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富永格郎
日本の野球選手 (1937-2014) ウィキペディアから
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富永 格郎(とみなが ただお、1937年5月4日 - 2014年7月18日[要出典])は、京都府京都市中京区西ノ京小堀町出身のプロ野球選手である。ポジションは投手。
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来歴・人物
立命館高校では1955年に、チームの主戦投手として、二塁手の辰市祐英らとともに夏の甲子園に出場。立命館高はこの大会で、中京商や桐生高などと共に優勝候補のひとつと目されていた。準々決勝では津久見高の田中喜八郎と投げ合い完封勝利。準決勝に進むが坂出商の岡崎秀智投手(中大-電電関東)に抑えられ、1-2で惜敗した[1]。8月には辰市らとともに全日本高校選抜チームの一員として初のハワイ遠征を果たす。同年の神奈川国体は準々決勝で新宮高の前岡勤也に投げ勝ち2-0で完封、準決勝に進むが四日市高の高橋正勝に抑えられ敗退。
高校卒業後、1956年に東映フライヤーズへ入団。1年目より先発陣の一角として起用され、この年は自己最多となるシーズン11勝を挙げた。翌1957年も6勝を記録するが、その後は一時低迷、中継ぎに回る。しかし1961年には先発に復帰し8勝、1962年も8勝を挙げた。同年のリーグ優勝に貢献、日本シリーズではリリーフで3試合に登板している。1963年以降は成績が振るわず、1966年に無償トレードでサンケイアトムズへ移籍。ここでも活躍の場はなく同年オフに引退した。引退後は東京で印刷会社に勤務した。
速球に威力があり、変化球はスライダー、カーブ、シュートを武器とした。
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家族
「スカウト トニー・ルカデロ最後の旅」(マーク・ワインガードナー Mark Winegardner 著 東京書籍1992年初版)、「メタルギアソリッド」(レイモンド・ベンソン著 角川文庫 2008年)、「虚栄は死なず」(ルース・レンデル著 光文社文庫)、「Xmen 2」(クリス・クレアモン著)などを日本語に翻訳して出版した翻訳家の富永和子は妻。同じく翻訳家の富永晶子は娘。著書に「ダース・ヴェイダーと仲間たち」(ジェフリー・ブラウン著 辰巳出版)など。
詳細情報
年度別投手成績
背番号
- 12 (1956年 - 1965年)
- 20 (1966年)
脚注
関連項目
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