Loading AI tools
日本の和歌山県(紀伊国)にあった郡 ウィキペディアから
名草郡(なぐさぐん)は、大化の改新の後に日前神宮・國懸神宮の神郡として建てられた紀伊国(和歌山県)の郡、明治29年(1896年)海部郡と合併、海草郡が発足し廃止された。
『日本書紀』神武天皇即位前紀の「名草邑」を別として、『続日本紀』大宝3年(703年)5月9日条に「紀伊国奈我・名草の二郡をして布の調を停めて糸を献らしとむ……」とあるのが、郡名の初見とされている[1]。『和名類聚抄』によると、名草郡は紀伊国の国府の所在郡で、その地は現和歌山市府中に比定される。紀家蔵の『国造次第』は郡の開設を19代紀伊国造紀忍穂によるとし、忍穂の冠位が大山上であることから、孝徳天皇期(645年-654年)の建郡と推測される[2]。郡名の由来について、『続風土記』には「其名義は詳ならずも或説に渚の義ならむといへり」と記す。また、古代の名草郡は伊勢国渡相郡(度会郡)、伊勢国竹郡(多気郡)、安房国安房郡、出雲国意宇郡、筑前国宗像郡などとともに、孝徳天皇期から天武天皇期にかけて順次設置されたとされる八神郡の1つに数えられていた[2]。日前神宮・國懸神宮の所在地として重んじられ、養老7年(723年)11月16日には郡司に近親者の連任が許されている[3]。一般に郡を治める郡司に近親者を続けて任命することは禁止されていたが、名草郡では神社を代々まつってきた紀氏が重視されたものである。
『和名類聚抄』高山寺本・東急本に記される郡内の郷。名草郡には多数の式内社が分布したことにより、郡内には多くの神戸が存在した[2]。郷とそれら神戸との混同により、『和名類聚抄』でも諸写本で郷名に多くの錯乱が生じている[2][4]。
以上のほか、『和名類聚抄』に見えない地名では「宇治郷」「宇治保」「片岡里」「埴生里」などがある[2]。
『延喜式』神名帳に記される郡内の式内社。名草郡には紀伊国の半分以上の神社が記載されており、それらの中心は紀伊国造家の奉斎する日前神宮・國懸神宮であった[2]。
神名帳 | 比定社 | 集成 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
社名 | 読み | 格 | 付記 | 社名 | 所在地 | 備考 | |
名草郡 19座(大9座・小10座) | |||||||
日前神社 | ヒノクマノ ヒノマヘ | 名神大 | 月次相嘗新嘗 | 日前神宮・國懸神宮 | 和歌山県和歌山市秋月 | 紀伊国一宮[注 1] | |
国懸神社 | クニカカスノ | 名神大 | 月次相嘗新嘗 | ||||
伊太祁曽神社 | イタケソノ | 名神大 | 月次相嘗新嘗 | 伊太祁曽神社 | 和歌山県和歌山市伊太祈曽 | 紀伊国一宮[注 1] | |
大屋都比売神社 | オホヤツヒメノ | 名神大 | 月次新嘗 | 大屋都姫神社 | 和歌山県和歌山市宇田森 | ||
都麻都比売神社 | ツマツヒメノ | 名神大 | 月次新嘗 | (論)都麻津姫神社 | 和歌山県和歌山市吉礼 | ||
(論)都麻都姫神社 | 和歌山県和歌山市平尾 | ||||||
(論)高積神社 | 和歌山県和歌山市禰宜 | ||||||
鳴神社 | ナルカミノ | 名神大 | 月次相嘗新嘗 | 鳴神社 | 和歌山県和歌山市鳴神 | ||
香都知神社 | カグツチノ | 小 | 香都知神社 | 和歌山県和歌山市鳴神 | 鳴神社境内社 | ||
加太神社 | カタノ | 小 | 淡嶋神社 | 和歌山県和歌山市加太 | |||
伊久比売神社 | イクヒメノ | 小 | (論)伊久比売神社 | 和歌山県和歌山市市小路 | |||
(論)山口神社 | 和歌山県和歌山市谷 | ||||||
朝椋神社 | アサクラノ | 小 | 朝椋神社 | 和歌山県和歌山市鷺の森 | |||
刺田比古神社 | サシタヒコノ | 小 | 刺田比古神社 | 和歌山県和歌山市片岡町 | |||
麻為比売神社 | マヰ- | 小 | (参)合祀:菟佐神社 | 和歌山県和歌山市秋月 | 日前神宮・國懸神宮境内末社 | ||
(参)合祀:津秦天満宮 | 和歌山県和歌山市津秦 | ||||||
竃山神社 | カマヤマノ | 小 | 竈山神社 | 和歌山県和歌山市和田 | |||
高積比古神社 | タカツミヒコノ | 小 | 高積神社 | 和歌山県和歌山市禰宜 | |||
高積比売神社 | タカツミヒメノ | 小 | |||||
伊達神社 | イタテノ | 名神大 | 伊達神社 | 和歌山県和歌山市園部 | |||
志磨神社 | シマノ | 名神大 | 志磨神社 | 和歌山県和歌山市中之島 | |||
静火神社 | シツヒノ | 名神大 | 静火神社 | 和歌山県和歌山市和田 | 竈山神社境外摂社 | ||
堅真音神社 | カタマネノ | 小 | 堅真音神社 | 和歌山県和歌山市鳴神 | 鳴神社境内社 | ||
(参)復興:堅真音神社 | 和歌山県和歌山市神前 | ||||||
凡例を表示 |
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
藩領 | 紀伊和歌山藩 | 1町 139村 8浦 |
中野島村、南出島村(現・和歌山市納定)、有本村、新在家村、加納村、松島村、小豆島村、西田井村、北村、永穂村、新村[5]、島村、楠本村、川辺村、里村[6]、平岡村、中筋村、谷村、湯屋谷村、滝畑村、落合村、別所村(現・和歌山市)、山口西村、黒谷村(現・和歌山市上黒谷)、藤田村、上野村、神波村、宇田森村、北野村、弘西村、府中村、田屋村、六十谷村、園部村、善明寺村、大谷村、平井村、栄谷村、中村[7]、梅原村、中野村[7]、松江村、土入村、延時村、向村、次郎丸村、梶取村、福島村、市小路村、中ノ村[8]、粟村、狐島村、船所村、野崎村、北島村、宇治村、鷺森村、岡町村、太田村、出水村[9]、新内村、吉田村、黒田村、北出島村、手平村、出島村(現・和歌山市手平など)、南出島村(現・和歌山市南出島)、杭ノ瀬村、中島村、●田尻村、坂田村、和田村、神前村、井辺村、津秦村、有家村、秋月村、鳴神村、栗栖村、出島村(現・和歌山市出島)、下和佐村、井ノ口村、和佐中村、関戸村、禰宜村、布施屋村、明王寺村、矢田村、塩谷村、平尾村、木枕村、永山村、山東中村、大河内村、南畑村、黒岩村、坂井村、小野田村、黒谷村(現・和歌山市黒谷)[10]、境原村、頭陀寺村、宿村、奥須佐村、伊太祁曽村、口須佐村、吉礼村、西村[11]、寺内村[12]、森小手穂村、三葛村、布引村[13]、紀三井寺村、内原村、毛見浦、船尾浦、黒江村、岡田村、吉原村、広原村、冬野村、朝日村、本渡村、井戸村、相坂村、松原村、馬場村、江南村、新出島村、仁井辺村、薬勝寺村、小瀬田村、多田村、且来村、井田村、日方浦、神田浦、幡川村、大野中村、山田村、重根村、別所村(現・海南市)、扱沢村、東畑村、名高浦、鳥居浦、藤白浦、冷水浦、和歌山城下(東部)[14] |
紀伊新宮藩[15] | 1村 | 直川村 | |
紀伊田辺藩[16] | 2村 | 岩橋村、新中島村 |
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。
なお、1879年の和歌山区設置以前は、和歌山城下のうち、現在の西蔵前丁、東蔵前丁、杉ノ馬場、元博労町、橋丁、寄合町、十三番丁、八番丁、西汀丁、南汀丁、一番丁、岡山丁、藪ノ丁、片岡町、鷹匠町、島崎町以東を郡域に含んだ。
なお、徳川御三家の城下町である名古屋市・和歌山市・水戸市はいずれも県庁所在地になっており、名古屋・水戸は旧郡名から採った「愛知県」「茨城県」となっているが、和歌山は都市名から採った「和歌山県」となっている。
『和歌山県史 人物』による[18]。
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 平田綱一郎 | 明治12年(1879年)1月20日 | ||
2 | 鈴村三郎 | 明治13年(1880年)12月5日 | ||
3 | 平田綱一郎 | 明治19年(1886年)8月25日 | 明治30年(1896年)3月31日 | 再任 海部郡との合併により名草郡廃止 |
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.