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シル・ジョンスン(またはジョンソン)(英: Syl Johnson, 本名:Sylvester Thompson, 1936年7月1日 - 2022年2月6日)は、アメリカの歌手、ギタリスト、ハーピスト、音楽プロデューサー。ブルースとソウルの双方を垣根を感じさせることなく歌いこなすのが特徴的。
娘に歌手のシリーナ・ジョンソン、兄にギタリスト兼歌手のジミー・ジョンソン(1928〜2022)、ベーシストのマック・トンプソンがいる。
ミシシッピ州ホリースプリングス生まれ。8歳のとき、家族とともにシカゴに移住した。1950年代にマジック・サム、ビリー・ボーイ・アーノルド、ジュニア・ウェルズ、ハウリン・ウルフといったブルース・アーティストと共演を経験し、1959年にはジミー・リードのヴィージェイ盤のレコーディングに参加した。同年、彼はシンシナティのレーベル、キング・レコード傘下のフェデラルよりソロ・デビューを果たしている。このとき彼のバックを付けたバンドには、ギターにフレディ・キングがいた。
1960年代半ば頃から、シカゴのトワイライト/トワイナイト・レコードへのレコーディングを開始する。初めてのヒットとなった1967年の"Come On Sock It to Me"を始めとして、ジョンスンはレーベルのヒットメーカーとして、またプロデューサーとして活躍した。
この時代の他の黒人のソングライター同様、彼のヒット曲のいくつかは、アフリカ系アメリカ人のアイデンティティと社会問題をテーマにしていたが、そんな曲の中には1969年にR&Bチャート11位を記録した"Is It Because I'm Black"があった。
1971年、ウィリー・ミッチェルの勧めによりジョンスンはハイ・レコードと契約する。同レーベルからは3枚のアルバムと数々のシングルをリリースすることとなった。レコーディングはメンフィスでハイのハウス・バンドのサポートにて行われ、力のこもった名作が生み出された。"We Did It"、"Back for a Taste of Your Love"などのヒットが生まれ、特に"Take Me to the River"は1975年にR&Bチャートの7位を記録した。しかしながら、ジョンスンは存在はレーベルの看板スターだったアル・グリーンの陰に常に隠れた印象は否めなかった。
ハイから離れると、ジョンスンはシャマ・レーベルで2枚のLPを制作した。うち2枚目のMs. Fine Brown Frame (1982年) は、ブロードウォーク・レコードによって配給され、タイトル曲がヒットとなった。現時点では、ジョンスンこの曲以降はヒットを生んでいない。
1980年代半ば頃から、ジョンスンはファーストフード・レストランのビジネスを始め、ミュージシャンとしてはたまにブルース・クラブのギグを行う程度と活動のペースは落ち、半ば引退状態となった[1]。
1992年にジョンスンは、自分の代表曲"Different Strokes"がウータン・クラン、M.C.ハマー、ゲットー・ボーイズなど複数のラッパーによってサンプリングされていることを知る。このことに刺激を受け、彼は音楽界に戻ることを決意した[1]。1994年に彼は、デルマーク・レコードからBack in the Gameをリリースする。このアルバムはハイのリズム・セクションと彼の娘のシリーナ・ジョンスンがフィーチャーされた。
2014年7月、Fuji Rock Festival '14(SYL JOHNSON, BOBBY RUSH & LAVELLE WHITE SOUL MUSIC LEGENDS名義[2]:ただしLAVELLE WHITEは体調不良のため出演キャンセル[3])及び六本木Billboard LIVE TOKYO(単独名義)出演のため来日。
2022年2月6日、85歳で他界[4]。兄ジミー・ジョンソンが亡くなった6日後のことだった。
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