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稲葉 三千男(いなば みちお、1927年(昭和2年)3月10日[1] - 2002年(平成14年)9月8日[1])は、日本の社会学者、政治家。東京大学名誉教授。元東京都東久留米市長(3期)。位階は正四位。勲等は勲三等瑞宝章。 東久留米市議会議員の間宮みきは次女[2]。
福岡県福岡市生まれ。広島県立広島商業学校、第一高等学校 (旧制)を経て、1953年、東京大学文学部社会学科卒業。東京大学大学院社会科学研究科社会学専門課程(B)新聞学に進学、在学中1958年より東京大学新聞研究所(現東京大学大学院情報学環・学際情報学府)助手。1962年に助教授、1972年に教授に昇格し、1980年から1984年まで、新聞研究所長を務めた。新聞研究所、および大学院社会科学研究科(後に社会学研究科)において、コミュニケーション理論、マス・コミュニケーション理論の講義を担当。1987年、東京大学を定年退職後、東京国際大学教授に着任。
1990年1月、東久留米市長選挙に無所属で出馬し、初当選を果たした。当時、既に革新自治体のブームは過ぎ去っており、国政では日本共産党、日本社会党は必ずしも協力関係にはなかったものの、地方選挙では社共共闘が存続しており、稲葉も社共の支持を受けた革新系統一候補であった。1994年、東久留米市長再選。1998年の東久留米市長選で3選を果たしたが、2001年12月、体調不良を理由に3期目の任期をわずかに残して東久留米市長を辞任した。2002年9月8日、心不全のため75歳で死去。没後、正四位に叙され、勲三等瑞宝章を受章した。
東大定年前後以降の論文集やドレフュス事件関連研究は、主に創風社を発表媒体としていたが、同社社長千田顕史は青木書店の元社員で[3]、稲葉とは青木書店以来のつきあいがあった[要出典]。
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