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日本のお笑いコンビ ウィキペディアから
鈴木は高校1年時に引きこもりになって中退後、インフィニティ国際学院へ編入してから1年間フィリピンに留学した[1]。翌年も留学するつもりだったがコロナ禍によって予定が無くなったことで引きこもりに戻り、その時に山里亮太(南海キャンディーズ)へ憧れを抱いたのが芸人の道を選ぶきっかけになった[1]。
青木は4人兄弟の1人として生まれた(両親は女の子が欲しかったらしく、幼稚園の頃からピアノ・英会話・絵画教室へ通わせてもらった)[1][3]。中学1年時に地元の治安の悪さ故に不良から絡まれることが多く、絡まれないように筋トレを始めた[1]。昭和高校[8]卒業後は消防士として一時期勤めたものの[9]、鍛え抜いた肉体を邪魔がられたり元気のなさと声の小ささを注意され続けたりと嫌気が差して6年で退職[1]。こんな自分を受け入れてくれるような職業は何かと考えて芸人を目指した[1]。
赤木は高校1年から大学1年時の怪我で引退するまでやり投げをしていた[1]。大学卒業前後の就活では受けた会社全てで不採用になり、自分のように社会で必要とされてない人でも生き残れるような仕事を考えた結果、芸人になるためにNSCに入学した[1]。
3人ともNSC入学以前、入学希望者全員が入っていたLINEグループで、鈴木が投稿した自己紹介動画で「ツッコミをやりたい」と話し、それを見た赤木が入学式の際たまたま近くにいたロン毛へ声をかけた[1]。当時の赤木は水分を摂るのが好きだったことで、2Lのペットボトルを手に持ったまま鈴木に話しかけていたため、山崎静代(南海キャンディーズ)のように変わった人を相方にしたかった鈴木は赤木の勧誘を承諾[1]。その後、同じく自己紹介動画を見ていた青木が既に赤木と組んでいた鈴木を誘い、鈴木によるトリオの結成を申請した後に青木と赤木が初めて対面した[1]。
NSC在学中に『おもしろ荘年始SP』の最終オーディションまで進出した[10][11]。UNDER5 AWARD2024では準決勝に進出[12]。
2024年10月31日に、鈴木が脱退しピン芸人となり、青木と赤木はコンビとして活動を継続する[7]。
漫才を中心とし[13]、青木と赤木のボケに鈴木が終始振り回されるネタが多い[要出典]。ネタ作成は鈴木が担い、相方2人からネタについて意見をもらい、その都度推敲していくスタイルを取っている[1]。コントもたまに演じる。
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