川原泉
日本の漫画家 ウィキペディアから
日本の漫画家 ウィキペディアから
川原 泉(かわはら いずみ、1960年9月24日 - )は、日本の漫画家。女性[1]。鹿児島県指宿市出身、鹿児島市在住。鹿児島大学法文学部卒業。専攻は日本史。
大学4年在学中に、初めての漫画「ジュリエット白書」を『花とゆめ』に投稿。その後、大学の教授の紹介で地元女子校の教員採用の面接を受けたが、良妻賢母教育と勉学のどちらを優先するかという質問に「もちろん勉学」と答えた結果、不採用となる。この件が川原のお嬢様学校コンプレックスの元となったという。以降は目標を漫画に定め、1983年、『花とゆめ』増刊に掲載された「たじろぎの因数分解」でデビューした。以来、白泉社を中心に活動[2]。
1985年、「ゲートボール殺人事件」の頃、東京へ引越しし、世田谷区に住む。
1986年、アイススケート漫画『銀のロマンティック…わはは』の取材のため札幌を訪れた際に、当時の担当編集者が同じだった縁で三原順と会い、交流は三原の病没まで続いた[3]。
1987年、初の長期連載となった『笑う大天使(わらうミカエル)』の仕事が一段落し、一旦帰郷した際に初めてファミリーコンピュータを購入し、『女神転生』などのゲームに熱中[4]。『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』の影響で『魔法の国ザンス』シリーズなどのファンタジーにも興味を持つに至る[2]。
1988年、「笑う大天使 オペラ座の怪人」の原稿を落としてしまい、打ちひしがれた川原は都落ちを決意、荷物をまとめたが周囲の励ましにより帰郷を中止。せっかく荷造りをしたのだからと前の仕事場から徒歩5分の場所に移転する[5]。
2005年、『ブレーメンII』で第36回 星雲賞コミック部門と第4回(2004年度)センス・オブ・ジェンダー賞特別賞を受賞。
架空の学校。明治36年(1903年)創立の由緒正しき名門お嬢様学校で、生徒は「アーク・エンジェルの乙女達」と呼ばれる。カトリック系聖ミカエル教団に属し、宗教の時間・朝の礼拝など、宗教行事も多く取り入れられた、幼稚園から短大まである女子校。教師の半数をシスター(外国人多数)が占める。「よき妻 よき母」を育てるための教育に重きを置き、礼儀作法や清掃活動などには大変厳格だが、多くの生徒がエスカレーター式に付属短大へ入学するためか、勉強への強い意欲はあまり見られず、偏差値は中の上程度と思われ、『不思議なマリナー』の中で、「上品だが、そのぶんバカ」との発言がある。挨拶はいつでも「ごきげんよう」。「登下校の際は車による送り迎え禁止」という校則がある。
浮世離れした深窓の令嬢がほとんどだが、変わった毛色の生徒が2 - 3人必ず混ざっている。制服はシスターのような白いハイカラーの襟の胸元にひも状のリボン、プリーツではないひざ下のスカートに三つ折りソックス。ベレー帽をかぶる。映画版『笑う大天使』では、ベレー帽にスクウェアカットの胸元の黒いAラインワンピース、胸下にベルト状の細い白のリボンをつけて、足元は黒ストッキングと、かなりフェミニンになっている。
「archangel」は日本ではアーク・エンジェルの読みが一般的だが、『笑う大天使』以前の作品では、「大天使」のルビは「アーチエンジェル」となっている。また、『笑う大天使』において、その事を自虐的なネタとして取り上げている。
江戸時代の外様大名が治める架空の藩で、奥州にあるという設定。石高は25万石。藩主は鳴沢家。秋吉田城は「空の鳴滝城」と謳われる名城で、私有財産として現存している設定である。特産は巨大松茸。現代でも旧・家臣団が鳴沢家当主の法要に列席するために集まってくる。
MHKのアナウンサー。眼鏡を掛けている。ジャンルを問わず作品の報道を一手に引き受ける人物である。ヘリンボーンの上着がトレードマーク。
振られキャラ。銀行頭取の令嬢である。映画『笑う大天使』では、菊地凛子が演じた。
※掲載誌はいずれも白泉社。
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