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シコルスキー R-5(Sikorsky R-5、1948年からH-5、シコルスキー社内名称VS-327)[1]は、シコルスキー・エアクラフト社で製造されたヘリコプターである。アメリカ空軍その前身のアメリカ陸軍航空軍とアメリカ海軍、アメリカ沿岸警備隊ではHO2S と HO3Sの名称で使用された。本機はアメリカ合衆国郵政省でも使用された[2]。
R-5はシコルスキー R-4よりも大きな有効積載量、長い航続距離、速い速度、高い巡航高度の能力を持つヘリコプターとして設計された。2名の乗務員がタンデムに座る新規の長い胴体とより大直径の主ローターという点でR-4とは異なっていた[1]。4機が発注されたXR-5の初号機は1943年8月18日に初飛行を行った。1944年3月にアメリカ陸軍航空軍は就役テスト用に26機のYR-5Aを発注し、最初の機体は1945年2月に納品された。この発注の後に、2床の担架を搭載するための支持架を取り付けた100機分の生産契約が続いたが実際には34機だけが納品された[1]。
21機のYR-5Aに3つ目の座席、救難用ホイスト、予備燃料タンクと前輪が取り付けられ、アメリカ海軍は3機をHO2S-1として評価を行った[1]。5機以上が複式操縦装置付きのYR-5Eに改装された[1]。
4名分の座席とさらに大直径の主ローターを装着し総重量が増大した民間型のS-51が1946年2月16日に初飛行を行った[1]。この型の11機がアメリカ空軍のR-5Fとなり、90機がHO3S-1としてアメリカ海軍に配備された[1]。1946年12月にウエストランド・エアクラフト社とシコルスキー・エアクラフト社の間でイギリスでS-51を国産化して500hpのアルヴィス・レオニダス(Alvis Leonides)エンジンを搭載した ウエストランド=シコルスキー WS-51 ドラゴンフライとしてライセンス生産する契約が締結された。300機以上のR-5が1951年に生産停止になるまでに製造された。ウエストランド・エアクラフト社によりかなり改造された型がウエストランド・ウィジョン(Westland Widgeon)としても開発された。
1948年に救難任務に特化したH-5Gが追加で39機、フロートを装備したH-5H水陸両用機が16機生産された[1]。(1948年のアメリカ空軍発足に伴いR-5はH-5と改称された)
その就役期間中にH-5は世界中で救難と救命任務に使用されたが、本機が有名になったのは朝鮮戦争に於ける働きによってであった。戦争期間中に本機は、敵の前線背後で撃墜された国連軍の操縦士を救出するためや前線で負傷した兵員を搬送するために繰り返し呼び寄せられ、これは本機の任務のほとんどをH-19 チカソーが代替するようになるまで続いた。
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