってくれる人がいる」環境に喜びを覚えていたという[20]。男の全身には刺青があり、穂花は刺青をした人間ばかりがいる銭湯に連れて行かれた。このことにより穂花は、「男の人はみんなそれが普通なんだ」という認識を抱くようになった[21]。この生活は、接触を図ろうとした男を母親が警察に通報し、男が逮捕されたことで終わりを告げた[22]。男は誘拐や窃盗の罪に問われ、獄死したという[23]。母親の元へ戻った穂花は男の名前を口にすると不機嫌になる母親らに気兼ねし、やがて男の記憶を封印するようになった[24]。穂花は2010年に発行した著書『籠』において、男との生活の記憶を「映画の『レオン』と重なる感じがある」と振り返っている[25]。なお、男が逮捕された時、母親は警察に通報しながら現場には駆けつけないという行動をとり、その理由について穂花に「自分の身のほうが大事だと思った」と説明した[26]。取り立て屋が逮捕された時、母親は再婚していた[26]。母親だけでなく義父も借金を抱えていたため生活は苦しく、さらに義父から激しいドメスティックバイオレンスを受け続けた[27]。
穂花は著書『籠』において、幼少期から15歳にかけておよそ9年にわたり、家庭内である相手から性的虐待を受けていたことを告白している[28]。性的虐待はフェラチオおよび口内射精の強要にはじまり、強姦しようと首を絞めるといった行為にエスカレートしていった[29]。穂花は母親に被害を打ち明けたが黙殺され[30]、自己防衛のために「反抗期」と映る行動をとるようになった。帰宅が遅いと罰として長時間屋外に立たされる罰を利用し、わざと帰宅を遅らせるようになった[31]。友人と遊ぶのも、「家に帰りたくないから友達といるしかない」ということが最大の動機であったという[32]。穂花によると性的虐待を受けた経験が、芸能界への憧れを抱く原因の一つになった[33]。
とにかく早く大人になって働きたかった。給料をもらってひとりで暮らせるようになりたかった。だから芸能界にも憧れた。目立ちたいとかきらびやかな世界への憧れからじゃない。自分と同じような年齢の子がお金を稼げる世界。親がいなくても生活ができる唯一の手段。もしも、そこに入れたらこの生活から抜け出せる。今の状況から解放される。幼いながら自分の知りえる情報の中で、それが一番、現実的に思えた。テレビに出られたら、イヤなことをすべて忘れて生まれ変われる。それが小学校に入ってから芽生えた最初の夢だった。 — 穂花2010、69頁。
家を出るという目的のため、中学卒業後は寮のある高校へ進学。規律は厳しかったが、「皮肉にも過去の生活環境で身に付いていた処世術」のおかげで大過なく過ごせたという[34]。この時期に、家庭内では母親と義父が離婚する話が持ち上がり、母親は家を出た。このことが原因でストレスをため込んだ穂花はリストカットをするようになった。穂花によると、腕をカッターナイフで切ると「不思議な安堵感」、「何かの免罪符を得られたような感覚」が得られたという[35]。この行為は間もなく同級生に発覚し、常に付き添われるようになったことで収束した[36]。当時の心理状態について、穂花は次のように振り返っている。
リスカとは決別できたけど、心の底に鬱積するものが消えたわけじゃない。結局は自分だけでは解決できない父と母のこと。家族。そのためにまたぬかるんでいく自分の足元。せっかく新たな道を歩んでいるのに、また振り出しに戻ってしまう。いったい、いつになれば……。友達関係のトラブルは周りに話せば多少は気が晴れても、家庭の事情は誰に話したところで、どうにもならない。どれだけ仲がいい友達にも、家庭のことは言えなかった。思えば、昔から学校だけが家のゴタゴタから解放されて、唯一、普通でいられる場所。わざわざ、そこに目を背けたい現実を持ち込みたくもなかったんだと思う。家のことなんてどうでもいい。家には戻らない。そう思えたらまだラクだったかもしれないけど、やはり父の存在がそれを許さなかった。普段から、どこで誰と会うみたいなことまでイチイチ報告しないとものが飛んでくる。とにかく従うしかなかった。 — 穂花2010、89-90頁。
高校卒業後、専攻科に進学。これは、仄かに抱いていた芸能界への憧れを断ち切るための選択でもあった[37]。穂花は高校時代に奨学金の給付を受けていた[38] がさらに専攻科でも給付を受けることとなり、それら債務を解消するために卒業後5年間の病院勤務が義務付けられることになった[37]。穂花によると「25歳までは確実に決められたレールを歩かなきゃいけない」ことに気が滅入ったという[39]。
専攻科入学後まもなく喫煙が発覚し、謹慎処分が科された。学校からは反省文の提出を求められたが、義父から謹慎期間中のあらゆる家事と生活費の捻出を命じられたことで要求された量の半分しか反省文を書くことができず、奨学金給付の打ち切り、および高校入学時からの学費と寮費、およそ800万円の一括返済を求められ、退学を余儀なくされた[40]。この時、穂花は義父から「誰かがトラックか何かに轢かれて死ねば、金が入ってくるんだけどな」という言葉を投げかけられている[41]。穂花は真剣に自殺を考えたというが、専攻科を卒業後勤務することになっていた東京都内の病院の計らいで、その病院に勤務する代わりに専攻科の入学金を除き一括返済はしなくてもよいということになった[42]。
2001年の夏、穂花は上京した[43]。配属されたのは救急対応の精神科であった。穂花によると退学した経緯を知る同僚の態度は当初冷淡で、まもなく精神的に追い詰められた状態に陥りリストカットに走りそうになったが、「次にまた何かで躓いてしまったら、それこそ今度こそ死ぬしかない」という思いから持ちこたえたという[44]。そんな中、穂花はテレビ番組のエキストラにスカウトされた。「一度は諦めた芸能界が向こうから扉を開いてくれた」と喜んだ[45]。当時穂花は鹿児島在住の幼なじみと遠距離恋愛をしていたが、スカウトされた話を聞いた恋人が「仕事を辞めて東京へ行く」と言い出したことで、「私を束縛するために東京に来る」、奨学金返済後自由に生きようとする自分に「災いを起こしかねない男」と感じるようになり、別れを告げている[46]。
2003年、仕事に慣れ、新しい恋人もできた穂花は、「それまでの人生で一番、年相応で一般的な幸せを感じる」生活を送っていた[47]。そんなある日、独立したばかりの芸能事務所の社長を名乗る男からスカウトされた[48]。穂花は警戒しつつも歌手志望であることを告げ、歌を録音したテープを送ったが、「CDデビューは無理」と告げられた[49]。これによってスカウトの話は保留となったが、芸能界デビューをあきらめきれなかった穂花はしばらくして自ら事務所に連絡を取り、歌手以外でのデビューを相談した[50]。穂花によるとこの時水着やグラビアでのデビューを打診され、そのことに同意したところ、事務所側は「契約成立」と告げた後、AVでのデビューを打診したという[51]。穂花はAVの話は断ろうとしたが、なし崩しにヌードグラビアの撮影が行われ、さらにデビューするメーカーが決まったと告げられた[52]。この段階で穂花がAVデビューを断ろうとすると、事務所の社長は次のように告げたという。
だって、契約したよね。口約束でも契約は契約だから。今からだと違約金が発生するよ。イヤだというなら、600万円現金で払ってもらうことになるけど。 — 穂花2010、16頁。
穂花によると、この時、かつておよそ800万円の奨学金の一括返還を求められた時のトラウマが甦り、「正常な思考が鈍ってしまった」という。この時のことを後日、穂花は次のように振り返っている。
今思えば、逃げようと思えば逃げられたかもしれない。誰かに相談していたらはねのけられたことかもしれない。口約束で印鑑を押したわけでもないし、弁護士を立てたりすれば事務所も面倒くさくなって諦めたかもしれない。だけどハタチそこそこの田舎から出てきた小娘だったあの頃は、そこまで考えが及ばなかった。 — 穂花2010、111頁。
穂花によると、自身には「記憶として残したくない出来事は、あたかも自分ではない人物としてとらえる方法」が身に付いており、AVの撮影には「『私』ではなく『穂花』という人格が行けばいい」と割り切ることにしたという[53]。同時に、次のような思いを抱いたという。
そもそもAVのことはすごくバカにしていたし、お金に困ったとしても自ら足を踏み入れるなんて考えたこともない世界。……AVを、「所詮ただのSEXでしょ」とは割り切れなかった。そもそも、なんでAVなんてものが存在するのか理解しがたかった。プライベートでどんなSEXをしようとそれは人の自由。それは相手との個人的なSEXであって見世物じゃない。でもAVは、見ず知らずの人のためにするSEX。……AVをやってる子に対しても「単純にお金が欲しいだけなんでしょ」って、一般の女の子が普通に思う考え方。それをやるということは、自分も、その軽蔑していた人たちと同類に思われるはずだ。 とうとう堕ちるとこまで堕ちたなと思った。 — 穂花2010、21頁。
初めての撮影を終えて帰宅した後、穂花は「悔しさ、自分の無力さ、いら立ち……どんな言葉でも言いつくせないやり場のない感情をどこにも吐き出すことすらできず……ひと晩中泣き続けた」という[54]。デビュー作が発売される直前、穂花は恋人に事実を打ち明け、「私のこの人生の中に彼を巻き込むことはできない」という思いから別れを告げている[55]。病院も、「実家に戻る」という理由で退職した[56]。
AVデビューに際し、最低3本に出演して300万円を稼げばCDを自主製作するという話があったが、レコード会社の担当者から肉体関係を求められ拒絶したところ話は立ち消えとなった[57]。この時、事務所の社長からは次のように告げられたという。
しかし6本目の撮影終業後、当初から12本撮影する契約が結ばれていたことが発覚。穂花は激高し、AVの仕事を辞めると告げた。この時、穂花が「残りの6本をどうするのか?」と事務所社長を問いただしたところ、「以前、私に言ったことなど忘れたように」、次のような答えが返ってきたという[58]。
口約束だから解除することもできる。 — 穂花2010、25頁。
紆余曲折経て、穂花は「AV女優・穂花」のままでは終われないという心境に至り、トップ女優を目指すことを決意[59]。2007年、日本アダルト放送大賞女優大賞を受賞した。この時、「私のAV人生はやっと終った」という喜びを感じたという[60]。
2008年12月、穂花はAV引退を宣言した[61]。その際、引退までの出演作品をウィキペディアの記事を参照して数えたという[61]。
2008年末、かつての事務所社長から次のようなメールが届いた。
女優になりたいのもわかるけど、やっぱり心配なんだよ。この先、本当に芸能界で生きていけるのかが。オレはひとりの女の子の人生を狂わせてしまった責任がある。だから芸能界で成功させてあげないとオレの気持ちが許さないんだ。 — 穂花2010、147頁。
この言葉について、穂花は次のように述べている。
確かにその通りだ。社長のおかげで私の人生はおかしくなった。ずっとこの過去は消えない。でも私は知っていた。……AVを自ら続けると決めたあの日から今日まで、あなたが何度反省していたかを。だから社長を許そうと思えた。 — 穂花2010、147頁。
AV引退後は女優として活動することを決めた。きっかけはAV引退前に出演した短編映画の撮影の際、監督に「穂花さんをキャスティングしてよかった」と言われたことにあるという[62]。
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