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1980~2010年代に日本の兵庫県尼崎市で発生した連続殺人・死体遺棄事件 ウィキペディアから
尼崎事件(あまがさきじけん)とは、2012年(平成24年)10月に兵庫県尼崎市で発覚した連続殺人・死体遺棄事件。1987年(昭和62年)ごろに発生した女性失踪事件を発端に、主に暴行や監禁などの虐待により死亡したとされる複数名の被害者が確認されている。報道では尼崎連続変死事件などとも呼ばれることが多い。
この項目には暴力的または猟奇的な記述・表現が含まれています。 |
この事件の主犯格とされる女性は、少なくとも25年以上もの間、兵庫県尼崎市南東部で、血縁関係にない者で疑似家族を築きながら多人数で共同生活を営んでいた。そして、1987年ごろの当時、女性(A)が失踪したことを発端に、複数の不審死や失踪事件が相次いで発生していたが、長年にわたり事件が表に出ることはなかった。
しかし、2011年(平成23年)11月に監禁されていた40代女性(Fの長女)が監禁状態から抜け出し警察に駆け込んだことで、Fの長女に対する傷害容疑で逮捕され、次いで、その女性の母親(F)の死亡事件が発覚した。さらに、この事件を端緒に捜査は進められ、2012年10月に別件(Cの母年金窃盗事件)で逮捕されていた従犯者が全面自供したことで、ようやく一連の事件が明るみに出ることになった。この直後の2012年12月、Xは、事件について多くを語らないまま、兵庫県警本部の留置場で自殺した。
従犯者の供述をもとに、事件の捜査を続けてきた兵庫・香川・沖縄の各県警による合同捜査本部は[注 1]、2014年3月に解散し、捜査は事実上終結した。確認された8名の死亡者のうち6名について、殺人や傷害致死の容疑などで、Xやその親族など11名が起訴され[1]留置場で自殺したXを除き10名に裁判が開かれた。また、現在もXの周辺で3名の行方が判明しておらず、1名はXによって死亡したとされるが遺体が発見されておらず、他2名についてはXから逃れているために行方不明となっており公開手配されている。
数ある大量殺人事件の中でも逮捕、書類送検者の数が17名と多く、その中には被害者の子や姉妹といった親族や一連の事件が原因で殺害したものも含まれていることが、この事件の大きな特徴の一つである。また、些細な弱みにつけこんで恫喝・脅迫して家族全体を支配する、いわば「家族乗っ取り」を複数回起こしていたことも明らかになった。そこでは、多くの人々が親族間での暴力を強要されたり、飲食や睡眠を制限されるなどの虐待があり、さらには、財産を奪われたり、家庭崩壊に追い込まれるといった被害を受けていたことも明らかになった。逮捕、書類送検者には、そういった事情により、Xに取り込まれ、疑似家族の仲間となったり、否応なく事件に関与せざるをえなくなった人物も多く含まれている。また、親族と養子縁組をさせられたり、強制的に結婚させられたりするなど親戚になった者が多数いる。
(逮捕・書類送検者あるいは死亡・行方不明者のみ)
Xが複数の「家族乗っ取り」をする過程で親族と養子縁組を繰り返して形成された「家族」で、この中に血縁を持つものはいない
Aと子供3人が実家を間借りして生活していたことがある。1980年代中ごろまでに、再び家族4人で共同生活を始める。
1998年3月ごろ、Bの伯母の葬儀をめぐってXは難癖をつけ、親族を巻き込んで金銭を要求した
Cが多額の借金を抱えていたことから[22]、中学時代の知り合いであったIの内縁の妻であるXと関わることになる。また、Cの元妻の連れ子Kの面倒をCの妹Dが見れなかったとしてD宅にも押し入って虐待を加え金銭を要求した。
当時、大手私鉄会社に勤めていたEが、クレームに対応したことがきっかけでXがE一家やEの妻の母親Fの家庭事情に口を挟むようになる。
Aの長男は10代のころにXと知り合い、成人後、家族同然の付き合いをさせられていた。1982年ごろ、A長男は姉に連れられて熊本に逃げたが連れ戻され、以降は姉やAの次男、Aと共にXと同居させられた[25]。A長男は同居後は姉や母が虐待されるのを見ていたが止める事は出来なかった[25]。
Aは2006年にH(Aの長男の戸籍上の妻)による失踪宣告申し立てにより1994年5月に66歳で戸籍上死亡扱いとされているが、逮捕者らの供述によると、Aは1987年ごろにXの自宅などで家族らから暴行を受けて死亡し、尼崎市の海に遺体を遺棄されたという[27]。
2014年2月にこれらの供述に基づいて、遺体が遺棄されたとされる現場を捜索したが、発見には至らず、捜索は打ち切られた。なお、この事件では殺人罪の公訴時効が成立していると思われる。
1998年3月、X伯母[注 3]にあたる人物の葬儀がBらにより行われた。その葬儀に関して参列していたXが「段取りが悪い」などとBらに難癖をつけてきた[51][52]。XはBだけでなく、滋賀県や京都府に住んでいたBの息子夫婦・Bの兄らを頻繁に尼崎市内のBの家などに集め、問題解決のための会議をさせた。Xは暴力団の存在をほのめかしつつ、威圧的に会議を取り仕切る一方で、けがをした人物の世話をしたり、借金を抱えていた人物の相談に乗る[53]など、B家親族への影響力を強めていった。
さらに、親族らに互いの不満を言い合わせるようになり、やがて親族同士で暴力や虐待を行わせるようになる。最初に矛先となったのはBで、叩かれたり、長時間立たされたり、飲食の制限をされるなどの虐待を受けていた[54]。暴力や虐待を加えていたのは主に息子達で、Xは指示するのみで直接手を出すことはなかったという[55]。
Bの孫らもXに呼び出され[56]、しばらくするとXと親しくするようになり、親には反抗的な態度をとるようになった。Bの息子夫婦らは自身の子供を人質にとられた状態になり、一層Xとは隷属的な関係に陥ってしまったとされる[57]。
こうして支配を強めていったXは様々なことを口実にして息子らに退職を強要したり[58]、家を売らせた[51][59]。ある親族の借金の肩代わりと称して、葬儀トラブルとは無関係の高知市の親類がXらに押しかけられてやむなく千数百万円を渡したという話もある [60][61]。
やがてB家親族らは兵庫県西宮市に団地を借り、そこで集団生活をさせられるようになる[62][59]。また、そのころXはBの息子夫婦を次々に離婚させ、さらには孫のうち2名を養子にしている[63][64]。集団生活から脱走する者も続出したが、その多くは他の親族らに居場所を発見され、連れ戻されていたという。
このB家乗っ取り事件のさなか、親族らからの暴行や飲食制限などの虐待を受けていたBが1999年3月に病死している[55][53]。
2000年にB家親族らとXによる窃盗事件が発覚した際にこの死亡に関しても捜査が行われたが、死亡診断書に外傷などの特異事項の記載がなかったため立件されなかった[31][32]。
1999年12月20日には、Bの長男の長男が当時軟禁されていた兵庫県西宮市の団地から転落死した[33][65]。「親族会議」の最中に突然走り出し、飛び降りたとの証言もある。
2000年にB家親族らとXによる窃盗事件が発覚した際にこの死亡に関しても捜査が行われたが、不審な点は見当たらなかったとして事件化されることはなかった[31][32]。
こういった異常な状況に対し、虐待の事実を知った近隣住民が警察に通報することもあったが、被害者がXによる身内への報復を恐れて被害を訴えようとしなかった。また、被害者の中には警察に何度か相談する者もいたが、親族間の揉め事と処理されるなどして一度も事件化されることはなかった[66]。
Bの甥(Bの兄の息子にあたる人物)は警察にXらの捜査させるために刑事事件を起こすことを考え窃盗をすることを持ちかける[67]。Xはその話に乗り、B家親族らに窃盗をさせるようになった。そして2000年1月、Bの甥は警察に窃盗行為を告白し、XとB家親族らは窃盗容疑で逮捕され、窃盗の罪で起訴されたXは懲役3年執行猶予5年の有罪判決を受けた[31][68]。この逮捕により、B家親族らは、Xから解放されることとなった[31]。ところが、養子縁組をしていたBの孫2名のうち、1名は縁組を解消したが、もう1名Bの四男の三男であるMはそれ以降もXとの養子関係を解消せずに、一連の事件終結まで共同生活を続け、殺人罪などで起訴されている[64](Bの四男の三男の欄を参照)。
多額の借金を抱えていたCは中学時代の知り合いだったIと再会し、Iの内縁の妻であるXと知り合った[68]。2002年ごろ、CはCの弟とK(Cの元妻の連れ子)と共にXのマンションでXらと共同生活をはじめた[69]。2002年11月にはCはXにより学校用務員の仕事を辞めさせられ、退職金の多くをXに奪われた[35][36]。
2003年2月、XはKの面倒を誰が見るかを親族会議をして、その結果香川県高松市のD家に嫁いでいたCの妹Dが面倒を見ることになり、2003年2月4日D夫妻がKを連れ帰った。一方でXはKに無理難題を言ってD夫妻を困らせるよう指示を出し、KがD宅で暴れたためDはXにKを引き取るよう泣きついた[70][29]。
XはKを預かることができなかったことに対して怒り、自分の身内やDの親族(Cの母やC・Cの弟・Cの妹など)ら10人ほど連れて高松市のD宅に押しかけてきた。Dの家に居座り始め、Kの面倒を見ることができない代償やCの借金問題を口実に、金を工面するよう求め、D家の親族も集めて会議をさせた[71]。会議においてXは主にD夫妻やC母、C妹に責任を求め、この時Cはすでに金を持っていなかったため詰め寄られず、Cの弟もXらの言いなりになっていたためXらに責められることはなく[71]、C母・D・C妹はKだけでなく親族であるCやC弟にも殴られた[72]。その対象は最初はCの母が主に受け、その後Dに変わっていったという[73]。当時78歳だったC母は長時間正座させられたり食事制限されたり寒い中1人廊下に出されるなどの虐待を受けたという[73]。また、当時20歳のDの長女と17歳のDの次女Nも両親への暴力を強要され、やがて、NはXに心酔するようになり、通っていた名門高校を中退した。
D家は、親戚からかき集めるなどして、約2000万円をXに渡した。さらに、話し合いの末にD夫妻は離婚することになり、D夫が親戚から借り集めたD夫からDへの「慰謝料」はそのままXの手に渡った[74][21]。「慰謝料」を受け取ったXらは40日程居座った高松市のD宅を後にし、尼崎に引きあげた。Dは娘2人を連れて尼崎市に転居したが、直後にはXのもとで生活をしていたようであるという[75]。
Xらが高松から尼崎に戻ってきた2003年3月6日、自宅マンションで飲食制限などの虐待や暴行を受けていたCの母が急死した[29][76]。遺体は高松市のD家の家屋に隣接する倉庫の床下地中に遺棄された。2012年12月に逮捕者の供述に基づき、遺体が発見される。
この事件では、X、K、C(被害者の長男)、Cの弟(被害者の次男)、Cの妹(被害者の次女)、Cの甥(被害者の孫)、D(被害者の長女)、Dの長女(被害者の孫)、Dの次女N(被害者の孫)が共謀してCの母を死亡に至らせたとして、傷害致死容疑で書類送検されたが、傷害致死罪での公訴時効が成立しており、いずれも不起訴処分になっている。
それから一月ほど経った2003年5月、高松市で一人で暮らすDの元夫のところへ、Xが「Dがだらしないから迎えにこい」と電話をかけてきた。Dの元夫が尼崎に出向いてDを高松に連れて帰ると、その直後にXがD家長女と次女Nを伴いやってきた。D長女とNは尼崎でXに挨拶をしていなかったとD元夫妻を責め、暴行を加えた。さらに、Xは身内やK、そしてC家の親族を高松に呼び寄せ、D家に再び居座り始めた[77]。
D元夫妻は再び金銭を要求され、暴力、虐待を受けた。暴力を振るっていたのは、主に娘やKだったという[78]。D元夫の兄が心配してD宅に現れたが、軟禁状態にされ、しばらくすると、弟であるD元夫に暴力を振るうようになっていった[79][80]。
こうした状況に対して、被害者やその親族・近隣住民らからの警察への通報・相談は合計36回あったが、主に暴力を振るっていたのが娘ら身内であることから被害届を出すのに消極的だったり、また、金銭問題などは親族間の問題としていずれも事件化されることはなかった[81]。
2003年8月、D元夫は監視の隙をついて、DとD長女を逃がしたが、D長女は途中で発見され、連れ戻されてしまった[82]。以降、さらにDの元夫への暴力は酷くなり、身の危険を感じたDの元夫は一旦、家を離れることを決意し、9月に家を出て、親類宅などに避難した[83]。Dの夫は標的を失ったXらが娘らを解放して尼崎に戻るのではないかと考えていたが、しばらくしてから戻ってみると家はもぬけの殻になっていた。Xは10月ごろ、Dの長女、Dの次女N、Dの夫の兄を連れて尼崎に引き上げていた。
D元夫の兄は尼崎の自宅マンションでXらと同居するようになってしばらく経った2004年1月、食事制限などの虐待や暴行を受けた末に死亡したとされる。遺体はC家母の家の床下地中に遺棄された。2012年10月に逮捕者の供述に基づき、遺体が発見される。
この事件では、X、H、I、M、J、Cの弟、D家長女(被害者の姪)、N(被害者の姪)が共謀してD元夫の兄を死亡に至らせたとして傷害致死容疑で書類送検されたが、司法解剖で死因が特定できず、虐待行為の詳細が解明できなかったことから嫌疑不十分で、あるいは被疑者死亡により、いずれも不起訴処分になっている。
2005年3月、Xらは総額4950万円を超える多額の借金などによる困窮を打開するため、A家長男を事故死に見せかけて殺害することで生命保険金を得ようと計画した[2]。XはA家長男に自転車に乗って対向車線に飛び出すことで事故死に見せかけて死ぬことを命じ、Kが現場に同行したが、A家長男はこれを実行に移すことができなかった。Xはこの制裁として、3日間にわたって食事を与えず、暴行を加えた[2][29]。A家長男に車の前に飛び出す事はできないが高いところから飛び降りることなら出来ると言わせたXらは、同年6月上旬、観光旅行を装って沖縄県にA家長男を連れ出した。6月30日、沖縄県国頭郡のロッジにてA家長男と「死別の挨拶」を交わした。翌7月1日、A家長男のネックレスなどを遺品分けとして譲り受けた上で、Hを撮影者役として記念撮影を装ってA家長男に背を向ける形でKらが並んで立つ事でA家長男を飛び降りさせて死亡させた[2][25][29]。これにより生命保険金合計5000万円を騙し取った[2][25][29]。また、被害者が名義上所有していたXの自宅マンションの残りローン約3000万円も完済された[85]。
この事件では、X、H(被害者の戸籍上の妻)、I、M、J、K、Cの弟、Nら8名が共謀してA家長男に自殺を強要して殺害し、A家長男にかけられていた保険金を詐取したとして、死亡しているXとC家次男を除く6人が殺人と保険金詐欺で逮捕、同罪で起訴されている。X、C家次男の2名(いずれも死亡)は、同容疑で書類送検された[86]。
共に虐待を受けていた元夫の助けを借りて2003年8月に脱走に成功していたDは、その後、和歌山県のホテルで住み込み仲居の仕事をしていた。ところが車を購入するために住民票を移したことで、Xらに居場所を特定され、2007年12月、X、K、I、M、J、D家長女、N、Lはホテルの社員寮に押し入り、Dを脅迫した上でX宅に拉致した[2][25]。
この事件では、X、H、I、M、J、K、L、Dの長女(被害者の長女)、N(被害者の次女)ら9人が、身体に危害を加える目的でDを尼崎に連れ去ったとして、既に死亡しているXとD家長女(被害者の長女)を除く7人を生命身体加害略取容疑で逮捕した。I、M、J、K、N(被害者の次女)が同罪で起訴され、Hは同幇助罪での起訴、そして、Lは「従属的な立場だった」として不起訴処分(起訴猶予)になっている。また、既に死亡しているX、D家長女(被害者の長女)ら2名が、加害目的略取容疑で書類送検された[86]。
2008年3月、Xから「Dの態度が悪く腹が立つ」などと言われたKはDの頭を激しく振るなどの暴行を加えて急性硬膜下血腫の障害を負わせた[2]。Dは意識を回復する事なく、この時負った障害に基づく遷延性意識障害に起因する肺炎で2009年6月22日に死亡した[2]。
この事件では、X、K、L、D家長女(被害者の長女)、Nの5名が共謀してDに暴行を加え死亡に至らせたとして、K、L、N(被害者の次女)が傷害致死容疑で逮捕された。しかし、N(被害者の次女)、Lは「死に直結する暴行ではなかった」として不起訴処分になり、Kのみが同罪で起訴されている。また、既に死亡しているX、D家長女(被害者の長女)ら2名が同容疑で書類送検された。
2008年6月ごろ、D家長女はLとともにXらからの虐待に耐えかねて沖縄県まで逃げるが、2008年7月ごろに発見されてX宅に連れ戻された。逃走の制裁として自宅マンションのベランダに設置していた物置に監視カメラをつけた上で半袖シャツ姿にしたD家長女とLを閉じ込めた[2][25][29]。Lは忠誠を誓って許されX宅で普通に暮らすことを許されたが、D家長女に対する監禁は継続され、D家長女は暴行を加えられるなどして衰弱していった[2]。2008年12月8日ごろ、D家長女は低体温症により死亡した[2] 。遺体はC家母の家の床下地中に遺棄され、2012年10月に逮捕者の供述に基づき、遺体が発見された。
この事件では、X、H、I、M、J、K、L(被害者の夫)、N(被害者の妹)の8名が共謀してD家長女を殺害したとして、既に死亡しているXを除く7人が殺人と監禁容疑で逮捕、同罪で起訴されている。また、Xは同容疑で書類送検された[86][90][91]。
このDの長女が監禁されていたさなかの2008年11月5日ごろ、J・N夫婦の長女(Xの孫)にGが暴言を吐いた[25] ことを知ったXは謹慎を命じ、その後無断で謹慎を破って外出した制裁としてGを同時期にD家長女が監禁されていた物置に監禁した。その後Gは11月10日に死亡した[2][29]。遺体はC家母の家の床下地中に遺棄された。2012年10月に逮捕者の供述に基づき、遺体が発見される。
この事件では、X、H、I、M、J、K、L、Nの8名が共謀してGを監禁し暴行を加え死亡させたとして、既に死亡しているXを除く7人が傷害致死と監禁容疑で逮捕された[92]。しかし、監禁期間が1週間程と短期間だったことや、食事も与えられていたことに加えて、被害者には高血圧症や心臓肥大などの持病があり、「病死の可能性が高く、虐待行為で死期が早まったと言えない」などとして、逮捕者7名全員が傷害致死罪については嫌疑不十分として不起訴処分になり、監禁罪のみで起訴されている。また、既に死亡しているXが傷害致死と監禁容疑で書類送検された。
2009年4月、Xが「孫の乗ったベビーカーが車両のドアに挟まれた」と鉄道会社にクレームをつけた。これに対応したのが、当時その会社に勤めていたEだった[95]。Eは上司と一緒に何度もXの自宅マンションに謝罪のために足を運んだ。Xは話し合いの場にKを同席させ、「この子は元ヤクザ。怒らせると何するかわからんで」と脅かす一方で、Eが話し合い中に一度も時計を見なかったことを褒める[96]などして、徐々にEを取り込んでいった[97]。やがて、Eは家族や将来の夢などプライベートな話をXにするようになり、妻や2人の娘とともに、家族ぐるみで付き合うようになった[98]。
しかし、XはEの日頃から抱いていた喫茶店を開きたいという夢を聞き出すと、Eにその夢を実現させる為として執拗に退職を迫るようになった[99]。Xらに会社にまで乗り込まれるなどされて、2010年4月にEは退職した。その後もXのE家への過剰な干渉は続き、E夫妻を頻繁に呼び出し、Eが退職前に妻としていた事前の約束を破って競馬をしていたことや、浮気話をEの妻から聞いたXは、二人に離婚を迫るようになった[100][101]。そのことでE家夫婦家族やE妻の母Fが住んでいた尼崎市内の二世帯住宅にF家長女(Eの妻の姉)やEの親族らも集められ、家族会議が開かれた。Xが会議を取り仕切り、2010年11月に二人は離婚した[102][103]。
離婚後もXの干渉は続き、EをXの自宅マンションに隣接するワンルームマンションに引っ越させ、離婚のことで近所に変な噂がたっていると理由づけて、二世帯住宅に住んでいたEの妻や子供達を転居させた[102][103]。Xはその後再び親族らを集め、子供の養育問題について家族会議を開かせた。家族会議は連日行われ、徹夜で開かれることもあった。会議では些細なことでE元夫妻が吊し上げられ、時には飲食の制限などの虐待や、親族同士で暴力を振るわせることもあった。また、この会議では親族関係にないXやKも、Eらに暴力を振るうことがあったという[104]。そうしているうちに、2011年当時小学6年生と小学4年生だった2人の娘はXに懐き、Xの自宅マンションで暮らすようになり、両親を敬遠するようになっていた[105]。
2011年6月、東京の親類のところへ身を隠していたFが連れ戻された[106][107]。EのワンルームマンションでE元夫妻、Fの長女、F、そしてEの次女ら5人で共同生活をさせ、子供の養育費の捻出や二世帯住宅の処分などについて話し合いをさせた。Eの長女だけはXに優遇され、Xの自宅マンションで起居した[106]。
このE・F家の乗っ取りのさなかの2011年7月25日、Xが財産目的で介入していた家族から預かっていた女児の胸をA家次男が触ったことに怒ったXはKらと共にA家次男に暴行を加えベランダの物置に監禁した[2][25]。X、K、Lらがさらに暴行を加え7月27日にA家次男は死亡した[2]。XらはA家次男の遺体を尼崎市内の倉庫に運び、ドラム缶に入れた上でセメントを流し込んで放置し、その後11月4日ごろに倉庫から運び出してドラム缶ごと岡山県備前市の海中に投棄して遺棄した[2][25][29]。2012年10月に関係者らの証言に基づき、遺体が発見された。
この事件では、X、H、I、M、J、K、L、Nの8名が共謀してA家次男の死体を遺棄したとして、死体遺棄容疑で逮捕、同罪で起訴された[86]。さらに、共謀してA家次男を殺害したとして、殺人と逮捕監禁容疑で、X、H、I、M、K、L、Nら7名の逮捕するが、Xはその後に自殺したため、被疑者死亡で不起訴処分になり、それ以外の6名が同罪で起訴されている(死体遺棄罪で起訴されたJは、死亡前後、岡山県に滞在していたため、死亡事件への関与は認められなかった)[86]。なお、H、I、Mの3人は、裁判では殺人罪は成立せず傷害致死罪が成立すると認定された。
一方で、E・F家では睡眠・食事・トイレはXの許可が必要になり、それを守らなかったり、家族会議の発言内容次第で、他の親族やXらに暴力を振るわれた。やがて、虐待されている者同士で互いを監視するような状況になったという。そしてFに暴力や虐待が集中するようになり、Fは2011年9月11日に死亡する。遺体は、EとKでドラム缶にコンクリート詰めにされ、内縁の夫Iが借りていた貸倉庫に放置され、2011年11月に逮捕者の供述に基づき、遺体が発見された[108][109]。
この事件では、X、E(被害者の次女の元夫)、F家長女(被害者の長女)、Eの妻(被害者の次女)、Kら5名が共謀して死体を遺棄したとして死体遺棄容疑で逮捕、同罪で起訴されている[110]。さらに、X、E(被害者の次女の元夫)、Eの妻(被害者の次女)、F家長女ら4名が共謀してFを殺害したとして殺人と監禁容疑で逮捕されたが、殺人を裏付ける十分な証拠がないとして殺人罪の適用は見送られ、傷害致死と監禁罪で起訴されている。
Fの死亡後は、Fの長女に暴力が集中するようになった。10月30日未明、Fの長女は車の中でXやEから何度も顔を殴られたり、タバコの火を押し付けられるなどの激しい暴力を受け、手足をテープで縛られ、ワンルームマンションに閉じ込められた。Fの長女は、寝入っている監視役のEの隙をうかがい、手足のテープを噛み切って2階の窓から飛び降りて逃走した。そして、大阪市内のホテルに数日間宿泊し、11月3日に大阪市内の交番に駆け込んだ。自身が受けた暴力や、Fが死亡したことを警察に話し、話に信憑性があると判断した大阪府警は兵庫県警に連絡した[111][112]。
一方、Fの長女の逃走後、事件の発覚を恐れたXは、全ての罪をなすりつけるために、Eに遺書を書かせ、元妻と次女とともに、車で海に飛び込み自殺をさせようとしていた。11月4日夕刻、E元夫妻は自殺を決意し、次女と尼崎市内のスーパーの駐車場に止めた車の中にいた。並んで止めた車には、自殺を見届けるためにXとKがいた。そこへ、行方を捜していた兵庫県警が駆けつけ、間一髪のところで3人を保護した。そして、XとEは、Fの長女への傷害容疑で逮捕された[113][114]。
2011年11月7日、兵庫県警が尼崎市内の貸倉庫でFの遺体が入ったドラム缶を発見、同月26日にFへの死体遺棄容疑でXらを逮捕。2012年2月8日にはFへの殺人、監禁容疑でXら再逮捕[115]。この報道を受けて、Dの夫が神戸地検尼崎支部に駆け込み、紹介された警察にこれまでの経緯を説明[116]。
2012年8月、偽名を使って尼崎市に潜伏していたCを兵庫県警の捜査員が発見。Cの証言からHとNがCとCの母の年金を無断で引き出したことによる窃盗容疑で再逮捕された。この再逮捕での取り調べ中の9月、Hがこれまでの殺人・死体遺棄について自供した。NもHの自供内容を認めた[38]。
10月、尼崎市のC母宅床下からD長女、Dの夫の兄、Gの遺体が発見される。同月30日には岡山県の海からA次男の遺体が発見され、12月3日には高松市の農機具小屋でC母の遺体が発見される。同月5日、A次男への殺人・逮捕監禁容疑でXら7人を再逮捕[115]。
12月12日、Xが兵庫県警本部内で自殺[115]
2013年2月3日、D長女への殺人・監禁容疑でK、Iら7人を再逮捕[115]。
3月6日、Gへの傷害致死、監禁容疑でK、Iら7人を再逮捕[115]。
5月21日、A長男への殺人容疑でK、Iら6人を再逮捕[117]。
6月26日、A長男の保険金詐欺容疑でH、Kら6人を再逮捕[117]。
9月25日、Dへの傷害致死等の容疑でKら7人を再逮捕[117]。
この一連の事件では、特に前述の3件の家族乗っ取り事件で、被害者やその親族、近隣住民など、合計約50件にものぼる警察への通報や相談があったが、その多くは、身内同士の金銭トラブルや暴行などの事案ということで、事件性がない、などとして適切な対応がとられることはなかった。
一連の事件発覚後にその点が問題視され、香川県警と兵庫県警が当時の警察対応について検証し、不適切なところもあったことを認め、関係者に謝罪している[149][150]。
一連の事件発覚後の2012年10月下旬、Xとする顔写真が複数のテレビや新聞雑誌などで報道されたが、後に別人だと判明し、謝罪や訂正が行われた[151][152]。
その後、2012年11月7日に兵庫県警がXの顔写真を報道各社に公開したが、その際の説明では「顔写真の公開によって、新たな被害申告や情報提供につながる可能性がある。今回は例外的なケース」「間違って報じられた方への名誉の回復にもなると考えた」と、誤報道問題を写真公開した理由の一つに挙げている[153]。
また、TBSではD家次女として事件と無関係の別人の顔写真を一時期報道していたことがあり、謝罪している[154]。
2012年12月12日午前6時20分ごろ、兵庫県警本部の留置場にて、Xが布団内で長袖Tシャツを首に巻きつけ、自殺を図っているのが発見され、病院に搬送後、死亡が確認された[155]。
一連の事件が発覚した2012年10月以降、弁護団や留置係の警察官らに「生きていても意味がない」「死にたい。どうすれば死ねるのか」などと自殺をほのめかす発言を複数回していたという[156][157]。逮捕後、主犯とされる容疑者が死亡したことにより、この事件の真相解明は極めて困難な状況になったと言える。
なお、Xの遺体を引き取る親族はおらず、2012年12月19日に神戸市によって火葬されている[158]。
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