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日本の経済学者 (1940-) ウィキペディアから
野口 悠紀雄(のぐち ゆきお、1940年〈昭和15年〉12月20日 - )は、日本の経済学者、経済評論家。元大蔵官僚[4]。 研究分野は、日本経済論・ファイナンス理論[4]。学位は、Ph.D.(イェール大学・1972年)。一橋大学名誉教授。
人物情報 | |
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生誕 |
1940年12月20日(83歳) 日本 東京府[1] |
国籍 | 日本 |
出身校 |
東京都立日比谷高等学校 東京大学(学士) カリフォルニア大学ロサンゼルス校(M.A.) イェール大学(Ph.D.) |
子供 | 野口貴公美(長女・一橋大学副学長) |
学問 | |
時代 |
20世紀 21世紀 |
活動地域 |
日本 アメリカ合衆国 |
研究分野 |
日本経済論 ファイナンス理論 |
研究機関 |
埼玉大学 一橋大学 東京大学 青山学院大学 スタンフォード大学 早稲田大学 |
博士課程指導学生 |
麻生良文[2] 塚原康博[3] 板倉宏昭 |
主な指導学生 | 清水順子 |
学位 |
工学士 経済学修士 (M.A. in Economics) 経済学博士 (Ph.D. in Economics) |
特筆すべき概念 | 1940年体制 |
主な受賞歴 |
政府主催明治100年記念論文 最優秀総理大臣賞(1967年) カリフォルニア大学ロサンゼルス校優秀学生同窓会賞(1969年) 日経・経済図書文化賞(1974年) 毎日新聞社エコノミスト賞(1979年) サントリー学芸賞(1980年) 東京海上各務財団賞(1989年) 日本不動産学会賞(1989年) 中央公論吉野作造賞(1992年) ソフト化経済センター・ソフト化賞(1996年) 大川出版賞(2017年) |
公式サイト | |
公式ウェブサイト |
埼玉大学助教授、一橋大学教授、東京大学教授、青山学院大学教授、スタンフォード大学客員教授、早稲田大学教授、早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問などを歴任[4]。長女は行政法学者の野口貴公美(一橋大学副学長)[5]。
1940年12月、東京府生まれ[1]。1959年、東京都立日比谷高等学校を卒業し、東京大学理科一類に進学[6]。1963年、東京大学工学部応用物理学科(現在の物理工学科)卒業[1][6]。1963年3月、東京大学大学院数物系研究科応用物理学専攻修士課程入学[6]。東大では半導体や強磁性体の研究を行いつつ、独学で経済学も学び始じめていた[7]。
1964年、修士課程を中退し[6]、大蔵省に入省[6]。東大在学中に国家公務員上級試験を経済職で受け、2番目で合格[7]。元々は通商産業省に内定していたが、集団面接試験の担当官だった高木文雄(当時大蔵省大臣官房秘書課長)に「お前を採用する」と言われた。理財局総務課に配属される[8]。入省同期には野田毅、田波耕治、秋山昌廣、涌井洋治などがいる。
1969年6月、カリフォルニア大学ロサンゼルス校より経済学修士 (M.A. in Economics) 学位取得[1][6]。1972年6月、イェール大学より経済学博士 (Ph.D. in Economics) 学位取得[6][9]。1973年、大蔵省主計局調査課長補佐(総括・調査)[10][11]。
1974年、大蔵省より出向し、埼玉大学教養学部助教授。1978年、一橋大学経済学部助教授。1981年、同学部教授。1987年11月に『週刊東洋経済・近代経済学シリーズ』で「バブルで膨らんだ地価」という論文を掲載しており、「私の知る限り、この時期の地価高騰を「バブル」という言葉で規定したのは、これが最初だ」と述べている[12]。
1996年、東京大学先端科学技術研究センター教授。1999年、東京大学先端経済工学研究センター長。東京大学先端経済工学研究センター長を最後に大蔵省を退官[13]。
2000年、青山学院大学大学院国際マネジメント研究科教授。
2005年4月、早稲田大学に移り、早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授。2011年4月、早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問。2017年9月、早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問。
1990年代以降に続いた長期不況に関して、その原因が戦時中に構築されたシステム(「1940年体制」)の非効率さにあると主張した。1940年体制とは、日本的な企業、経営、労使関係、官民関係、金融制度など日本経済の特徴とされる様々な要素が、1940年頃に戦時体制の一環として導入されたとする概念である[18]。
野口は、
としており、「戦時体制からの脱却(構造改革)」を主張している[19]。
著書の『1940年体制』は、いわゆる「構造改革論」のバイブルと目されている。野口らの提議した構造改革論に対しては、岩田規久男や野口旭らから痛烈な批判が寄せられたが、2004年以降の景気回復局面においては、議論は一時期雲散霧消してしまった感が否めない。なお、「1940年体制」に対して、堺屋太一は「昭和十六年体制」と呼称した理論を展開している[20]。
TPPについて「TPPがGDPを増加させる効果は、ほとんどない」、「日本の輸出に与える影響はきわめて小さい」、「関税以外の点での日本開国も、TPPによらなくともできる。」といった主張をした[21]。
通貨が減価し、東アジア諸国の価格競争力が高まりつつあった2009年当時のデフレーションにおいて、次の様に主張した。「東アジア諸国と日本企業が競争しようとしても、勝ち目はない。対応しようとすれば、生産拠点の海外転を促進するしかない。日本国内で見た輸入品の価格は安くなる。これを利用した経済活動に転換することが重要である。」、「『よいデフレ』とか『悪いデフレ』と言われることがあるがそうした区別は存在しない。立場によって評価が異なるだけである[22]」、「必要なのは、『デフレからの脱却』ではなく、『所得低下からの脱却』である。、工業製品の価格低下は、実質所得をさらに引き上げる望ましい現象として、歓迎されることになるだろう[23]」と述べている。
比較優位の観点から「日本の食糧自給率が低くても何の問題もなく、むしろ豊かな食生活をおくっている証拠である」という趣旨のことを主張している[24][25]。
野口はウィキペディアについて“ブリタニカにも匹敵する”と激賞しつつ、自身の項目に事実に反したことが書いてあったことに不快感を示し“誤りに対する責任の所在も明確ではない。ウィキペディア日本語版の管理者は誰であるのか、明確にされていないからである。さまざまな問題が指摘される「2ちゃんねる」でさえ、管理責任者が誰であるかは明確にされている。それと比べると、ウィキペディア日本語版の信頼性は「2ちゃんねる」以下と言わざるをえないのである”と批判している[26]。
野口はビットコインについて「通貨史上の大きな革命であるばかりでなく、まったく新しい形の社会を形成する可能性を示した」と評価している[27]。また、同氏は著書『仮想通貨革命』において「ビットコインは始まりにすぎない」と主張し、Googleが出資を行い各国の銀行が実証実験に参加しているリップルとビットコインの仕組みを貨幣以外の対象に拡張しようとする試みのイーサリアムは大きな可能性を秘めると述べている[28]。更に、現在の通貨と共存しうるリップルはビットコインより使いやすく、「リップルが広く使われるようになれば、ビットコインは不要になるかもしれない」とも述べている[28]。
2015年10月に予定されていた消費増税について「景気に関係なく上げるべきである。消費税が経済に悪影響を与えるのは当たり前であるが、増税しないと財政に対する信頼が失われ、金利が高騰する。その方が日本経済にとってはるかにダメージが大きい」と指摘した[29]。
野口の著書のほとんどに、経済専門著書のほか、エッセイにあたる『超』整理日誌シリーズでも巻末に索引が明記されている。
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