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ウィキペディアから
ルノー・スポール(Renault Sport)は、フランスの自動車会社、ルノー内にかつて存在したスポーツモデルの開発とモータースポーツ運営組織である。
種類 | 自動車 |
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所持会社 | ルノー |
使用開始 | 1976年 |
使用終了 | 2021年 |
ウェブサイト | https://renaultgroup.com/ |
ルノーは会社発足以降、1900年代から技術の向上を目的にモータースポーツへの参加を積極的に行っており、第二次世界大戦後もアルピーヌやゴルディーニなどのチューナーを通じてル・マン24時間レースやラリーなどに積極的に参戦していた。
しかしながら独立したモータースポーツ専門部署を持たなかったルノーは、1969年にゴルディーニを買収。1973年にはアルピーヌも買収し、事実上のモータースポーツ部門として同社で競技車両を生産した。1976年にはアルピーヌの本社のあるフランス・ディエップにルノー・スポールを設立し、これにゴルディーニを統合した。アルピーヌは存続し、ルノー・スポールの一部の車両の開発を担った。
その後はモータースポーツで培った技術を市販車にフィードバックさせ、エンジンやサスペンション、トランスミッションなどを独自にチューンした「ルノー・スポール」バージョンを製作する一方、ウインドの開発も担当している。また一部車種の「GT」グレードの足回りも、ルノー・スポールが開発を行っている。
2021年5月1日をもって「アルピーヌ」ブランドと統合され[1]、ルノーにおけるモータースポーツ部門は「アルピーヌ」ブランドに一本化されることになり、「ルノー・スポール」の名称は消滅した。
F1やル・マン24時間レースなどの耐久レース、ラリーなど様々なカテゴリーで常にトップクラスの活躍を繰り広げ、2005年と2006年には2年連続でF1のコンストラクターズタイトルを獲得するなど、様々なカテゴリーで数々のタイトルを獲得した。
2005年と2006年にF1のタイトルを獲得したルノーF1チームは旧ベネトン・フォーミュラを買収して社名変更した法人であり、ルノー・スポールとは同じルノー・グループ内であるが別法人である。
フォーミュラカーについてはF1以外にも、初級フォーミュラの「フォーミュラ・ルノー」や、中級フォーミュラの「フォーミュラ・ルノー3.5」(2005年にフォーミュラ・ルノーV6・ユーロカップとワールドシリーズ・バイ・ニッサンが統合され発足)を各国で展開していた。古くからF3へのエンジン供給による参戦も続けている他、F1の次に位置するカテゴリーであったGP2にもエンジン供給を行うなど(実際の供給業務はメカクロームに委託)、ヨーロッパのモータースポーツにとって欠かせない存在となっていた。しかしF1がスーパーライセンス取得条件にポイント制度を導入すると、国際自動車連盟(FIA)の直系ではない一連のフォーミュラ・ルノーシリーズは力を失い、ルノーは下位フォーミュラから撤退した。
2014年からはDAMSとの提携でフォーミュラEに初年度から参戦。第一期のワンメイクシャシーのSRT 01Eにはダラーラとともにルノーの名が冠されていた。ルノーは第一期~第三期のチームタイトルを3連覇し、第二期にはセバスチャン・ブエミがドライバーズチャンピオンにもなっている。第五期にはルノー傘下の日産と入れ替わる形で撤退しているが、ノウハウや技術の大部分を引き継いでいる。
1950年代からアルピーヌやゴルディーニなどのチューナーを通じ、4CV、A110やA210、A441などでル・マン24時間レースに参戦し、数回クラス優勝していたが、1978年のル・マン24時間レースにターボエンジンを採用したグループ6仕様の、アルピーヌ・ルノー A442B(ディディエ・ピローニ/ジャン-ピエール・ジョッソー組)で、ポルシェ・935や936などの並み居るライバルを破り、念願の総合優勝を飾った。目的を果たしたルノーはこの年限りでF1に注力するために撤退した。
その後もル・マン24時間レースなどの耐久レースには、エンジンの供給やプライベートチームの参戦のサポートにより散発的に参戦している。近年はフランスのシグナチュール・チームを支援して『シグナテック・アルピーヌ』としてLMP2クラスにエントリーし、2016年の世界耐久選手権と、ル・マン24時間でクラス優勝を果たした。
1950年のラリー・モンテカルロでの4CVのクラス優勝以降、1960年代後半から1970年代前半にかけて、ルノー8をベースにアルピーヌが製作したアルピーヌ・ルノーA110や、ゴルディーニが手を加えたルノー8・ゴルディーニが世界中のラリーで活躍した。特に1971年のラリー・モンテカルロでは、前人未到の1-2-3フィニッシュを達成した。その後も1970年代後半から1980年代中盤にかけて、「フランスの英雄」とまで言われた伝説的ドライバー・ジャン・ラニョッティがドライブする5ターボが数回優勝を飾る活躍を見せたが、タイトル獲得には至らなかった。
その後空白期間を経て、F2キットカーでフランス国内でプジョーと死闘を繰り広げた。同時期にWRC併催の2.0Lカップでは最終年にチャンピオンを獲得。
00年代に入ってジュニアラリー世界選手権(JWRC)にスーパー1600規定のクリオを供給し、2度チャンピオンマシンとなった。2013年にはERC(ヨーロッパ・ラリー選手権)に前輪駆動ながらグループN4のルノー・メガーヌ RSで、同選手権のプロダクションカップに参戦した。グループRally規定のクリオも2022年現在まで開発・販売を続けており、ワークス参戦こそ無いが、常にラリーへの関わりを持とうという意志が感じられる活動を続けている。
ダカール・ラリーでは2013〜2018年に、ダスター(地域によってはダチアブランドでの販売)によりプロトタイプ規定のグループT1車両で参戦したが、良い結果は残せなかった。
ルノーはプライベーターによってダカールの四輪総合優勝やクロスカントリーラリー・ワールドカップのタイトル獲得を果たしたことはある(ルノー・20 4x4のマロー兄弟や、1997〜2002年にルノーが支援した「シュレッサー・バギー」)が、ルノー・スポールとしては優勝経験はない。
1990年代のスーパーツーリングでは、F1で当時関わりのあったウィリアムズと共同開発したラグナを投入。1995年にBTCCのマニュファクチャラーズタイトル、1997年にドライバー・マニュファクチャラーの2冠を達成。特に1997年は24戦12勝という強さだった。
TCRではルノーの支援を受けたブコビッチ・モータースポーツがメガーヌRSで同規定車両を開発し、TCRドイツに参戦している[2]。
5ターボやクリオ、メガーヌなどの市販モデルをベースにしたレーシングマシンによるワンメイクレースを古くから行っており、ルノー・スポールの主催で、ヨーロッパ各地で1990年代後半にはスパイダー(レーシング仕様)による「スパイダートロフィー」を、2005年からはメガーヌをベースにしたミッドシップマシンによるワンメイクレース「メガーヌ・トロフィー」を開催してきた。2015年からは専用マシンのR.S.01によるワンメイクレース「ルノー・スポール・トロフィー」を開催していたが、2016年を最後にこれらのワンメイクレースは廃止された。
古くから若手レーシングドライバーの育成に力を入れており、ルノーの後援を得てその後F1にキャリアアップしていったドライバーは、元F1ワールドチャンピオンのアラン・プロストやルネ・アルヌーなど数多い。
また2002年には、新たに「RDD(ルノー・ドライバーズ・ディベロップメント)」という育成プログラムを発足させ、フォーミュラ・ルノーやF3などへの参戦支援などを通じて、より充実した体制で若手レーシングドライバーの発掘と育成を行っており高い評価を得た。
モータースポーツで培った高い技術を市販車にフィードバックさせ、エンジンやサスペンション、トランスミッションなどを独自にチューンした「ルノー・スポール」バージョン(R.S.)を、本社所在地のディエップ工場で製作していた。また、ウインド、メガーヌのエステートGT/エステートGT220においてはルノー・スポールの名こそ冠されないが、開発初期の段階から深く携わっている。ルノースポール開発の車両には、イニシャルのR.S.がつく。
2001年頃にはスクーター業界にも参入し、ベネリとのOEM提携により、三輪のルノー・ユベロ、二輪のルノー・キャンパス、ルノー・フルタイム、ルノー・クラノス、ルノー・スペシメンを販売したが、2003年に販売したルノー・グルーミーを最後にベネリとのOEMを解消し、スクーターから撤退した。
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