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アメリカが建造した高速戦艦 ウィキペディアから
アイオワ級戦艦(アイオワきゅうせんかん、Iowa Class Battleship)は、アメリカ海軍の戦艦。アメリカが建造した最後の戦艦の艦級であり、各国の戦艦の中で最後に退役した戦艦である。計画では6隻が建造予定であり[6]、1938年海軍法により承認されたアイオワ、ニュージャージー、ミズーリ、ウィスコンシンの4隻が第二次世界大戦中の1943年から1944年にかけて就役した。両洋艦隊法で承認されたイリノイ、ケンタッキーの2隻が就役に至らず建造中止となった。
アイオワ級戦艦 | |
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艦級概観 | |
艦種 | 戦艦 |
艦名 | 州名。一番艦はアイオワ州に因む。 |
同型艦 | 予定:6隻、就役:4隻 |
前級 | サウスダコタ級戦艦 |
次級 | モンタナ級戦艦 |
性能諸元(1943年 - 1945年)[1][2] | |
排水量 | 設計:45,000トン 軽荷:43,875トン 基準:48,425トン 常備:55,424トン 満載:57,540トン 最大:59,331トン |
長さ | 全長:887 ft-2.75 in(270.427 m) 水線長:859 ft-5.75 in(262.689 m) |
幅 | 全幅:108 ft-2.063 in(32.971 m) |
吃水 | 常備:35 ft-0.75 in(10.687 m) 満載:36 ft-2.25 in(11.030 m) |
主機 | 蒸気タービン方式、4軸推進 |
バブコック・アンド・ウィルコックス式重油専焼ボイラー 8基 | |
GE式またはウェスチングハウス式蒸気ギヤードタービン 4基 | |
出力 | 212,000馬力 221,000馬力(1943年) |
速度 | 33ノット 31.9ノット(1943年) 35.2ノット(1968年) |
航続距離 | 12ノット/18,000海里(1945年) 15ノット/14,890海里 17ノット/15,900海里(1945年) 20ノット/11,700海里 29.6ノット/5,300海里(1945年) |
乗員 | 設計:1,921名 1945年 アイオワ:2,788名 ニュージャージー:2,753名 ミズーリ:2,978名 ウィスコンシン:2,911名 |
兵装 | Mk.7 16インチ50口径砲 9門 (3連装砲塔として搭載) |
Mk.12 5インチ38口径砲 20門 (連装砲塔として搭載) | |
対空兵装[3] | |
40 mm 機関砲(4連装) アイオワ:60門(15基) ニュージャージー:80門(20基) ミズーリ:80門(20基) ウィスコンシン:80門(20基) | |
20 mm 機関砲 アイオワ:60門(単装60基) ニュージャージー:49門(単装49基) ミズーリ:49門(単装49基) ウィスコンシン:53門(単装49基、連装2基) | |
対空兵装 (1945年)[3] | |
40 mm 機関砲(4連装) アイオワ:76門(19基) ニュージャージー:変更無し ミズーリ:変更無し ウィスコンシン:変更無し | |
20 mm 機関砲 アイオワ:68門(単装52基、連装8基) ニュージャージー:57門(単装41基、連装8基) ミズーリ:59門(単装43基、連装8基) ウィスコンシン:65門(単装49基、連装8基) | |
光学機器[4] | |
主砲塔1基に レンジファインダー1基(倍率25、1番はMk.53合致式、2と3番はMk.52立体視) Mk.66テレスコープ4基(倍率12) Mk.29ペリスコープ2基(倍率12) | |
副砲塔1基に Mk.68テレスコープ3基(倍率6.3) | |
Mk.38ディレクター1基に Mk.48立体視レンジファインダー1基(倍率25) Mk.69テレスコープ2基(倍率12) Mk.56テレスコープ1基(倍率4) Mk.29ペリスコープ1基(倍率12) | |
Mk.40ディレクター1基に Mk.30ペリスコープ2基(倍率12) Mk.32ペリスコープ1基(倍率12) | |
Mk.37ディレクター1基に Mk.42立体視レンジファインダー1基(倍率12or24) Mk.60テレスコープ2基(倍率6) | |
レーダー[5] | SK対空捜索1基 SG対水上捜索2基 SQ対水上捜索(携帯用) Mk.8射撃管制2基(Mk.38ディレクター) Mk.3射撃管制1基(Mk.40ディレクター) MK.4射撃管制4基(Mk.37ディレクター) Mk.19射撃管制(Mk.49ディレクター、BB-62) |
レーダー (1945年)[5] |
SK対空捜索1基(BB-61と64) SR対空捜索1基(BB-61と64) SK-2対空捜索1基(BB-62と63) SP高度探知1基(BB-62) SG対水上捜索2基(BB-63と64) SU対水上捜索1基(BB-61と62、SGは1基) SQ対水上捜索(携帯用) Mk.8射撃管制1基(Mk.38ディレクター、BB-63は2基そのまま) Mk.13射撃管制1基(Mk.38ディレクター、BB-61、62、64) Mk.27射撃管制1基(Mk.40ディレクター) Mk.12射撃管制/Mk.22高度探知4基(Mk.37ディレクター) Mk.29射撃管制(Mk.57ディレクター) |
艦載機 | カタパルト 2基 |
水上機 3機 | |
装甲 | 舷側:307mm(傾斜19度) 甲板:主甲板STS38mm 装甲甲板121mm+STS32mm 主砲防盾:432mm裏面にSTS64mm 主砲座:439mm 司令塔:439mm |
ワシントン海軍軍縮条約(ワシントン体制)を脱退した大日本帝国に対抗すべく[7]、英米仏は1938年4月に第2次ロンドン海軍条約のエスカレーター条項を適用する[8][9]。6月末に調印して、16インチ砲を搭載した基準排水量45,000トンの戦艦が建造可能になった[10]。
当初は16インチ砲搭載35,000トン級戦艦(サウスダコタ級)の兵装と防御を強化した発展型案や、サウスダコタ級と同等の防御に12門の40.6cm砲の戦艦案や、サウスダコタ級と同等の攻防力を持った速い戦艦案等が考案された。1938年7月の時点で、既に速力に重点を置いた案が有望視されている[注釈 1]。最終的に排水量45,000トンで9門の40.6cm50口径砲と最大速力33ノットという、高速戦艦の艦容となった。
日本海軍が16インチ砲9門を搭載した43,000トン級超弩級戦艦を8隻建造していると推定したアメリカ海軍は[注釈 2]、ヴィンソン案によって建造した自軍の35,000トン級戦艦6隻では対抗不能と判断、アイオワ級戦艦とモンタナ級戦艦の建造(計画)に踏み切ったのである[13]。 一方、アイオワ級戦艦の存在は太平洋戦争開戦前から日本海軍も把握しており[14]、一般にも知られていた[15][注釈 3][注釈 4]。
ヴァイマル共和政下のドイツが1929年より建造を開始した1万トン級装甲艦「ドイッチュラント」はポケット戦艦の異名をとり、フランスとイタリア王国を刺激し、ヨーロッパで建艦競争が再燃した[17]。 1936年(昭和11年)1月15日、第二次ロンドン海軍軍縮会議から日本が脱退した[注釈 5]。同年5月、日本海軍が21インチ砲を搭載した55,000トン級戦艦建造の噂が流れた[19]。砲口径はともかく、日本海軍が40,000トンから50,000トン級戦艦を計画している懸念は高まった[20][21]。これを受け、同条約を批准した英米仏の三国は対応を協議する[9]。 1938年1月、アメリカ政府が18インチ砲を装備した40,000トン級戦艦を具体的に考慮中という報道があった[22]。 同年4月1日、列強各国は第2次ロンドン海軍条約のエスカレータ条項適用を通告した[23]。 なおイギリス海軍は42,000トンの16インチ砲搭載戦艦で充分としたが[24]、アメリカ海軍は18インチ砲搭載を検討し[22]、新型45,000トン級戦艦を建造する意向をしめした[23][25][26]。
6月30日、列強(アメリカ、イギリス、フランス)は第二次ロンドン海軍軍縮会議で定められていた戦艦の主砲口径と基準排水量の上限を、それぞれ14インチから16インチ、35,000トンから45,000トンへと拡大する条件で調印した[27]。これに伴い、英米仏の戦艦保有制限枠も拡大されることになった[28]。 ただしアメリカ海軍が1938年度で建造予定の主力艦は予定どおり16インチ砲搭載の35,000トン級(サウスダコタ級)戦艦4隻とされ、45,000トン級戦艦は翌年度以降にまわされた[注釈 6]。
この時期、日本は条約制限を上回る46,000トン型の16インチ砲搭載戦艦、もしくはそれ以上の18インチ砲搭載戦艦を建造していると見なされていた[28]。例えば、1937年版ジェーン海軍年鑑では『日本は現在35,000トン主力艦4隻の建造を計画中であり、何れも16インチ砲装備のものであるが、1937年11月末までには1隻も起工せりとの報に接せず』、1938年版では『主力艦4隻の中2隻起工、排水量40,000トン、16インチ砲8 - 9門装備』と紹介している。1941年版では『40,000トン級主力艦4隻建造し2隻進水、ポケット戦艦3隻を建造し2隻進水』と紹介した[29]。この観測は太平洋戦争勃発後の1942年5月版でも「4万トン級戦艦2隻(日進、高松)は完成(この2隻は航空母艦に改造、もしくはポケット戦艦か)、戦艦3隻(紀伊、尾張、土佐)も近く完成と推測」と記述している[6]。アメリカの新型戦艦は、『38年より39年にかけ呉、横須賀両海軍工廠と長崎三菱造船所、神戸川崎造船所に於て四主力の建造に着手、噸数は四万トン以上、十六吋砲9門を備え時速30ノット以上』という日本海軍新型戦艦に対抗できる性能を持つ必要があった[13]。
もうひとつの懸念材料は、日本海軍が3隻建造中と報道された超大型巡洋艦[24](12インチ砲9門、排水量15,000トン程度、速力30ノット以上、一部報道では40ノット)であった[30][31]。この巡洋戦艦が通商破壊に投入された場合、シーレーン保護のために、18インチ砲を備えた40,000トン以上の主力艦が必要と報道された[注釈 7]。
当時の米国では「互いの偵察艦隊(空母機動部隊)の決戦で制空権を奪取したのち、味方制空権下で戦艦同士の砲撃戦を行うもの」と考えられており、艦隊決戦を優位に進めるためには航空決戦での勝利が前提条件と考えられていた。さらにアメリカ海軍は既存のレキシントン級航空母艦2隻に加え、軍縮条約の枠内で中型高速空母陣(レンジャー、ヨークタウン級航空母艦、ワスプ)を揃えるなかで、空母打撃群の発案に至った[注釈 8]。タスク・フォースは高速空母1隻と大型巡洋艦2隻以上で編成され、ハワイ諸島を拠点に太平洋での行動を想定した[33]。この空母機動部隊の護衛艦として、航続力と高速力と火力を備えた重巡洋艦は適任であった[33]。 だが、日本海軍が1936年1月に金剛型戦艦の新たな運用方針を示す[注釈 9]。金剛型を巡洋戦艦型快速主力艦として運用するため第三戦隊にまとめ、さらに水上機母艦で第三航空戦隊も新編する意向と報道された[注釈 10]。 日本海軍の偵察部隊(第二艦隊)に金剛型の第三戦隊が配属されて空母部隊と遊撃作戦を実施したと仮定した際、日米の空母部隊が接触時、アメリカの重巡以下で構成された偵察部隊が砲戦で敗北することが懸念された。その為、空母決戦の構想が進むにつれ、空母部隊に随伴し金剛型を大きく上回る砲撃力及び防御力を持った高速戦艦が必要不可欠と考えられるようになった。また、同時に主力戦艦同士の砲撃戦となった場合でも、日本戦艦を速力で上回る高速戦艦を保有すれば優位に戦闘が進められるという判断もあった[28]。
このコンセプトは日本側も把握しており、軍事評論家でジャーナリストの伊藤正徳は、1941年11月に新聞の論説記事で「海軍拡張法によって建造されるアイオワ級巡洋戦艦4隻は、日本海軍の金剛型巡洋戦艦を制圧するための艦級である[注釈 4]。両洋艦隊法によるハワイ級巡洋戦艦6隻とアイオワ級巡戦4隻の機動部隊により、日本の巡洋戦艦部隊を撃滅しつつシーレーンを破壊する計画」と主張している[注釈 11]。
また欧州の35,000トン級新型戦艦は英・仏・ドイツ・イタリアのいずれも30ノット程度を発揮可能であり、これらと比較するとアメリカの35,000トン級戦艦(ノースカロライナ級、サウスダコタ級)は低速気味であった[38]。 こうした観点から、新型戦艦の計画は排水量をエスカレータ条項で認められた上限である45,000トン級とし、二つの案で検討されることになった[28]。一つはサウスダコタ級戦艦と同じ27ノットに抑える代わり、18インチ砲9門又は16インチ砲12門を備え攻防力を強化したスローバトルシップ「低速戦艦(Slow Battleships)」案。もう一つは特殊打撃部隊(Special Strike Force、空母機動部隊の原型)を引率して味方艦隊を襲撃する可能性がある敵艦隊を捜索・攻撃し、金剛型の撃破と日本の戦列の圧倒するため、サウスダコタ級と同等の攻防力を持った33ノットのファストバトルシップ「高速戦艦(Fast Battleships)」案である[28][39][40]。こうした判断が可能となったのは、米国の戦艦保有枠拡大に伴い主力となる戦艦を減らさずに高速戦艦が保有できるようになったということもあった。
このスローバトルシップ案とファストバトルシップ案の検討はエスカレータ条項の内容確定以前の1938年1月から開始された[28]。スローバトルシップ案は各案が検討された上で例えば基準排水量45,495トン、全長243.84 m、全幅32.99 m、18インチ(45.7センチ)47口径砲3連装3基9門、速力27.5ノット、舷側装甲375 mm、甲板装甲130 mm+STS19 mmという試案がある。大和型戦艦より2万トン軽く、パナマ運河通過可能(パナマックスとよばれる)[41]で、砲力と速力が同等、装甲が薄いという内容である。以後スローバトルシップ案は第二次世界大戦勃発により第二次ロンドン海軍軍縮会議が無効化されたことで、最終的には条約制限を大幅に超えるモンタナ級戦艦として、設計がまとめられた。
計画通りなら28ノットの戦艦モンタナ級5隻、33ノットの戦艦アイオワ級6隻で新しい戦艦部隊が完成したのだが、アメリカが第二次世界大戦に参戦すると、戦局は航空母艦、揚陸艦艇、輸送船、潜水艦及び対潜水艦用の各種護衛艦艇を緊急に必要とするようになった。65,000トン型のモンタナ級戦艦は、建造や修理に造船所およびドックの拡張を必要とするため、あまり重要視されなくなる[42]。ルーズベルト大統領もアイオワ級戦艦2隻の追加建造を提案したほどである[注釈 12]。 1940年4月、スターク作戦部長は合衆国上院の海軍委員会で、日本海軍が43,000トン級の超弩級戦艦8隻を建造中であるため対抗して52,000トン級戦艦の建造に着手すると証言した[注釈 2]。しかしモンタナ級戦艦の計画はまとまらず、1941年中には起工されなかった。1942年に入って戦訓を取り入れた改設計も行われるものの、同年4月にはルーズベルト大統領からモンタナ級の建造計画の中止命令が下された。その後、海軍からは「アイオワ級2隻の追加建造を取り止めてモンタナ級を建造すべきだ」という声も上がったが決定は覆らず、1943年7月21日には1隻も起工されないまま建造計画はキャンセルされることとなった。
一方、1938年2月8日、海軍上層部は艦船造修局に対して、サウスダコタ級と同等の攻防力を持ち33ノットを発揮できる高速戦艦の検討を命じた。その問いに対し、艦船造修局は基準排水量40,000トン程度で設計可能と返答した。これを受け、海軍上層部は3月10日にサウスダコタ級の高速化案をまとめるよう正式に命じた[44]。第二次ロンドン海軍条約のエスカレーター条項調印により7月から45,000トン級戦艦の建造が可能になったが、実際の建造は1939年以降とされている[10][45]。
翌1939年9月に第二次世界大戦が勃発後、大和型戦艦に関する情報が徐々に整理された[29]。アメリカ海軍や軍事評論家の間では「20インチ砲装備の45,000トン級戦艦は過大評価、35,000トン級を8隻建造」「日独伊三国同盟に鑑み、ドイツ海軍のビスマルク級戦艦との関係があるのではないか」と推定されるようになった[注釈 13]。真珠湾攻撃直前の1941年11月の時点で、日本海軍の新型戦艦は呉海軍工廠、横須賀海軍工廠、神戸川崎造船所、三菱重工業長崎造船所で4隻建造され、既に就役したとみなされていた[13]。だが太平洋戦争勃発前に就役していたのは、翔鶴型航空母艦2隻(横須賀の翔鶴、神戸川崎の瑞鶴)だったのである。
元の特殊打撃部隊の航空母艦は高速戦艦を支援する立場だった[39]。しかし、戦争の開戦後に、主力の中核が航空母艦に移り、戦艦の立場が変更された[47]。そのような中で、他の新型戦艦同等以上の攻防力を持ち、空母に随伴する高速性を備え、加えて艦隊旗艦の設備等が他の戦艦から充実していたことも合わせて、アイオワ級は艦隊側から高く評価されることとなった[41][48]。
アイオワ級は高速力の確保のために船体そのものが長く、縦横比はおよそ9:1と各国の建造された戦艦の中では最も長い。以前の艦より凌波性を改善するために乾舷を増大し、艦首部の浮力を増大させるためシアーが強められ、細長い独特な形状となった。これにより凌波性は改善されたが、前級に引き続き重心が高めになっていた。そのため、同時期に建造された同サイズの他国艦に比べて荒天時の航洋性能はやや劣る形となり[49]、就役後に「ウェットな(=湿った)艦だ」と評されることもあった[48]。幅についてはパナマックスのためにサウスダコタ級と大差なかったが、船体が延長されたため、居住環境の悪さが大きな問題となったサウスダコタ級に比べて改善されている[49]。その船体の長さから進水時には応力集中による船体の破壊が懸念されたため、艦首に保護材を装着し進水を行っている。
水面下の艦尾の形状は、スクリュー軸に板状の構造物を付け、スクリューの背後に舵を配置する「ツインスケグ」と呼ばれる形式を採用した。この形状はアイオワ級の前二級であるノースカロライナ級やサウスダコタ級でも採用されていたが、高速航行時に異常振動を引き起こした[50][51]。問題解決のためにシャフトとプロペラの改良工事を実施して振動を危険な水準以下で抑えることに成功したが、ノースカロライナ級では根本的な解決にはならなかった[50]。一方でサウスダコタ級では当初からノースカロライナ級ほどではなく、戦闘に大きな影響は及ぼさなかった[51]。アイオワ級では前二級のような異常振動の問題は初期から発生しなかったが[52]、推進系統の部品磨耗による振動が発生したという報告があった。アイオワ級は速度や加速度が秀でていたことに加え、「ツインスケグ」により旋回性能にも優れており、運動性能は優良と評価された[52]。
竣工時、一番艦アイオワは露天艦橋だったが、1945年1月 - 3月のオーバーホール時の改装で、後述のミズーリ、ウィスコンシンと同じ形態でエンクローズ化された。二番艦ニュージャージーも露天艦橋だったが、間もなくエンクローズ化された。ただし元の艦橋の縁取りを活かしたため、丸みを帯びていた。これも後に改修されている。三番艦ミズーリと四番艦ウィスコンシンは、アイオワ、ニュージャージーの運用実績を考慮して、竣工時からエンクローズ艦橋である。
重量 | 比率 | |
---|---|---|
船体(装甲除外) | 15,491.224 LT (15,739.810 t) | 34.31% |
装甲 | 19,311.570 LT (19,621.461 t) | 42.77% |
推進と動力 | 4,797.159 LT (4,874.139 t) | 10.62% |
通信と制御 | 27.733 LT (28.178 t) | 0.06% |
補助システム | 1,182.635 LT (1,201.613 t) | 2.62% |
装備と設備 | 795.937 LT (808.709 t) | 1.76% |
兵装 | 3,549.109 LT (3,606.061 t) | 7.86% |
軽荷排水量 | 45,155.367 LT (45,879.971 t) | 100% |
弾薬 | 2,592.340 LT (2,633.939 t) | |
乗務員 | 283.757 LT (288.310 t) | |
物資と用品 | 1,473.960 LT (1,497.613 t) | |
航空 | 51.696 LT (52.526 t) | |
基準排水量 | 49,657.120 LT (50,453.963 t) | |
燃料油 | 8,084.140 LT (8,213.865 t) | |
予備給水 | 490.650 LT (498.523 t) | |
満載排水量 | 58,131.910 LT (59,064.747 t) |
艦名 | 幅 (m) | メタセンタ高さ(GM) (m) | GM/幅 |
---|---|---|---|
ニュージャージー | 33.0 | 2.3 | 0.07 |
サウスダコタ | 2.7 | 0.08 | |
ワシントン | 32.0 | 2.5 | |
モンタナ | 36.9 | 2.7 | 0.07 |
アラスカ | 27.7 | 0.10 | |
フッド | 31.7 | 1.0 | 0.03 |
ロドニー | 32.3 | 2.5 | 0.08 |
キング・ジョージ5世 | 31.4 | 1.97 | 0.06 |
ヴァンガード | 32.8 | 2.5 | 0.08 |
リシュリュー | 33.0 | 2.81 | 0.09 |
ヴィットリオ | 32.9 | 1.67 | 0.05 |
シャルンホルスト | 30.0 | 3.0 | 0.10 |
ビスマルク | 36.0 | 4.0 | 0.11 |
0.05から0.10へのGM/幅比は、一般的に良好な軍艦設計の慣行を示しているとみなされる[54]。
アイオワ級は1943年の就役から1980年代の再就役及び退役までの期間が40年以上に上るため兵装の新設・削減・撤去が何度か実施されており、例としてアイオワにおける大まかな変遷は以下のようになる。
16"/50 Mk.7 | Mk.12 5"/38 | Bofors 40mm/60 | Oerlikon 20mm/70 | BGM-109 Tomahawk | RGM-84 Harpoon | Mk.16 Phalanx | |
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1943年 | 3連装3基 9門 | 連装10基 20門 | 4連装15基 60門 | 単装60基 60門 | ― | ||
1945年 | 4連装19基 76門 | 単装52基 + 連装8基 68門 | |||||
1950年 | ― | ||||||
1989年 | 連装6基 12門 | ― | 4連装8基 32門 | 4連装4基 16門 | 単装4基 4門 |
主砲の16インチ50口径砲 Mk.7はノースカロライナ級やサウスダコタ級の16インチ45口径砲 Mk.6をベースとして開発された。使用弾こそMk.6と同じだが、軽量長砲身化の上、装薬を長砲身用の低圧装薬に変更し初速を稼いで威力を高めている。また、高威力化とともに砲塔と水圧装置も再設計された。
Mk.6では砲口初速が701 m/秒と日露戦争時の主力艦並に遅いため、砲弾が飛翔中に風の影響を受けやすく遠距離時の散布界が広いことが欠点とされていた[71]。しかしMk.7では、長砲身化されたことにより砲口初速が762 m/秒と60 m/秒以上速くなり、射程もMk.6より5,000 m以上長い38,720 m(仰角45度時)となった。これによりMk.6より遠距離での水平装甲貫徹能力にやや劣ったものの、風による影響が少なくなったため散布界が小さくなり、近距離でも威力や砲撃精度に秀でていた。これらの点も踏まえ、アメリカ海軍はMk.7がMk.6より優秀であり、より遠距離砲戦に適していると評価した[72][73]。
主砲の射撃指揮装置は、前級と同じく艦の前後部にMk.38方位盤が装備されていたが、新造時より新型のMk.8 Fire Control Radar (射撃管制用レーダー、以下FCR)が搭載されていた[72]。Mk.8 FCR自体は信頼性の問題からか運用期間が短く、終戦前後にかけてMk.13 FCRへと換装され、こちらは搭載艦の全てが退役するまで運用された。
主砲諸元[74][75] | |
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砲身 | |
口径 | 16in (40.6cm) |
型式 | 16inch/50 Mk.7 Mod.0 |
種別 | 後装式ライフル砲 |
砲身長 | 50口径長 800in (20.32m) |
全長 | 816in (20.73m) |
重量 | 239,156lbs (108,479kg) |
砲塔 | |
構成 | 3連装砲塔 |
重量 | 1,701-1,708l.t (1728-1735t) |
全高 | 第1砲塔:53ft 7in (16.33m) 第2砲塔:62ft 1in (18.92m) 第3砲塔:52ft 1in (15.88m) |
装甲 | 前面:17in (431.8mm) Class B + 2.5in (63.5mm) STS 側面:9.5in (241.3mm) Class A + 0.75in (19.05mm) STS 後面:12in (304.8mm) Class A + 0.75in (19.05mm) STS 上面:7.25in (184.15mm) Class A + 0.75in (19.05mm) STS |
俯仰角 | 第1/3砲塔は-2°/+45°、第2砲塔は0°/+45° |
俯仰速度 | 12°/s |
旋回角 | 1940-50年代:全砲塔 300° (±150°) 1980-90年代:第1/2/3砲塔 278°/252°/256° (±139°/±126°/±128°) |
旋回速度 | 4°/s |
装填角 | +5° |
射撃補助 | 第1砲塔にMk.53 Mod.0 RF、第2/3砲塔はMk.52 Mod.0 RF |
性能 | |
砲弾重量 | AP Mk.8:2700lbs (1,225kg)、HC Mk.13:1,900lbs (861kg) |
炸薬重量 | AP Mk.8:40.9lbs (18.55kg)、HC Mk.13:153.6lbs (69.67kg) |
装薬重量 | 660.0lbs (299.37kg) SPD 839 |
砲口初速 | AP Mk.8:2,500fps (762m/s)、HC Mk.13:2,690fps (820m/s) |
最大射程 | AP Mk.8:42,300yd (38,679m)、HC Mk.13:41,600yd (38,039m) |
発射速度 | 2発/分 |
砲身命数 | 戦中:290発、1950年代:350発、1980年代:約1500発 |
砲弾数 | 合計:1,220発 (第1砲塔:390発、第2砲塔:460発、第3砲塔:370発) |
射撃管制 | Mk.38/Mk.40 GFCS[注釈 14] |
距離 | 弾速 | 落角 | 対垂直装甲 | 対水平装甲 | 垂直貫通力[注釈 15] | 運動エネルギー | MJ/cm²[注釈 16] |
---|---|---|---|---|---|---|---|
0ヤード (0 m) | 2,500 ft/s (760 m/s) | 0 | 32.62インチ (829 mm) | ― | 32.61インチ (828 mm) | 355.89 MJ | 0.274394 |
5,000ヤード (4,600 m) | 2,280 ft/s (690 m/s) | 2.5 | 29.39インチ (747 mm) | 0.67インチ (17 mm) | 29.47インチ (749 mm) | 296.01 MJ | 0.228227 |
10,000ヤード (9,100 m) | 2,074 ft/s (632 m/s) | 5.7 | 26.16インチ (664 mm) | 1.71インチ (43 mm) | 26.55インチ (674 mm) | 244.93 MJ | 0.188843 |
15,000ヤード (14,000 m) | 1,893 ft/s (577 m/s) | 9.8 | 23.04インチ (585 mm) | 2.79インチ (71 mm) | 24.02インチ (610 mm) | 204.05 MJ | 0.157325 |
20,000ヤード (18,000 m) | 1,740 ft/s (530 m/s) | 14.9 | 20.04インチ (509 mm) | 3.90インチ (99 mm) | 21.89インチ (556 mm) | 172.40 MJ | 0.132922 |
25,000ヤード (23,000 m) | 1,632 ft/s (497 m/s) | 21.1 | 17.36インチ (441 mm) | 5.17インチ (131 mm) | 20.40インチ (518 mm) | 151.66 MJ | 0.116931 |
30,000ヤード (27,000 m) | 1,567 ft/s (478 m/s) | 28.25 | 14.97インチ (380 mm) | 6.65インチ (169 mm) | 19.51インチ (496 mm) | 139.82 MJ | 0.107802 |
35,000ヤード (32,000 m) | 1,556 ft/s (474 m/s) | 36.27 | 12.97インチ (329 mm) | 8.48インチ (215 mm) | 19.36インチ (492 mm) | 137.86 MJ | 0.106291 |
40,000ヤード (37,000 m) | 1,607 ft/s (490 m/s) | 45.47 | 11.02インチ (280 mm) | 11.26インチ (286 mm) | 20.06インチ (510 mm) | 147.05 MJ | 0.113377 |
42,345ヤード (38,720 m) | 1,686 ft/s (514 m/s) | 53.25 | 9.51インチ (242 mm) | 14.05インチ (357 mm) | 21.14インチ (537 mm) | 161.86 MJ | 0.124796 |
砲弾 | 砲弾長 | 砲弾重量 | 炸薬・弾頭 | 弾速 | 射程 | その他 |
---|---|---|---|---|---|---|
AP Mk.8 Mod.0-8 | 72インチ (1,800 mm) | 2,700ポンド (1,200 kg) | 40.9ポンド (18.6 kg) | 2,500 ft/s (760 m/s) | 42,345ヤード (38,720 m) | 徹甲弾。 |
HC Mk.13 & 14 | 64インチ (1,600 mm) | 1,900ポンド (860 kg) | 153.6ポンド (69.7 kg) | 2,690 ft/s (820 m/s) | 41,622ヤード (38,059 m) | 榴弾。MT/PD信管。 |
Mk.23 "Katie" | W23 | 核砲弾 (核出力:15 - 20 kt)。MT/PD信管。 | ||||
HE-CVT Mk.143 | 153.6ポンド (69.7 kg) | 榴弾。CVT信管。 | ||||
ICM Mk.144 | M43A1×400発 | 小型多弾頭。 | ||||
HE-ET/PT Mk.145 | 153.6ポンド (69.7 kg) | 榴弾。ET/PD信管。 | ||||
ICM Mk.146 | SADARM×666発 | 試作のみ。小型多弾頭。 | ||||
HC Mk.147[注釈 17] | 72インチ (1,800 mm) | 2,240ポンド (1,020 kg) | ― | 2,825 ft/s (861 m/s) | 51,000ヤード (47,000 m) | 試作のみ。榴弾。 |
HE-ER Mk.148 | 1,300ポンド (590 kg)[注釈 18] | M48×300発 | 3,600 ft/s (1,100 m/s) | 70,000ヤード (64,000 m) | 試作のみ。小型多弾頭。 | |
HE-ER Mk.? | ― | ― | M46×248発 | ― | 100海里 (190 km) | 計画のみ。小型多弾頭。GPS/INS誘導弾。 |
副砲は当初ウースター級軽巡洋艦に搭載された6インチ47口径両用連装砲を採用予定だったが、重量問題と開発遅延のため、結局ノース・カロライナ級やサウスダコタ級と同じ5インチ38口径両用連装砲が採用され、これらを両舷中央部に各5基の合計10基20門搭載された[72][77]。
副砲の射撃指揮装置は、射撃管制用レーダーを装着したMk.37 砲射撃指揮装置が艦橋全部に各1基、加えて一番煙突の両舷部に各1基の計4基が搭載された[72]。
射撃管制用レーダーは就役時はMk.4 FCRを搭載しており、大戦中にMk.12 FCR + Mk.22 HFに、戦後にはMk.25 FCRに換装された。
対空火器は28mm4連装機銃4基と12.7mm機銃12門が検討されたが、建造中にボフォース社製40mm4連装機関砲とエリコン社製20mm単装機銃の採用が決まり、40mm4連装機銃を20基、20mm単装機銃を40門程度搭載した[72]。
40mm機関砲の射撃指揮装置は、竣工時にはMk.49 射撃指揮装置及びMk.51 射撃指揮装置が搭載されていた。大戦末期にはMk.49が降ろされMk.51が増備されたり、Mk.51に変えてAN/SPG-34レーダーを装着したMk.57及びMk.63 砲射撃指揮装置が装備された[72][52]。
1980年代の改装時に5インチ38口径両用連装砲を6基12門まで減らし、既存の対空火器の撤去をした上でトマホーク(装甲ボックスランチャー)・ハープーン・ファランクス・SRBOC・Nixieの設置が行われた[78]。
当初はシースパロー(Mk29 8連装ランチャー)の設置も検討されたが、主砲射撃時の爆風にシステムが耐えられないことが判明したため断念され、代わりにスティンガーの配備が行われた。
名称 | Mk.3[79] | Mk.4[80] | Mk.8[81][82] | Mk.12[83] | Mk.13[84] | Mk.22[85][86] | Mk.25[87] | Mk.27[88] | Mk.34[89][90] | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
GFCS | Mk.40 GFCS | Mk.37 GFCS | Mk.38 GFCS | Mk.37 GFCS | Mk.38 GFCS | Mk.37 GFCS | Mk.37 GFCS | Mk.40 GFCS | Mk.63 GFCS | |
周波数 | 0.7 GHz | 8.82 GHz[注釈 19] | 0.97 GHz[注釈 20] | 8.82 GHz[注釈 19] | 9.88 GHz[注釈 21] | 9 GHz[注釈 22] | 3.1 GHz[注釈 23] | 8.82 GHz[注釈 19] | ||
パルス幅 | 1.5 μs | 0.3 μs | 1.0 μs | 0.3 μs | 0.5 μs | 0.2 μs | 0.3 μs | 0.5 μs | ||
パルス繰返周波数 | 1,639 pps | 1,500 pps[注釈 24] | 480 pps | 1,800 pps[注釈 25] | 1,640 pps | 2,000 pps[注釈 26] | 1,500 pps[注釈 27] | 1,800 pps[注釈 25] | ||
送信尖頭電力 | 15 - 20 kW | 20 kW | 35 - 45 kW[注釈 28] | 100 kW | 35 - 45 kW | 25 - 35 kW | 50 kW | 32 kW | ||
ビーム幅 | 6°v×30°[注釈 29] | 12°×12° | 2°×6° | 10°×10° | 0.9°×3.5°[注釈 30] | 1.2°×4.5° | 1.6°×1.6° | 6°×12°[注釈 31] | 2.9°×2.9° | |
サイズ | 0.91 m×3.66 m | 1.83 m×2.13 m | 0.97 m×2.59 m | 1.91 m×1.91 m | 0.61 m×2.44 m | 1.83 m×0.46 m | 直径1.57 m | 0.38 m×0.76 m | 直径0.84 m | |
アンテナ重量 | 113 kg[注釈 32] | 113 kg | 454 kg[注釈 33] | 220 kg | 726 kg[注釈 34] | 42 kg | 265 kg | 193 kg | 52 kg[注釈 35] | |
全体重量 | 742 kg[注釈 36] | 751 kg | 806 kg[注釈 37] | 1,295 kg | 2,100 kg[注釈 38] | 502 kg | 2,659 kg | 582 kg | 751 kg[注釈 39] | |
探知距離[注釈 40] | 実用最大 | 100,000ヤード (91,000 m) | 44,000ヤード (40,000 m) | 45,000ヤード (41,000 m) | 50,000ヤード (46,000 m) | 40,000ヤード (37,000 m) | 50,000ヤード (46,000 m) | 44,000ヤード (40,000 m) | 40,000ヤード (37,000 m) | |
戦艦・巡洋艦 | 32,000ヤード (29,000 m) | 30,000ヤード (27,000 m) | 40,000ヤード (37,000 m) | 44,000ヤード (40,000 m) | 40,000ヤード (37,000 m) | — | 40,000ヤード (37,000 m) | — | ||
駆逐艦 | 20,000ヤード (18,000 m) | 31,000ヤード (28,000 m) | 30,000ヤード (27,000 m) | 31,000ヤード (28,000 m) | 25,000ヤード (23,000 m) | — | — | — | ||
潜水艦 | 12,000ヤード (11,000 m) | 10,000ヤード (9,100 m) | 9,000ヤード (8,200 m) | 10,000ヤード (9,100 m) | — | 10,000ヤード (9,100 m) | — | |||
爆撃機 | 45,000ヤード (41,000 m) | 40,000ヤード (37,000 m) | 30,000ヤード (27,000 m) | 45,000ヤード (41,000 m) | 30,000ヤード (27,000 m) | 18,000ヤード (16,000 m) | 40,000ヤード (37,000 m) | — | 25,000ヤード (23,000 m) | |
戦闘機 | — | — | — | 35,000ヤード (32,000 m) | — | 15,000ヤード (14,000 m) | — | — | 20,000ヤード (18,000 m) | |
精度・分解能 | 精度 (距離) | 40ヤード (37 m) | 15ヤード (14 m)[注釈 41] | 25ヤード (23 m) | 15ヤード (14 m)[注釈 41] | — | 15ヤード (14 m)[注釈 41] | |||
精度 (方位) | 0.113° | 0.225° | 0.113° | 0.169° | 0.113° | — | 0.1° | 0.169° | 0.113° | |
精度 (仰角) | — | — | — | 0.169° | — | 0.169° | 0.1° | — | 0.113° | |
分解能 (距離) | 400ヤード (370 m) | 100ヤード (91 m) | 300ヤード (270 m) | 100ヤード (91 m) | — | 40ヤード (37 m) | 120ヤード (110 m) | 200ヤード (180 m) | ||
分解能 (方位) | 5° | 10° | 0.5° | 7° | 1°[注釈 42] | — | 1.3° | 6° | 2.25° | |
分解能 (仰角) | — | — | — | 7° | — | 0.6° | 1.3° | — | 2.25° |
名称 | SG-1, 2, 5 - 7[91][92] | SG-3, 4[93] | SK, SK-1M[94] | SK-2, 3[95] | SP[96] | SR[97] | SR-4[98] | SU, SU-1[99] | SU-2[100] | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
周波数 | 3 GHz | 3.5 GHz | 0.2 GHz[注釈 43] | 0.22 GHz[注釈 44] | 2.8 GHz | 0.23 GHz[注釈 45] | 0.62 GHz[注釈 46] | 9 GHz | ||
パルス幅 | 2 μs | 0.3 μs[注釈 47] | 5 μs | 1 μs[注釈 48] | 1 μs[注釈 49] | 2.5 μs[注釈 50] | 1 μs | 1 μs[注釈 51] | ||
パルス繰返周波数 | 1,000 pps[注釈 52] | 750 pps | 60 pps | 600 pps[注釈 53] | 200 pps[注釈 54] | 180 pps[注釈 55] | 600 pps | 600 pps[注釈 56] | ||
送信尖頭電力 | 30 kW | 400 kW | 200 kW | 700 kW | 300 kW | 350 kW | 40 kW | 40 kW | ||
ビーム幅 | 5.3°×15° | 3°×13°[注釈 57] | 17°×17° | 22°×17° | 3.6°×3.6°[注釈 58] | 20°×50° | 10°×30° | 3.8°×3.8° | 1.8°×3.7° | |
サイズ | 0.38 m×1.22 m | 0.91 m×2.13 m | 5.18 m×5.49 m | 直径5.18 m | 直径2.44 m | 1.68 m×4.11 m | 1.68 m×4.57 m | 直径0.61 m | 1.16 m×0.89 m | |
アンテナ重量 | 153 kg | 193 kg | 1,089 kg | 748 kg | 1,157 kg[注釈 59] | 130 kg[注釈 60] | 249 kg | 95 kg | 79 kg | |
全体重量 | 962 kg | 1,778 kg | 1,887 kg | 1,639 kg | 3,758 kg[注釈 61] | 1,215 kg[注釈 62] | 1,095 kg | 549 kg | 1,156 kg | |
探知距離[注釈 40] | 実用最大 | 75,000ヤード (69,000 m) | — | 228,800ヤード (209,200 m) | — | — | 211,200ヤード (193,100 m) | — | — | |
戦艦・巡洋艦 | 35,000ヤード (32,000 m) | 70,400ヤード (64,400 m)[注釈 63] | 35,200ヤード (32,200 m) | 2,800ヤード (2,600 m) | 35,200ヤード (32,200 m) | 47,520ヤード (43,450 m) | 38,720ヤード (35,410 m) | |||
駆逐艦 | 26,000ヤード (24,000 m) | 52,800ヤード (48,300 m) | 31,680ヤード (28,970 m) | 35,200ヤード (32,200 m) | 26,400ヤード (24,100 m) | 17,600ヤード (16,100 m) | 26,400ヤード (24,100 m) | |||
潜水艦 | 9,000ヤード (8,200 m) | 21,120ヤード (19,310 m) | 8,800ヤード (8,000 m) | 17,600ヤード (16,100 m) | 8,800ヤード (8,000 m) | 21,120ヤード (19,310 m) | ||||
爆撃機 | 22,000ヤード (20,000 m)[注釈 64] | 38,720ヤード (35,410 m)[注釈 65] | 193,600ヤード (177,000 m) | 211,200ヤード (193,100 m) | ― | 193,600ヤード (177,000 m) | 158,400ヤード (144,800 m) | 31,680ヤード (28,970 m) | 26,400ヤード (24,100 m)[注釈 65] | |
戦闘機 | — | — | 140,800ヤード (128,700 m) | — | 132,000ヤード (121,000 m) | 123,200ヤード (112,700 m) | — | — | ||
精度・分解能 | 精度 (距離) | 200ヤード (180 m) | 100ヤード (91 m) | 200ヤード (180 m) | 100ヤード (91 m) | 125ヤード (114 m)[注釈 66] | 40ヤード (37 m)[注釈 67] | |||
精度 (方位) | 2° | 0.75° | 3° | 0.5° | 2° | 1° | 0.5° | 1° | ||
精度 (仰角) | — | — | — | — | 1,300フィート (400 m)[注釈 68] | — | — | — | — | |
分解能 (距離) | 400ヤード (370 m) | 200ヤード (180 m) | 500ヤード (460 m) | 200ヤード (180 m) | 100ヤード (91 m) | 200ヤード (180 m) | 400ヤード (370 m) | 100ヤード (91 m)[注釈 69] | ||
分解能 (方位) | 5.3° | 2° | 10° | 1.5° | 10° | 4° | 2° | 1° | ||
分解能 (仰角) | — | — | — | — | 1,300フィート (400 m)ft[注釈 70] | — | — | — | — |
就役後から1940年代後半までは従来の艦艇と同様に水上機を運用していたが、50年代前後からカタパルトとクレーンの撤去と共にヘリコプターへと切り替えていっており、1980年代の再就役時にはこれに加えて無人航空機の運用もなされた。
バブコック・アンド・ウィルコックス M-Type ボイラー、重量ポンド毎平方インチは設計圧力634 psi (4,370 kPa)、作動圧力565 psi (3,900 kPa)、温度850 °F (454 °C)[101]で212,000軸馬力 (158,000 kW)という高い出力を実現し、過負荷は20% (254,000軸馬力 (189,000 kW)) まで可能だった[102]。一方、シフト配置の採用により機関部は全長の1/2を超える長さとなってしまった。ボイラーはサウスダコタ級に引継ぎ高温高圧蒸気型である。2つのボイラーと1つのタービンが組み合わさって1セットとされ、艦首方向から順に4セット並べられ4軸のスクリュー軸を回した。
設計速度は33ノットであり、上記の大出力機関を用いたことで所期した速度性能に到達することもできた。排水量が51,000ロングトン (52,000 t)のときに20%の過負荷を掛けた際の速度は、35.4ノットに到達するという。ただし戦時中時の満載排水量で計測した時は、計画時の排水量より3,000トン以上増えたこともあり、10分の10全力運転で31ノット程度であった。この影響もあり、戦時中時における非過負荷状態時の最高速力は公式では30ノットと定められた[52][77]。1968年3月にニュージャージーは35.2ノットを発揮したとされる。
設計基準排水量45,000ロングトン (46,000 t)、設計排水量53,900ロングトン (54,800 t)、設計満載排水量56,270ロングトン (57,170 t)[2]
排水量 | 馬力 (shp) | 速度 (ノット) | |
---|---|---|---|
1943年10月 ニュージャージー 公試 | 55,950ロングトン (56,850 t) | 162,277 | 29.3 |
1943年12月 ニュージャージー 公試 | 56,928ロングトン (57,842 t) | 221,000 | 31.9 |
1944年2月 アイオワとニュージャージー | 不明 | 不明 | 32.5 |
朝鮮戦争 アイオワ | 不明 | 不明 | 33 |
1968年3月 ニュージャージー 公試 | 不明 | 不明 | 35.2 |
1985年 アイオワ | 不明 | 不明 | 32 |
1986年 ミズーリ 公試 | 不明 | 不明 | 32 |
1943年 New Jersey 速度 排水量:57,813t (56,900英t) | 1985年 Iowa 速度 排水量:56,857t (55,960英t) | ||||
---|---|---|---|---|---|
速度 (kn) | rpm | 馬力 (shp) | 速度 (kn) | rpm | 馬力 (shp) |
15.50 | 89.2 | 16,800 | 9.29 | 50.8 | 3,200 |
20.05 | 117.0 | 38,000 | 13.67 | 75.3 | 9,500 |
24.90 | 147.2 | 78,000 | 17.67 | 100.1 | 21,500 |
27.92 | 168.9 | 126,400 | 22.93 | 131.2 | 49,500 |
29.30 | 183.2 | 163,400 | 25.47 | 145.2 | 67,600 |
- | - | - | 28.30 | 167.6 | 109,900 |
- | - | - | 29.78 | 180.2 | 138,700 |
- | - | - | 30.4 | 199.3 | 189,700 |
1943年のNew Jersey及び1985年のIowaの燃費公試[103][70] | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1943年 New Jersey 航続性能 排水量:57,813t (56,900英t) | 1985年 Iowa 航続性能 排水量:56,857t (55,960英t) | ||||||||
速度 (kn) | rpm | 馬力 (shp) | 燃費 (gal/hr) / (lb/hr) | 航続距離 (海里)[注釈 71] | 速度 (kn) | rpm | 馬力 (shp) | 燃費 (gal/hr) / (lb/hr) | 航続距離 (海里)[注釈 71] |
15.3 | 87.9 | 16,470 | 1,900 / 15,500 | 19,240 | 14.9 | 80.1 | 13,290 | 2,509 / 17,754 | 16,358 |
20.0 | 116.7 | 38,340 | 3,000 / 24,400 | 15,976 | 20.9 | 120.1 | 38,730 | 4,281 / 30,288 | 13,450 |
25.1 | 148.5 | 81,900 | 6,200 / 50,600 | 9,668 | 24.0 | 140.2 | 61,010 | 5,864 / 41,510 | 11,269 |
29.7 | 186.1 | 170,960 | 13,000 / 105,000 | 5,513 | 26.8 | 158.9 | 90,290 | 8,342 / 59,102 | 8,838 |
31.0 | 203.0 | 221,030 | 17,700 / 142,900 | 4,228 | 29.2 | 179.9 | 138,190 | 12,527 / 88,681 | 6,418 |
- | - | - | - | - | 31.0 | 198.1 | 186,260 | 17,535 / 124,210 | 4,865 |
サウスダコタ級に準じた集中防御方式(All or nothing)の45口径40.6cm砲の対応装甲であり、そして司令塔の装甲厚などは若干拡大されている。
対応防御はコロラド級戦艦のMk.5 16インチ45口径砲(AP Mark 5、砲口初速768 m/s、重量1,016 kg)では17,600–31,200ヤード (16,100–28,500 m)、サウスダコタ級戦艦のMk.6 16インチ45口径砲(AP Mark 8、砲口初速701 m/s、重量1,225 kg)では20,400–26,700ヤード (18,700–24,400 m)、本艦のMk.7 16インチ50口径砲(AP Mark 8、砲口初速762 m/s、重量1,225 kg)では23,600–27,400ヤード (21,600–25,100 m)である。
水中防御はサウスダコタ級と同じ構造にTNT 318 kgの魚雷弾頭に対抗できる設計となっている。しかし、この構造は1939年に衝撃吸収能力は前級より劣っていたという試験結果が出た。さらに第二次世界大戦勃発直後の1939年10月14日、イギリス海軍のR級戦艦「ロイヤル・オーク」がドイツ海軍のU47に撃沈され、戦訓を盛り込んだためアイオワとニュージャージーの設計と建造スケジュールにも影響を与えた[注釈 72]。 液層区画と機械室内部区画を改正されたものの、なお不十分とされ、結局は完全解決されることはなかった。前級より劣っているというサウスダコタ級の水中防御と同じ構造のアイオワ級もノースカロライナ級のように想定した以上の破壊力の強い魚雷に同程度かそれ以上の被害が出た可能性は否めない。一方で1942年度に起工したイリノイ(USS Illinois、BB-65)とケンタッキー(USS Kentucky、BB-66)は水中防御構造の改正で水中防御が改善されると予想されていたが、どの艦船も完成されなかった[105][106]。
戦後、世界唯一無二の戦艦となったアイオワ級は第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争と多くの戦歴を誇ったが、運用・維持には多額の費用がかかるために平時は予備役にあることが多く、その間にアメリカ海軍はアイオワ級戦艦の巨大な艦体を活用する色々な改修案を計画した[41]。
最初の改修案は、練習艦となったミズーリ以外の艦が予備役となった1940年代末には計画されていた。これは当時艦対空ミサイルの実用化と巡洋艦のミサイル巡洋艦化を計画していた海軍が、これに準じた構想として未成艦ケンタッキーをミサイル艦化するものだった。しかし、これは実現せずに終わっている。
1950年代末には、当時予備役になっていた4隻を再びミサイル艦に改装しようという構想が持ち上がっている。これは主砲塔を全て撤去しミサイルと哨戒ヘリコプターを搭載するという案と三番砲塔のみを撤去しミサイルを搭載するという案があったが、いずれも巨額な費用を要するということで具体化しなかった。
1960年代には、支援火力を持つ強襲揚陸艦として改装しようという案も検討された[108]。三番砲塔を撤去し、海兵隊1,800名を搭載するという案であった[108]。
その後も様々な改修案が検討されたが、ロナルド・レーガン政権下の「600隻艦隊構想」でアイオワ級四隻の近代化及び再就役(FRAM I)が行われた[41]。この際に12.7cm連装砲4基が撤去され、トマホーク巡航ミサイルの4連装装甲ボックスランチャーが8基、ハープーン対艦ミサイル4連装ランチャーが4基、ファランクス20mmCIWSが4基増設された。
1940年代からたびたび構想化されたミサイルの運用は、この改装により実現することとなった。この他にも燃料を重油から蒸留油に変更、レーダーや通信施設などの近代化が行われ、その費用は最初に改修されたニュージャージーの3億3,000万ドルからウィスコンシンの5億300万ドルまで巨額な費用が費やされた。しかし主砲およびその発射管制システムについては、主砲関連技術が戦後は発達せず断絶したため就役時に装備されていた第二次世界大戦時のシステムが完全退役までの40年間継続して使用された。
なお、当時の海軍はこれ以外にも三番砲塔を撤去し、320セルのVLS (垂直発射装置) の設置及び格納庫と飛行甲板を増設しヘリコプターやハリアーを運用する案や、主砲全撤去しVLSを搭載する案も構想していた[109]。
アイオワ級は近代化された後も湾岸戦争やレバノン内戦での作戦活動に従事し、陸上施設に対して艦砲射撃やトマホーク発射を行った。だが、以下のような理由によってこれ以上運用する理由はなくなったと判断された。
冷戦終結後の国防予算の削減に伴い1992年までには全艦が退役することとなった。晩年は老齢化により機関出力も最盛期より低下し、主砲をふくめ各部分にマイナートラブルを抱えた。姉妹艦4隻全てが記念艦や博物館として公開されている。
艦番号 | 艦名 | 発注 | 起工 | 進水 | 就役 | 退役 |
---|---|---|---|---|---|---|
BB-61 | アイオワ USS Iowa |
1939年 7月1日 |
1940年 6月27日 |
1942年 8月27日 |
1943年 2月22日 |
1990年 10月26日 |
BB-62 | ニュージャージー USS New Jersey |
1940年 9月16日 |
1942年 12月7日 |
1943年 5月23日 |
1991年 2月8日 | |
BB-63 | ミズーリ USS Missouri |
1940年 6月12日 |
1941年 1月6日 |
1944年 1月29日 |
1944年 6月11日 |
1992年 3月31日 |
BB-64 | ウィスコンシン USS Wisconsin |
1941年 1月25日 |
1943年 12月7日 |
1944年 4月16日 |
1991年 9月30日 | |
BB-65 | イリノイ USS Illinois |
1940年 9月9日 |
1942年 12月6日 |
1945年8月12日 建造中止 | ||
BB-66 | ケンタッキー USS Kentucky |
1942年 3月7日 |
1950年1月20日 建造中止 |
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