Loading AI tools
サウジアラビアの男子サッカーナショナルチーム ウィキペディアから
サッカーサウジアラビア代表(サッカーサウジアラビアだいひょう、阿: منتخب السعودية لكرة القدم, 英: Saudi Arabia national football team)は、サウジアラビアサッカー連盟(SAFF)によって構成される、サウジアラビアのサッカーのナショナルチームである。
| ||||
---|---|---|---|---|
国または地域 | サウジアラビア | |||
協会 | サウジアラビアサッカー連盟 | |||
愛称 |
الصقور الخضر (Green Falcons、緑のハヤブサたち) الصقور العربية (Arabian Falcons、アラブのハヤブサたち) | |||
監督 | ロベルト・マンチーニ | |||
キャプテン | サルマーン・アル=ファラジュ | |||
最多出場選手 | モハメド・アル=デアイエ(178試合) | |||
最多得点選手 | マジェド・アブドゥラー(72得点) | |||
| ||||
初の国際試合 | ||||
サウジアラビア 1 – 1 レバノン (レバノン、1957年8月18日) [1] | ||||
最大差勝利試合 | ||||
サウジアラビア 09 – 01 東ティモール (東ティモール・ディリ、2015年11月17日) | ||||
最大差敗戦試合 | ||||
サウジアラビア 02 – 11 アラブ連合共和国 (カサブランカ、1961年9月9日) | ||||
FIFAワールドカップ | ||||
出場回数 | 6回(初出場は1994) | |||
最高成績 | ベスト16 (1994) | |||
AFCアジアカップ | ||||
出場回数 | 11回 | |||
最高成績 | 優勝 (1984, 1988, 1996) | |||
FIFAコンフェデレーションズカップ | ||||
出場回数 | 4回 | |||
最高成績 | 準優勝 (1992) | |||
FIFAアラブカップ | ||||
出場回数 | 7回 | |||
最高成績 | 優勝 (1998, 2002) | |||
ガルフカップ | ||||
出場回数 | 24回 | |||
優勝 (1994, 2002, 2004) | ||||
AFCアジアカップで優勝3回(1984年・1988年・1996年)、準優勝3回(1992年・2000年・2007年)という輝かしい実績を誇るアジアの強豪である。
FIFAワールドカップでは初出場の1994年アメリカ大会でベスト16に入賞するなど通算6度の出場歴がある。それ以降のW杯では苦しんでおり、2002年日韓大会ではドイツに0-8という歴史的な大差で敗れるなど4勝2分13敗と大きく負け越している(2022年カタール大会時点)[2]。
サウジアラビアの国際試合への参加は、1978年のFIFAワールドカップ・アルゼンチン大会の予選からである。1984年・1988年のAFCアジアカップでは砂漠のペレと称されたマジェド・アブドゥラーらの活躍で大会連覇を成し遂げた。1984年のロサンゼルスオリンピック出場も果たしている。
ワールドカップ本大会初出場は1994年のアメリカ大会である。前年に催されたアジア最終予選では、1位で同予選を通過した。同予選では初戦の日本戦で主将のアブドゥラーが負傷し、第3戦の韓国戦ではアル=ディアイエのミスから先制を許し攻勢にさらされたが、終了間際にアフマド・ジャミール・マダニーのヘディングで同点に追いついて危機を乗り切った。
本大会ではオランダ、モロッコ、ベルギーのグループリーグを2勝1敗のグループ2位で通過。第3戦のベルギー戦では、アブドゥラーが前半で負傷したもののサイード・オワイランが4人抜きドリブルからゴールを決め[3][4]、グループリーグを通過。決勝トーナメント1回戦でスウェーデンに敗れるもベスト16の成績を残している。これがワールドカップにおけるサウジアラビアの最高成績である。
世代別代表では、1989年のFIFA U-16世界選手権で優勝を果たしている。これは当時の男子サッカーでは、アジア唯一のFIFA主催の世界大会における優勝であった。このメンバーが中心となり、1994年のワールドカップ出場に導いている。オリンピックのサッカー競技では、年齢制限が設けられた以降では1996年アトランタ大会に出場したが、それ以後2008年北京大会まで3大会連続で出場を逃している。
ガルフカップ2004、アジアカップ2004でグループリーグ敗退に終わったが、AFCアジアカップ2007では復活し決勝まで進んだ[5]。しかし、2010年W杯南アフリカ大会のアジア最終予選では韓国、北朝鮮、イラン、UAEと同組で3位になり、アジア5位決定戦に進んだもののアディショナルタイムに勝ち越し、すぐに追いつかれるという形でバーレーンに敗れ、大陸間プレーオフ進出を逃し予選敗退を喫した[6]。
AFCアジアカップ2011では、シリアやヨルダンといった新興国に敗北を喫し[7][8]、日本には0対5のスコアで大敗[9][10]、2度目のグループリーグ敗退に終わる。さらにこの件を受けて2011年2月からの対外試合禁止を発表し、中東遠征を行ったU-22日本代表がサウジアラビアU-22代表戦のキャンセルを余儀なくされた[11][12][13]。その後、2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選ではグループ3位に終わり、最終予選に進めずに2大会連続でワールドカップ出場を逃した[14]。AFCアジアカップ2015でもグループリーグで敗退し、2大会連続でベスト8進出に失敗して低迷からは抜け出せなかった。
2018 FIFAワールドカップではアジア3次(最終)予選に進出し、最終戦で日本に勝利したことでオーストラリアに勝ち点で追いつき[15][16]、得失点差で上回ったためB組2位で3大会ぶりの本大会出場を決めた。本大会ではロシア、エジプト、ウルグアイと同じグループAに入り、初戦のロシア戦では0-5と大敗[17]、2戦目のウルグアイ戦でも0-1で敗れ[18]そのままグループリーグ敗退が決まるも、3戦目のエジプト戦では2-1と逆転勝利を収め、24年ぶりに勝利を収めた[19]。
2022 FIFAワールドカップに向けたアジア3次予選では、グループBを首位で突破して2大会連続で本大会出場を決めた。本大会ではグループCに入り、初戦でFIFAランキング3位のアルゼンチンと対戦。10分にリオネル・メッシのPKで先制点を奪われるが、後半にサレー・アル=シェフリとサーレム・アッ=ドーサリーのゴールで逆転した。シュート数はわずか3本だったが、アルゼンチンの攻撃を最後まで耐え凌んでW杯優勝経験国から歴史的勝利を挙げた[20]。しかし、続くポーランド戦では終了間際にPKを獲得するも、ポーランドのGKヴォイチェフ・シュチェスニーに阻まれたことで0-2で敗れ[21]、勝利すれば無条件で1994年大会以来28年ぶりの決勝トーナメント進出が決まるメキシコ戦でも1-2で惜敗し、 2大会連続でグループリーグ敗退となった[22]。
2023年8月27日、元イタリア代表監督であったロベルト・マンチーニと2027年までの4年契約を締結した[23][24]。
|
|
|
|
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.