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日本の囲碁棋士 ウィキペディアから
木谷 實[注釈 1](きたに みのる、1909年1月25日 - 1975年12月19日)は、囲碁の棋士。兵庫県神戸市出身、鈴木為次郎名誉九段門下、九段。木谷道場主催。位階は従四位、勲等は勲二等。日本棋院囲碁殿堂入り。大倉賞受賞者。
20世紀の棋士の中でも指折りの存在とされており呉清源と共に大正時代から活躍。また、自宅を木谷道場として内弟子をとりタイトルを争うトップ棋士から普及に専念する地方棋士まで多くの棋士を育てた。
弟子たちは1970年代初頭から1990年代半ば頃までタイトル戦線を席巻し、現在孫弟子まで含めた一門のプロ棋士は50人以上、段位の合計は500段を突破している。
弟子に大竹英雄名誉碁聖・加藤正夫名誉王座・二十四世本因坊秀芳・武宮正樹九段・小林光一名誉棋聖・二十五世本因坊治勲・小林覚九段・ほか多数。
若くして天才と呼ばれ、1924年に日本棋院が設立されるとすぐに参加している。そこで中国から来た呉清源と出会い、後に彼は友人でありかつ最大の好敵手となる。 木谷と呉は1933年から1936年ごろに「新布石」と呼ばれる革新的な序盤理論を発表している。
彼らは1939年から「世紀の対局」とも称される「鎌倉十番碁」を打ったが、その結果は呉の勝利に終わっている。本因坊には3度挑戦して獲得は失敗するなど大タイトルには恵まれなかったため「悲劇の棋士」と呼ばれることもある。また、新布石を初めとした新機軸を多数創案した。
また全国から優秀な少年を集めて育成した「木谷道場」からは多くの大棋士が巣立ち、昭和後半のタイトル戦線をほぼ独占するほどの勢いを示した。
アマチュア指導にも力を注ぎ、土曜木谷会(のち仁風会)を主宰。
大食漢であり、あるときには朝五杯、昼六杯、夜七杯と、どんぶりめしを食いあげたといわれる。1923年(大正12年)の関東大震災には鈴木為次郎の神田の下宿で遭遇し、昼食にかかろうとする時で木谷はおはちを抱えて外に飛び出した(鈴木為次郎談)。本人は二所ノ関部屋に居候して鈴木へ通っていた時代[1][2]、部屋にいた玉錦(第32代横綱)から弟分として可愛がられて大食漢になったという[3]。
病気で医師や家族が休場をすすめても、なかなか聞き入れず、「偉大なる駄々ッ子」の異名があった[4]。
また、ベテランとなって後、その存在の大きさから「大木谷」と呼ばれた[5]。
妻の美春は長野県の地獄谷温泉にある温泉宿「後楽館」の経営者の長女[6]。棋士の小林禮子は三女。小林光一名誉三冠は婿(禮子の夫)。棋士で女流本因坊などを獲得した小林泉美は孫(禮子の子)。元五冠王の張栩九段は孫の夫(泉美の夫)。棋士の張心澄はひ孫(泉美の子)。
木谷の棋風は生涯何度も変化している。低段時代は戦闘的な棋風で「怪童丸」の異名をとったが、五段時代に新布石を発表して位の高い碁に変化した(前田陳爾はこの時代の木谷を「史上最強の五段」と評している)。1936年ごろからは実利を重んじる棋風となって呉清源との十番碁を戦っている。療養からの復帰後は、先に地を稼いで相手に大模様を張らせて突入する戦法を多く採るようになり、「木谷流のドカン」と呼ばれた。
1933年(昭和8年)に地獄谷温泉にある美春の実家「後楽館」に呉清源と滞在しなが議論を重ね[6]、1934年安永一四段執筆により『囲棋革命・新布石法』を出版した。従来の隅から辺へ、辺から中央へと決められた定石からの脱却を目指し、地と勢力の中庸をいくこの理論は、昭和の囲碁界をプロからアマチュアまで大きく変えていった。
木谷は新布石構想の他、いくつかの新手を打ち出している。現在も打たれる手もあるが、独特の感覚であるため他に真似する棋士が現れない手段も多い。
ツケヒキ定石の後は上辺白5に堅くツグのが伝統的な手法であったが、木谷は下辺のようにカケツぐ手段を開発した。白7まで一路広くヒラけるメリットがある。
木谷はツケヒキではなく図白4のサガリを多用した。やや手がかかり過ぎと見られて、他の棋士はほとんど使用しなかった。「木谷定石」といった場合、この手段を指すことが多い。
木谷は小目一間高ガカリに対し、白2に突き当たる手段を多用した。以下黒3~9と進行する。ツキアタリはあまりに形が悪く、相手に好形を与えるとして全く他に打つ棋士が現れなかったが、木谷は信念でこの手を打ち続けた。
木谷は棋士の育成に非常に力を注ぎ神奈川県平塚市の彼の実家において「木谷道場」を開き、美春によって運営されていた。木谷が療養中の1963年以降は梶原武雄が、いわば一門の「師範代」として厳しく彼らを鍛えた。主な門下生は以下の通り。
太字は歴代最多獲得。
弟子は木谷道場を参照
棋士 | 段位 | 生年 | 入段 | 師 | 実績など | url |
---|---|---|---|---|---|---|
谷宮悌二 | 九段 | 1939 | 1955 | 梶 | 七段戦準優勝 | [11] |
吉田洋逸 | 六段 | 1944 | 1967 | 本田 | 欧州囲碁指導者 | [12] |
木谷好美 | 二段 | 1952 | 1975 | 尾崎 | テレビ早碁司会者 | [13] |
水野芳香 | 三段 | 1956 | 1983 | 土田 | [14] | |
前田良二 | 七段 | 1960 | 1982 | 大平 | 筑波大学・理科大講師 | [15] |
小松英子 | 四段 | 1962 | 1981 | 筒井 | 女流奨励賞、小松英樹九段の妻 | [16] |
小県真樹 | 九段 | 1964 | 1980 | 土田 | 名人リーグ、通算800勝 | [17] |
大木啓司 | 七段 | 1965 | 1987 | 小林光 | 通算200勝 | [18] |
大矢浩一 | 九段 | 1966 | 1980 | 小林光 | NEC俊英優勝、本因坊リーグ | [19] |
岡田伸一郎 | 八段 | 1966 | 1985 | 加藤 | 通算400勝 | [20] |
西村慶二 | 八段 | 1967 | 1983 | 大竹 | 通算300勝 | [21] |
松岡秀樹 | 九段 | 1968 | 1987 | 土田 | 王冠 | [22] |
大森泰志 | 八段 | 1968 | 1986 | 加藤 | 通算400勝 | [23] |
酒井真樹 | 八段 | 1968 | 1987 | 小林光 | 名人戦リーグ | [24] |
鈴木伊佐男 | 七段 | 1968 | 1987 | 加藤 | 通算200勝 | [25] |
穂坂繭 | 三段 | 1969 | 1990 | 小林 | NHK杯司会 | [26] |
小山栄美 | 六段 | 1970 | 1987 | 加藤 | 女流名人4期 | [27] |
高橋秀夫 | 七段 | 1971 | 1991 | 石田 | 通算200勝 四段戦優勝 | [28] |
ハンス・ ピーチ |
六段 | 1968 | 1997 | 小林千 | 欧州代表 | [29] |
松原大成 | 六段 | 1972 | 1992 | 武宮 | 通算200勝 | [30] |
吉原(梅沢) 由香里 |
六段 | 1973 | 1995 | 加藤 | 女流棋聖、『ヒカルの碁』監修 | [31] |
桑原陽子 | 六段 | 1974 | 1996 | 小林光 | 女流本因坊 | [32] |
金澤秀男 | 八段 | 1975 | 1993 | 小林光 | 通算300勝 | [33] |
王唯任 | 五段 | 1977 | 1997 | 筒井 | 博士前期課程修了 | [34] |
武宮陽光 | 六段 | 1977 | 1998 | 武宮 | NHK『囲碁の時間』講師 | [35] |
小林泉美 | 六段 | 1977 | 1997 | 小林光 | 女流タイトル多数 | [36] |
金秀俊 | 八段 | 1979 | 1996 | 趙治勲 | 新人王、名人戦リーグ | [37] |
金光植 | 七段 | 1979 | 1995 | 趙治勲 | 韓国棋院所属 | [38] |
松本武久 | 七段 | 1980 | 1997 | 趙治勲 | 台日精鋭準優勝 | [39] |
河野臨 | 九段 | 1981 | 1996 | 小林光 | 天元位3連覇 | [40] |
三村芳織 | 三段 | 1981 | 2004 | 本田 | 向井三姉妹、三村智保九段の妻 | [41] |
鶴山淳志 | 七段 | 1981 | 1999 | 趙治勲 | 勝率第1位賞 | [42] |
長島梢恵 | 二段 | 1984 | 2002 | 本田 | 向井三姉妹 | [43] |
向井千瑛 | 五段 | 1987 | 2004 | 本田 | 向井三姉妹、女流本因坊 | [44] |
アンティ・ トルマネン |
初段 | 1989 | 2017 | 小林千 | フィンランド出身 | [45] |
常石隆志 | 三段 | 1991 | 2011 | 小林孝 | アマ名人 | [46] |
参考[47]
木谷實九段 | |||||||||||||||||||||||
小林禮子 元女流名人 | 小林光一 名誉三冠 | ||||||||||||||||||||||
小林泉美 元女流二冠 | 張栩 元五冠 | ||||||||||||||||||||||
張心澄 | 張心治 | ||||||||||||||||||||||
三男五女を儲けている。50人以上の弟子をプロ入りさせた木谷だが、実子でプロ入りしたのは1人のみ。3人の男子は全て東京大学を卒業した[47]。
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