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今泉吉典

日本の動物学者 (1914-2007) ウィキペディアから

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今泉 吉典(いまいずみ よしのり、1914年3月11日 - 2007年4月2日)は、日本動物学者学位理学博士北海道大学・1961年)。国立科学博物館名誉館員

主にネズミなどの小型哺乳類を研究対象としていたが、ニホンオオカミや1965年に発見されたイリオモテヤマネコの記載・研究を行ったことで知られる。

息子の今泉吉晴今泉忠明も動物学者。孫の今泉勇人も動物についての共著がある。

ぐりとぐら』の体色は今泉吉典の研究室にあったオレンジ色のネズミの標本がヒントになっている[1]

研究

イリオモテヤマネコ

1965年(昭和40年)動物作家の戸川幸夫から,西表島の「ヤマネコ」の毛皮、頭骨、写真などを入手したという報せを受けた。その時は今泉は大きな期待を抱いてはいなかったが、3月14日に開催された日本哺乳動物学会例会の席上で「ヤマネコ」の毛皮と頭骨を見せられた時、イエネコでないのはもちろん、東アジアに分布するベンガルヤマネコとも異なっていると見られたため、標本や写真を借りて精査し、既知のヤマネコとは異なる新種らしいと判断した。今泉は、形態、形質、行動上から、現生の他のあらゆるネコ類との違いがはっきりしてきたので、化石群メタイルルス族の近縁種と考えた[2]

しかしその後,遺伝子解析による分子系統学の分析法が発達した結果、独立種ではなく、約20万年前に西表島に渡来した、ベンガルヤマネコの亜種に分類された[2]

ニホンオオカミ

今泉は著書『原色日本哺乳類図鑑[3]』の中で,精密な絵とともに紹介したニホンオオカミについて「本亜種は1905年頃を境にして絶滅したようである」と述べていたが、その後、ニホンオオカミの頭骨と、ほかのイヌ属の頭骨とを比較検証し、当時の学会の主流となっていたタイリクオオカミの亜種説を切り替え,別種説をとった[2]

絶滅したといわれてから5年後の1910年(明治43年)に、福井県で捕らえられた野生動物を、今泉はニホンオオカミであると発表した。松平試農場に現れて撲殺されたものの写真が日本哺乳動物学会で紹介されたので、吉行瑞子国立科学博物館客員研究員と共に写真を鑑定した結果、尾の先端が切断されたように丸く、前脚や後脚が体長に比べて相対的に短いことなどの特徴から、ニホンオオカミと断定した[2]。しかし、剥製標本は福井空襲により焼失しており、ニホンオオカミと確定するには至っていない[4]

秩父山系では、1996年にニホンオオカミに酷似した動物が撮影された(秩父野犬)[5][6]。これについてはニホンオオカミであるとする説と、野犬であるという説で専門家の見解が割れている。発見者から写真の提供を受けた今泉は、耳の形や前脚の短さなどオランダのタイプ標本と比較し、12の根拠からニホンオオカミの可能性があるとの見解を示したという[6][7]

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年譜

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記載した種など

献名された種など

著書

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論文

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関連項目

脚注

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