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レプコ・ブラバム・BT24 (Repco Brabham BT24) は、ブラバムが開発したフォーミュラ1カー。1967年シーズンにブラバム・レーシングチームが使用した3台の車のうちの1つ。BT24のシャシーは3台のみが実戦に投入された。
カテゴリー | F1 / タスマンシリーズ | ||||||||
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コンストラクター | モーター・レーシング・ディベロップメント | ||||||||
デザイナー | ロン・トーラナック | ||||||||
先代 | BT23B | ||||||||
後継 | BT26 | ||||||||
主要諸元[1][2] | |||||||||
シャシー |
グラスファイバー製ボディ 鋼管製チューブラー・スペースフレーム | ||||||||
サスペンション(前) | ダブルウィッシュボーン, コイルスプリング オーバーダンパー, アンチロールバー | ||||||||
サスペンション(後) | ダブルウィッシュボーン, ツインラジアスアーム, コイルスプリング オーバーダンパー, アンチロールバー | ||||||||
エンジン | レプコ 740, 2,994 cc (182.7 cu in), 90度 V8, NA, ミッドエンジン, 縦置き | ||||||||
トランスミッション | ヒューランド DG 300, 5速 MT, ZF ディファレンシャル | ||||||||
燃料 | エッソ | ||||||||
タイヤ | グッドイヤー | ||||||||
主要成績 | |||||||||
チーム | ブラバム・レーシング・オーガニゼーション | ||||||||
ドライバー |
ジャック・ブラバム デニス・ハルム ヨッヘン・リント ダン・ガーニー | ||||||||
コンストラクターズタイトル | 1 (1967年) | ||||||||
ドライバーズタイトル |
1 (1967年) デニス・ハルム | ||||||||
初戦 | 1967年ベルギーグランプリ | ||||||||
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ロン・トーラナックが設計したBT24はスペースフレームのシャシーにパワー不足のレプコV8エンジンを搭載し、いくらか時代遅れであった。ほぼ同時期にデビューしたロータス・49と比べると、ブラバムは時代遅れに見えたが、その高い信頼性はウサギとカメになぞらえると、ウサギのロータスに対するカメとなった。
ディフェンディングチャンピオンのジャック・ブラバムと、デニス・ハルムのドライブするBT24はシーズン3勝を挙げ(シーズンのもう1勝はBT20による)、ロータスのジム・クラークが挙げた4勝にはかなわなかった物の、2位6回、3位2回、4位と5位が1回とチームは容易にコンストラクターズタイトルを獲得した。ドライバーズタイトルはハルムがチームオーナーのブラバムに5ポイント差を付けて獲得した。
加えてBT24はジャック・ブラバムの手でノンタイトル戦3勝をあげ、その中には1967年オウルトン・パークインターナショナルゴールドカップも含まれた。
翌1968年シーズンは2台のオリジナルシャシーが開幕戦の南アフリカに投入され、ブラバムとヨッヘン・リントがドライブした。しかし第2戦用の新型BT26が準備できたため、2台のBT24は南アフリカの地元チームに売却された。サム・ティングルとベイシル・ヴァン・ルーエンがその年の南アフリカF1選手権で3位と4位を記録した。ティングルは翌年の南アフリカグランプリにもBT24で出場し、8位となっている。その後彼のマシンは1970年1月までローカルイベントで使用され、一方ヴァン・ルーエンのマシンはゴードン・ヘンダーソンとアイバー・ロバーツが様々なレースで使用した。
3台目のBT24シャシーは1967年末に製作されたが、ブラバムチームで使用されたのは1968年の3レースのみだった。2戦はヨッヘン・リント、もう1戦はダン・ガーニーがドライブした。ドイツグランプリではクルト・アーレンスに貸与された。その後フランク・ウィリアムズが同車を購入、BT26と同様のウィングを装着、2.5リッターのコスワースDVWを搭載し1969年のタスマンシリーズに参戦した。ピアス・カレッジが全7戦で使用し、ニュージーランドのテレトンガ・パークで勝利した。そのほかには2位、3位、4位が1回、リタイアが3回となり、ランキング3位でシーズンを終えた。
ウィリアムズは1968年仕様の3.0リッターDFVに換装し、燃費の悪化に対応した追加の燃料タンクを装着したが、同車はプライベーターのシルビオ・モーザーが購入した。モーザーは1969年シーズンの7戦に参加し、最高位はワトキンズ・グレンでの6位であった。モーザーはまた、インターナショナルゴールドカップと、ヨーロッパヒルクライム選手権の2戦にも同車で参加した。
年 | チーム | エンジン | タイヤ | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | ポイント† | 順位† |
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1967年 | ブラバム・レーシング・オーガニゼーション | レプコ・740 3.0 V8 | G | RSA |
MON |
NED |
BEL |
FRA |
GBR |
GER |
CAN |
ITA |
USA |
MEX |
63 (67)* | 1位 | ||
ジャック・ブラバム | Ret | 1 | 4 | 2 | 1 | 2 | 5 | 2 | ||||||||||
デニス・ハルム | 2 | 2 | 1 | 2 | Ret | 3 | 3 | |||||||||||
1968年 | ブラバム・レーシング・オーガニゼーション | レプコ・740 3.0 V8 | G | RSA |
ESP |
MON |
BEL |
NED |
FRA |
GBR |
GER |
ITA |
CAN |
USA |
MEX |
10** | 8位 | |
ジャック・ブラバム | Ret | |||||||||||||||||
ヨッヘン・リント | 3 | Ret | Ret | |||||||||||||||
ダン・ガーニー | Ret | |||||||||||||||||
カルテックス・レーシングチーム | レプコ・740 3.0 V8 | D | クルト・アーレンス | 12 | ||||||||||||||
1969年 | チーム・ガンストン | レプコ・620 3.0 V8 | F | RSA |
ESP |
MON |
NED |
FRA |
GBR |
GER |
ITA |
CAN |
USA |
MEX |
0 | NC | ||
サム・ティングル | 8 | |||||||||||||||||
シルビオ・モーザー・レーシングチーム | フォード・コスワースDFV 3.0 V8 | G | シルビオ・モーザー | Ret | Ret | 7 | Ret | Ret | 6 | 11 | 49 (51)^ | 2位 | ||||||
Source:[3] |
† 各戦とも完走者上位6名に 9-6-4-3-2-1 ポイントが与えられたが、各チームの上位の車のみに与えられた。1967年と69年は前半6戦の内ベスト5戦と後半5戦の内ベスト4戦、1968年は前半6戦の内ベスト5戦と後半6戦の内ベスト5戦が有効ポイントとして計算された。
* 1967年は18ポイントがBT19とBT20によって獲得された。
** 1968年は4ポイントのみがBT24によって獲得された。
^ 1969年のブラバム・フォードの獲得ポイントはすべてブラバム・BT26によるものであった。
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