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ジェイ・ヤングブラッド("The Renegade" Jay Youngblood、本名:Steven Nicolas Romero、1955年6月21日 - 1985年9月2日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。カリフォルニア州フォンタナ出身[1]。
インディアン・ギミックのベビーフェイスとして活躍し、リッキー・スティムボートとのアイドル系タッグチームで人気を博した[2]。父親のリッキー・ロメロ、弟のマーク・ヤングブラッドとクリス・ヤングブラッドもプロレスラーである。
デビュー当時は、父のリッキー・ロメロが主戦場としていたテキサス州アマリロ地区にて、シルバー・ストリーク(Silver Streak)のリングネームで活動[3]、1976年2月27日にロメロとのコンビでNWAウエスタン・ステーツ・タッグ王座を獲得している[4]。
その後、ジェイ・ヤングブラッド(Jay Youngblood)に改名して、オレゴンおよびワシントン州をサーキット・エリアとする太平洋岸北西部のPNW(パシフィック・ノースウエスト・レスリング)にて活動。1977年10月には全日本プロレスに初来日、インディアン・レスラーの大御所ワフー・マクダニエルのパートナーを務めた[5]。
1979年よりジム・クロケット・ジュニアの運営するノースカロライナのNWAミッドアトランティック地区に進出して、リッキー・スティムボートとタッグを結成。同年10月24日、ポール・ジョーンズ&バロン・フォン・ラシクを破り、ミッドアトランティック版のNWA世界タッグ王座を獲得した[6]。以降、レイ・スティーブンス&グレッグ・バレンタイン、スティーブンス&ジミー・スヌーカなどのチームと抗争を繰り広げ、同地区を代表する人気コンビとなる。1980年4月21日にはWWFにもゲスト出場、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにてトーア・カマタ&ブルドッグ・ブラワーから勝利を収めた[7]。
1981年は単身で古巣のPNWをサーキットし、NWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座を巡りバディ・ローズと抗争[8]。1982年5月にはスティムボートと共に全日本に再来日、6月1日に札幌中島スポーツセンターにて大仁田厚のNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座にも挑戦した[9]。全日本には同年11月の世界最強タッグ決定リーグ戦にもスティムボートとのコンビで出場[10]、開幕戦でのスタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディのミラクルパワーコンビとの対決は名勝負として語り草となった[11]。
以降も本国ではNWAミッドアトランティック地区を主戦場にスティムボートと組んで活躍、1983年にはサージェント・スローター率いるコブラ・コープス(スローター、ドン・カヌードル&ジム・ネルソン)やブリスコ・ブラザーズ(ジャック・ブリスコ&ジェリー・ブリスコ)とNWA世界タッグ王座を争った[6]。
1984年よりマーク・ヤングブラッドとのインディアン兄弟コンビでフロリダのCWF(チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)に参戦して、1985年1月1日にクラッシャー・クルスチェフ&ジム・ナイドハートからNWA USタッグ王座を奪取[12]。その後も同王座を巡り、ココ・ウェアとノーベル・オースチンのプリティ・ヤング・シングス(PYTエクスプレス)と抗争した。
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